2021年06月23日

年ふれば 思ひぞ出づる吉野山 月組 「桜嵐記」


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珠城りょうさんで楠木正行をと、上田久美子先生が長年温めていた作品。
サヨナラ公演としてばかりでなく、一舞台作品としても出色の出来ばえです。

“史実”という下敷きがあることを差し引いても、原作のないオリジナル作品で、ここまで緻密にクオリティ高く、そしてドラマチックで切ない悲劇を書き上げ演出した上田久美子先生、それに応える見事な芝居を繰り広げた珠城りょうさんはじめ月組の面々、研ぎ澄まされた美しい言葉で紡がれる台詞、心に響く歌詞と音楽、楠木家の家紋をモチーフにした三兄弟の戦装束をはじめ美しい衣装の数々、あふれんばかりの桜と吉野川が哀しくも美しい舞台装置、すべてがピタリとハマって、本当にすばらしい舞台となっていました。

ナマの舞台を7回、新人公演、そして配信と計9回観ましたが、可能ならばもっともっと観たかったくらい。
これから吉野の桜の便りを聞くたびに、いや、吉野という言葉を聞くたびに、胸がきゅっとなって、この物語とあの出陣式の場面を思い浮かべるに違いありません。
後村上天皇が詠んだ「年ふれば 思ひぞ出づる吉野山 また故郷の名や残るらん」という歌とともに。


宝塚歌劇 月組公演
ロマン・トラジック 「桜嵐記」
作・演出: 上田久美子
作曲・編曲: 青木朝子  高橋恵
振付: 若央りさ  麻咲梨乃   殺陣: 栗原直樹
装置: 新宮有紀   衣装監修: 任田幾英   衣装: 薄井香菜   
所作指導: 花柳寿楽
出演: 珠城りょう  美園さくら  月城かなと  光月るう  夏月 都  
紫門ゆりや  白雪さち花  千海華蘭  鳳月 杏   香咲 蘭  輝月ゆうま  
楓 ゆき  晴音アキ  春海ゆう  夢奈瑠音  颯希有翔  蓮つかさ  
海乃美月  佳城 葵  暁 千星  英 かおと  風間柚乃  天紫珠李  
礼華はる  結愛かれん  蘭世惠翔  きよら羽龍  詩 ちづる/一樹千尋 ほか

2021年5月20日(木) 3:30pm 宝塚大劇場 2階1列センター/
5月27日(木) 3:30pm 1階21列下手/5月30日(日) 3:30pm 1階13列下手/
6月4日(金) 1:00pm 1階14列下手/6月6日(日) 3:30pm 1階24列上手/
6月17日(木) 11:00am 1階9列センター/
6月20日(日) 11:00am 1階3列センター/6月21日(月) 1:00pm 配信視聴
(上演時間: 1時間35分)



南北朝の動乱期。
京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、最期まで南朝に殉じた父正成(輝月ゆうま)の遺志を継ぎ、弟・正時(鳳月杏)、正儀(月城かなと)とともに戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(珠城りょう)の短くも鮮烈な生き様を、北朝軍によって父・日野俊基が処刑され、一族を皆殺しにされた弁内侍(美園さくら)との儚い恋をからめて描いた物語。


ハマる予感はありました。
上田久美子先生の切ない物語が大好きで日本史好き。特に負け戦に挑む悲劇の武将にとてもヨワイ。
加えて、楠木正成、正行親子はわれらが河内のヒーロー。千早赤阪村(劇中では赤坂)、湊川、天王寺、阿倍野、羽曳野、四條畷、そして吉野と、この物語に出てくる地はいずれも身近な場所・・・観る前から「私が好きそうな作品」と思っていましたが、そんなレベルではありませんでした(^^ゞ
劇場で観てごんごん泣くのはもちろんのこと、たとえば家にいる時、オフィスや通勤電車の中で、ふと「桜嵐記」の場面や台詞、歌詞がフラッシュバックして鼻の奥がつーんとなり涙ぐんでしまうこともしばしば。こんな経験は初めてで、自分でも驚いています。


