2023年04月06日
揚げ雲雀舞う空 「蜘蛛巣城」
黒澤明監督がシェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に置き換え、能楽・狂言の様式も採り入れて映画化し、1957年に公開された「蜘蛛巣城」(主演:三船敏郎・山田五十鈴)。
2001年には齋藤雅文さんの脚本・演出で舞台化されていて、今回はその時の脚本に齋藤さんと赤堀さんが加筆したもの。いわば再演ということになります。
戦乱の世に翻弄される若き武将 鷲津武時と妻の浅茅。
若さゆえの疾走と破滅の物語。
「蜘蛛巣城」
原脚本:黒澤明 小國英雄 橋本忍 菊島隆三
上演台本:齋藤雅文 赤堀雅秋
演出:赤堀雅秋
美術:杉山至 扮装:柘植伊佐夫 殺陣指導:渥美博
出演:早乙女太一 倉科カナ 長塚圭史 中島歩
佐藤直子 山本浩司 水澤紳吾 永岡佑 新名基浩
久保酎吉 赤堀雅秋 銀粉蝶 ほか
2023年3月19日(日) 1:00pm 兵庫県立芸術文化センター
阪急中ホール 1階A列センター
(上演時間:2時間15分)
天下統一の野望を抱いた者たちが群雄割拠の様相を呈した戦国時代の日本。
蜘蛛巣城の城主・都築国春(久保酎吉)は味方の謀反により苦戦をしいられていました。一の砦の大将・鷲津武時(早乙女太一)と二の砦の大将・三木義明(中島歩)は蜘蛛巣城への帰途、蜘蛛手の森の中を彷徨う中、森に棲む謎の老婆(銀粉蝶)から、武時は「今宵からはあなたは北の館のお殿様、やがては蜘蛛巣城のご城主様」、義明は「あなたのお子はやがて蜘蛛巣城のご城主様」と予言めいたことを告げられます。最初は老婆の戯言と思っていた武時でしたが、国春に戦功により北の館の当主と任じられ、老婆の予言を妻の浅茅(倉科カナ)に話す中・・・。
映画は観たことがなく、シェイクスピアの「マクベス」は原書、翻訳ともに読んでいます。
2001年版の舞台は観ていなくて調べたところ、中村吉右衛門さん・麻実れいさんに、物の怪の老婆は池畑慎之介さん、中村歌昇(現 又五郎)さん、市川左團次さん、茂山宗彦さんの名前もあって、舞台美術は堀尾幸男さんと、まぁなんて豪華なこと!
「マクベス」の舞台は「NINAGAWAマクベス」はじめ、これまで翻案含めて10本以上観たのではないかしら。
赤堀雅秋さんの演出作品は個人的に当たりハズレが大きいのですが、こんな正攻法の時代劇で来たことにまずはオドロキ。
とはいえ、
声明のようなホーミーのような、時にはレゲエのようにも聞こえる不思議な響きの音楽。
スモークが煙り、いかにも魔物が蠢くような妖しげな蜘蛛手の森の舞台美術。
完全に和装ながら、細いプリーツの入った肩衣、袴やカラフルで現代的な柄の女性の打掛け。
マクベス=武時の命を絶つのは名もなき雑兵。
・・・などナド、随所にハッとするような演出があって、もちろんただの時代劇ではありません。
「マクベス」のストーリーはよく知っていて、はじめの頃は「三木義明がバンクォーね」「小田倉則安(長塚圭史)がマクダフか」とか、「あの場面はこういう風に描くんだ」といったように脳内で「マクベス」を反芻しながら観ていたのですが、そのうち目の前の舞台そのものにどんどん惹き込まれていきました。
「もし予言を信じずに生きていたら、どこにでもいる幸せな夫婦だったかもしれない。それが身の程知らずの夢を見て、滅びていく夫婦を泥臭く、青臭く描きたい」 と赤堀さんはおっしゃっていたそうですが、それは「マクベス」の普遍的なテーマと重なり、主役の二人(早乙女太一・倉科カナ)が若い分、”どこにでもいる人間が自分の本分を忘れて欲に翻弄される愚かしさ”がよりリアルに感じられて、そんな人間の業が哀しい。