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上田久美子先生の作劇がすばらしい。
渡辺橋の敵兵救助や高師直の手先に連れ去られようとした弁内侍を助けたこと、10万という敵にわずか数千で闘ったとされる四條畷の合戦など史実(とされること)をきちんと織り込み、関わる歴史上の人物をほとんど登場させながら、ジンベエのような架空の人物を入れ込み、足利尊氏と楠木正行の直接対峙、正時と妻百合、北朝へ寝返った百合の父親との葛藤といったフィクションも交えて、正行と弁内侍の儚い夢のような美しい場面を織り交ぜつつ四條畷の合戦をピークに持ってくる・・・しかも宝塚のスターシステムに合わせたキャスティングと人物設定、そしてちゃんと珠城りょうを送るサヨナラ公演になっているという。
これまで私が観てきた数々のトップスターサヨナラ公演の中でも、「神々の土地」と並んでベスト作品だと思います(その2作がどちらも上田久美子先生というのもねー)。


最初に光月るうさん扮する老武士が登場して、今が南北朝の時代であることと、日本が南朝北朝に分かれることとなったいきさつを舞台上の登場人物まじえてわかりやすく説明。
そこへ下手から尼僧姿の女性が現れ「一つの国に二つの太陽が昇り、争ったこの時代。北と南、どちらの太陽が沈むのか、それは北朝の圧倒劇な兵力を前に、わかりきっていたように思われます」と言うと、声色も佇まいもそれまでとはガラリと変わった老人が「御門跡様」と声をかけるところから物語は始まります。

「南朝の仄かな西日の残るうち、ある昔語りいたしたく、こうしてあなたを訪ねてまいりました」

舞台がまだ仄暗い中、父正成の背中を追い、弓を片手に歩んでいた楠木正行がキリリと正面に向き直り、♪もののふは 限りを知りて 魂極る 命知るらむ~ と歌い、郎党たちが踊る中、「楠木正成が遺児 正行!このたびの天王寺の戦、大将を務めさせていただく」
「同じく弟 正儀!戦場は俺の遊び場や!」
「その兄で正行が弟 正時!かような危ない遊び、したがる者の気がしれぬ。安全第一で務めさせていただく」
三兄弟が名乗りを上げ、一気に物語へ。
めちゃめちゃカッコいい入り方な上に、この台詞だけで三人の関係も性格もわかるという鮮やかさ。
この場面の3人と郎党たちの戦場を騎馬で駆け巡るようなダンス、とてもよかったな(振付:麻咲梨乃)。

楠木正行を主人公に南朝を描いているにもかかわらず、北朝=足利尊氏の側を一方的に悪と決めつけているのではないところもすばらしい。
たとえば源氏に対する平家、豊臣に対する徳川のように、歴史ものはどちらか一方を主役に据えると他方は悪役となりがちなところ、上田先生の冷静かつリベラルな視線が光ります。

吉野行宮での戦勝報告の場面。
権力に妄執し、周りのすべての者に戦いを命じ続けた後醍醐天皇。
「南朝のため、父帝のため、多くの懐かしい者が死んだ。朕は戦いを続けねばならぬ」と、争いをやめて静かに菩提を弔いたいという本心とは裏腹の選択をせざるを得ない後村上天皇。
父正成が後醍醐天皇と南朝の命に逆らわず、なぜ負けるとわかっていた湊川の戦いに臨んだのか問い続ける正行。
時運というにはあまりにも切なすぎる。

もしこの時、正行が望みどおり北朝への使者となることが許されたとしても、北朝と南朝の和睦が成ったかどうかはわかりません。それでも、「あの時引き返すことができたら」と思わずにはいられません。
・・・古今東西 歴史は「あの時引き返すことができたら」にあふれていて、決してそれができないこともよくわかっているのですが。


一場面一場面書いていたらきりがないくらいどの場面も無駄がなく印象的なのですが、四條畷の合戦の前後の緩急のすばらしさ。

吉野から帰宅した正行、正儀兄弟を待ち受ける足利尊氏と高師直、師泰と対峙する緊迫感。
南朝への不信感、北朝でなら夢を持って戦えると揺れつつも、兄正行の「日の本の大きな流れのためにこの命使う。弟らよ!己の命、何に使うかお前らは好きにせえ。尊氏殿とともに夢を追うもよしや」という思いに応えて兄とともに行く道を選ぶ正時、正儀。
ここで散々泣いて、「この後四條畷とかもう勘弁してくれ」と思っていたら、如意輪寺の満開の桜の下、別れを告げにきた正行と弁内侍の夢のように美しい場面に心癒されるような気持ちになって、ラストの「美しい春よのう」でまた涙。

そして四條畷の合戦。
ここ、楠木軍のオーラスに刀片手に舞台中央の大セリでせり上がってくる珠城正行のカッコよさ!
史実通り、10万対数千の軍勢で劣勢が明らかな中、闘っても闘っても、斬っても斬っても高師直の姿すら見えない中、自分をかばって討たれ、「すまぬが先に行く。三途の川で妻が待つのでな。武運を」という言葉を遺して死んだ正時の刀と自分の刀を両手に握り、取り囲む軍勢と鬼神の如く闘う正行。
そのスローモーションの動きに重なる父正成の♪河内の国の赤坂に~ の唄。もうボロ泣きです。
♪エンヤラ エンヤラ どっこいせ~ という歌声を引き継いで♪エンヤラ エンヤラ どっこいせ~ と歌った刹那、敵の矢に倒れる正行。

そこへ援軍の知らせ。
ここで共に戦うのではなく、「お前は生きて退ける。手勢を金剛山に配置し、帝を賀名生へ。時がかかっても、里を焼かず、民を死なせず、国を一つにしろ」「お前がやれ!」と正儀に命じる正行。
断腸の思いで「全軍 これより吉野に向かい出発」と発する正儀。
ここ、援軍の知らせに顔を輝かせていた郎党たちがみるみる泣き顔になっていくの、本当に切なかったです。

瀕死の正行を残し、心をこの場所に残しながら♪エンヤラ エンヤラ どっこいせ~ と歌いながら行軍していく郎党たち。
ひとり兄のそばに残った正儀に「邪魔やぞ、正儀」と力を振り絞って言う正行。
「この命の限り南朝のために生きた今、残りの命、一人の女だけにやりたいんや」という正行の言葉が、あの桜の下の別れの時、「私にはあなたにやれる時がない」と弁内侍に言った言葉と呼応していることに気づいて号泣(それまでも散々号泣している)。
「さらば」 「さらば」と言い合い、去って行く正儀へ挙げた右手が静かに落ちて、息絶える正行。

ここで客席の感情がピークに達した時に、静かに盆がまわって、その正行の姿が消えるのと入れ替わりに現れる弁内侍。

「この南朝に仄かな西日の残るうち、ある昔語りいたしたく、今日はあなたを訪ねてまいった」と冒頭のシーンの再現。

ここで初めてこの老年の二人が40年後の楠木正儀と弁内侍だと台詞のやり取りで明かされる構成(配役出てるのでみんな知っているけれども)。
あの戦好きのやんちゃな三男坊が、兄弟でただ一人生き残って、幾星霜どんな思いで南朝と楠木の一族とを守ってきたか、そして今こうして穏やかに昔語りしているか、その年月を思うだけで胸がいっぱいになって泣けてきます。
「兄のあなたへの言葉、ようやっとお伝えでけた」
「あの時、泣く顔を見たらよう伝えんでな。四十年(しじゅうねん)そのままになっとりました。すみませなんだ」という言葉に、さくらちゃん弁内侍の泣き顔が目に浮かぶ。
「弁内侍様」 
「古い名ぁを」 
「儂の好きな名ぁや」
というやり取りに何だかほっとして、ジンベエが出てきて「老けたのぅ」にふふふと笑った後、またピークがやってきます。

満開の桜を見上げ、「出陣式のあの日も、こんな花が咲いておりました。あの吉野の川のほとりには」という弁内侍の言葉とともに現れる厳粛な中にも華やかな出陣式。
ラストにこれ持ってくる上田久美子先生、天才では?

ここぞとばかりに咲き誇る満開の桜の下、凛々しく勇壮に居並ぶ正時、正儀、郎党たち、吉野川のほとりに見送って立つ後村上天皇と公家たち。
そこに凛とした佇まいで現れる楠木正行。
「お別れを、皆様」

弁内侍が泣きながら駆け寄る中、
♪年ふれば 思ひぞ出づる吉野山 また故郷の名や残るらん と詠う後村上天皇。
その歌が「故郷の名や残る・・・」のリフレインで途切れて、「戻れよ」という叫びに。
キリリと前を見据えて出立する正行は静謐ささえ漂う眼差し。

宝塚の舞台でよくあるように、天国?で2人が寄り添って・・・というのではなく、床に伏せて泣きながら見送る弁内侍と、思いを断ち切るがごとく一顧だにせず前を向いて進む正行という構図、本当に心に刺さります。
涙ナミダ 涙ナミダの幕切れ・・・上田先生、天才では?(二度目)