心を病んでしまった浅茅は原作と違って自死せず、城を出て落ちのびる武時やごくわずかの家臣とともにあるのですが、狂気の中、空を見上げる浅茅を見て武時が「揚げ雲雀を見ているのであろう。妻は揚げ雲雀が好きであった」と言うのを聴いて、物語の冒頭に描かれた、笑顔を浮かべて揚げ雲雀を見上げていた浅茅と、それほど出世はしていないけれど穏やかな幸せの中にいた二人を思って涙があふれました。
雪が降りしきるラストシーンの切ないまでの美しさ。
これから”揚げ雲雀”と聞くたびに胸がきゅっとなってこの作品のことを思い出すに違いありません。
名もなき雑兵である百姓の五兵衛(赤堀雅秋)に殺される武時とともに、国丸(原作のマルカム)の最期も印象的でした。
一気呵成に蜘蛛巣城に攻め入り、自分が父の跡を継いで城主になると意気込む国丸を三木義照(義明の子)に討たれる場面。
義照は、森の老婆に「あなたのお子はやがて蜘蛛巣城のご城主様」と予言された子であり、父親にずっとそう言い聞かされてきたのでしょう。ここにもまた一人、”自分の本分を忘れて欲に翻弄される愚かしい人間”がいたのだと、虚しくも切なくもなりました。
鷲津武時は弓の名手という設定なので、あのキレッキレの美しい殺陣をあまり見られなかったのは残念でしたが、和装の舞台経験豊富で、所作の一つひとつまでも美しい早乙女太一さん。
激高したり、進軍を命じたりする大音量の台詞の熱量と迫力は言わずもがな、細かい心情を吐露する繊細な台詞もきちんと聴かせてくれるようになって感慨深い(←立ち位置(≧▽≦))
倉科カナさんの浅茅は、武時をそそのかす強気な面と、狂気を帯びた時に見せる透明感との落差が哀しい。
倉科さんの舞台を観るといつも思いますが声が綺麗で通りがよく、本当に台詞が聴き取りやすい。
”役者”としての赤穂雅秋さんや長塚圭史さんを観られたのもうれしかったです。
赤堀さんは最後に重要な役割を担う飄々とした百姓出の雑兵五兵衛、長塚さんは有能で思慮深い都築国春の重臣ながら武時に妻子を殺されて憎悪を膨らませる小田倉則安。
お二人とも抜群の個性で舞台に息づいていました。
長塚さんの台詞の声が好きだったことを改めて思い出したり。
国丸の新名基浩さんはお顔を見た瞬間に「空先輩だ!」(NHK朝ドラ「舞いあがれ!」の空山樹さん役)と思って、それからずっと空先輩にしか見えなくてコマッタ(^^;)
そしてそして、銀粉蝶さんの森の老婆の、魔女3人分を一人で担う圧倒的な存在感と妖しさ。
銀粉蝶さん、本当に蜘蛛手の森に棲んでいらっしゃるのでは?
太一くんのこんな舞台がまた観たいです のごくらく度 (total 2384 vs 2384 )
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こちらを拝読して、私が見たのはもう1か月以上も前なのに、舞台をありありと思い出しています。
都築国春・国丸親子は、ふっしぎな存在感がありましたね。というか、久保酎吉さん(大好き)、もう一役の細川の殿は「いかにも」だったけど、国春は最初、誰?と思ってしまいました。
とにかく配役の妙!(語り出したらキリがない)。浅茅の乳母役、佐藤直子さんには、長塚さんの「浮標」の「おばさん」が重なって、血のつながりはないけど無私の濃い愛情を思い、妹も含めて「女性の物語」部分の奥行きを感じました。
……と、スキップさまの文章にブンブン頷きつつ、割愛部分(?)の周辺事を書いてみました。
テレビで観る機会はあるでしょうか。でも、あの観劇感激はまさに一期一会!
久保酎吉さんの国春、ワタクシ、終演してキャスト確認するまで
細川のお殿様と同一人物だと気づきませんでしたのよオハズカシイ(*ノωノ)
そうそう、佐藤直子さん!
あの後どうなってしまったのだろうと心配にもなる乳母の佇まいが
とても印象的でした。
本当におっしゃるとおり、女性たちの物語でもありましたね。
映像で観たい気持ちもありつつ、ナマの舞台の感動をずっと大事にしたい
と感じる作品でもありました。