研ぎ澄まされた歌詞や台詞の美しさも際立っていて、たとえば主題歌
♪もののふは 限りを知りて 魂極る 命知るらむ 
雪解待ち咲き初む 吉野の花々は 梓弓 帰り来ぬ命のごとく燃ゆ

言葉の一つひとつが美しい。
初めて聴いた時、「たまきわる」「ゆきげ」ってどんな字?と思ったのですが、プログラム確認したら「魂極る たまきはる」とルビがふってあってピクッとなりました(ゆきげは雪解)。

目の前の情景を愛おしむような正行の「美しい春よのう」をはじめ、美しい台詞も挙げればキリがないのですが、印象に残ったのは河内ことば。
三兄弟のうち正儀だけが河内弁で兄二人は坂東武者のような言葉づかい。
ジンベエにそれを問われた正儀が「兄貴らは武士らしく気取っとるだけ。俺はこの言葉に誇り持っとる。(正行も)ほんまは河内弁ぺらぺらやんな」と言うのに対して「そうなのですか」と弁内侍、シンベエに「ほな、なんぞしゃべってみてください」と言われて「無理」とそっけなく答えた正行が、その後ボソッと「ほな、行きまひょか」というほっこり笑える場面が伏線。

足利尊氏が訪ねて来た時、様々な考えに逡巡した後、「じゃかあしい!しょうむないことをごちゃごちゃと!」と河内弁で言い放つ正行。
「流れに飲まれ泣く民に会うた。恨みに飲まれ死なんとする娘に会うた。誰かがなんとかせんならん」とここはずっと河内弁。
本気で本音を語る時は、生まれ育った言葉が出るのね。
そして、最期の「残りの命、一人の女だけにやりたいんや」ですよ。
正行の河内弁、愛おしすぎる。


もう一つ 心に響いたのは「赤坂村に伝わる楠木の歌」
♪河内の国の赤坂に アラどっこいせ アラどっこいせ
 小さな葉っぱ広げて 楠 芽を出した
 アレサ 大きくなったとサ 根っこ伸ばし葉っぱ広げ
 みんな木の下集まれば 地震 大雨 怖くない
 エンヤラ エンヤラ どっこいせ

この印象的な曲は劇中で三度歌われます。
最初は戦勝の渡辺橋で正時が仕留めた猪肉と猪雑炊食べながら、陽気な宴の歌。
これ歌うのが一平太(この公演で退団する颯希有翔さん)っていうのがまたね。
次は四條畷。正行の決死の戦いに重なる父正成が歌う渾身のこの歌。
そして、瀕死の正行を残し、吉野へと行軍する郎党たちが苦渋の中、正行に一礼して去りながら歌う歌。
少し歌詞が変わります。

♪河内の国の赤坂に どっこいせ どっこいせ
 大きな楠木 伸びて お空を支えてる
 アレサ この世は怖いとこ 地震 大風 日照り
 みんな木陰に入れるため エンヤラ 大きくなったとサ
 エンヤラ エンヤラ どっこいせ

戦場で正成の歌の最後を♪エンヤラ エンヤラ どっこいせ と正行が歌い継いだように
郎党たちの最後を♪エンヤラ エンヤラ どっこいせ と引き継いで歌う正儀。

最初に観た時は何ともなかった渡辺橋の場面も、二回目からは、この後この曲を聴くことになる悲壮な場面が想起されて、明るく陽気な場面なのに涙ボロボロという事態に。
まぁ要するに、二度目の観劇以降は最初から最後までほぼ泣いているという状態だった訳です。



初日開けてしばらくは開演アナウンス前に光月るうさんが出て来て「南北朝ってご存知ですか?」と客席に問いかけるところから始まって、「これから説明しますが拍手はご無用にお願いします。主役が登場するまで拍手はとっておいてください。開演アナウンスにも拍手はなしで・・・」みたいなことをおっしゃっていて、老年の弁内侍が「あの方が何のために生き、死んだのか・・・言問うても応へなく、ただ時のあわいを、風の吹き渡るばかり」と言ったところで音楽に重なって開演アナウンスが入り、舞台上の楠木正行が振り向く、という流れでした。
「ここは拍手いらない。観客も舞台の一員」といった上田久美子先生の強いこだわりを感じましたが、そう聞いていても開演アナウンスでつい拍手しちゃう人が続出したらしく、結局開演アナウンスが最初に入る形に変更されました。



ということで、長くなりましたので個々のキャストについては別記事に改めます。

posted by スキップ at 21:18
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