2022年02月23日
受け継がれる魂 コクーン歌舞伎 「天日坊」
再演が発表された時、「前に観たのって10年も前なの?!」ととても驚きました。
勘三郎さんが出演されない初めてのコクーン歌舞伎で、新しい時代への一歩を感じる舞台として、「コクーン歌舞伎 新機軸」と題して感想を書きました(こちら)。
あれから
勘三郎さんは二度とコクーン歌舞伎の舞台に戻ってくることはなかったけれど、その魂と情熱を受け継いだ者たちはこの10年の間に一回りも二回りも大きくなって、私たちの前に帰ってきました。
渋谷・コクーン歌舞伎 第十八弾 「天日坊」
原作:河竹黙阿弥 「五十三次天日坊」
演出・美術:串田和美
脚本:宮藤官九郎
照明:齋藤茂男
音楽:Dr.kyOn 平田直樹
出演:中村勘九郎 中村七之助 中村獅童 市村萬次郎 片岡亀蔵
中村虎之介 中村鶴松 小松和重 笹野高史 中村扇雀 ほか
2022年2月3日(木) 1:00pm シアターコクーン 1階 XB列(最前列)センター
(上演時間: 2時間55分/幕間 20分)
江戸時代の八代将軍徳川吉宗ご落胤騒動「天一坊事件」をモチーフに、鎌倉時代に舞台を移した物語。
法策(中村勘九郎)は孤児で、観音院(片岡亀蔵)という些か胡散臭い僧の下で下男の久助(中村扇雀)らとともに下働きをしながら修行中の僧見習い。ある日お三婆さん(笹野高史)から彼女の亡くなった孫が実は源頼朝のご落胤でお墨付きもある、しかもその孫は自分と同じ日の生まれという話を聞かされた時、法策の心に蒼い炎が芽生え、運命の歯車が回り始めます。お三婆さんを殺しお墨付きを奪いご落胤になりすまして鎌倉を目指す道中で、人丸お六(中村七之助)や盗賊地雷太郎(中村獅童)と出会い、法策こそ実は木曽義仲の子・清水冠者義高だという出自を知り、源氏の世を覆そうと鎌倉に向かいます・・・。
初演時、3時間25分だった上演時間を30分短縮、勘九郎さん法策が客席をずんずん分け入って来て私の目の前に立った平場席もありませんでした。
が、この作品の躍動感、激しさ熱さは少しも損なわれることなく、法策の生き様を通じて、人間の業、強さも弱さも脆さも切なさも、鮮烈に描き出してくれました。
舞台袖上手下手にバンドのブースが置かれ、生演奏が奏でられるのは初演と同じ。
下座音楽を一切使わず、トランペットやギター、パーカッションといった西洋楽器のみの演奏。特に、その時どきで法策の心象を表現するトランペットの音色が際立った印象を残します。
お三婆さんの家で、法策の心に「ご落胤になりすます」という悪魔の囁きが萌芽した瞬間のトランペットの響き。
自分自身の中に芽生えたその感情を「いやいや」と何度も自分で打ち消しても打ち消してももたげてくる思い。鳴り響くトランペットの高音とお三婆さんを絞め殺す法策の表情がシンクロして、緊迫感漲る場面。
そして一転、声も表情もガラリと変わる法策。
今回、幸運にも最前列だったこともあって、この場面の迫力に息が詰まる思いでした。
音楽でいえば、初演では幕切れの大立ち廻りで七人のトランペット隊が捕手と同じ黒装束で舞台奥にずらりと並んで演奏して、トランペットが奏でる哀愁あるメロディと、法策、お六、地雷太郎、の非業の最期が重なる場面が大好きだったのですが、今の状況下ではさすがにその演出は難しかったらしく、ブースでの演奏だったのはちょっぴり残念だったなー。
とはいえ、それであの大立ち廻りの迫力が減じられることはなく、今回もすばらしい気迫と緊張感、そして躍動感漲る殺陣が展開され、背中がゾクゾクしっぱなしでした。
いや、この立ち廻りを最前列で観る迫力たるや。地雷太郎やお六の刀が目の前スックと差し出されて座っているのに思わず後ろずさってしまうほど。
初演時もそうでしたが、今回も七之助さんお六の立ち廻りに目が釘づけ。
殺陣の激しさ、しなやかさ、残酷なまでの美しさ、そしてその死にざま・・・まさに私の目の前で、まるで地面に吸い付くようにバタンと体ごと倒れた時には思わず涙が。
そして、お六が死に、地雷太郎も息絶え、一人残って闘い続ける法策。
鬼気迫る目つきで刀を振りかざす勘九郎さん。まるで炎のようでした。彼の振り下ろす刀の一太刀ひと太刀が、「俺は誰だあっ!」という法策の魂の叫びのようにも感じられました。
勘九郎さん法策、七之助さんお六、獅童さん地雷太郎の3人が固定で、他は初演に出ていた役者さんも配役が違っていたり。
最も印象が変わったのは久助で、この役は前回白井晃さんが演じて、歌舞伎役者さんの中に入って独特の存在感を放っていましたが、今回の扇雀さんはよくも悪くも「歌舞伎役者が演じる久助」という感じ。後半で身バレした時の裃姿がピタリと決まるのもさすがでした。
この久助と組む、手下にあたる平蔵に小松和重さんを配したのもキャスティングの妙でした。
小松さん、飄々として歌舞伎役者さんたちの中に溶け込んでいるのですが、時折ヒヤリと短刀を突きつけるような声や表情を見せる凄味。
二幕冒頭で平蔵がひとり、一幕の流れを説明する場面はアドリブだそうで、「台本なんにも書いてないんだよ」とぼやいてらっしゃいました。
「歌舞伎に出るって親もすごく喜んだんだけどさぁ、これ歌舞伎なの?」ですって(^^ゞ
北條時貞の虎之介くんが、冒頭の遅刻して来る場面からちょっと半笑いのいかにもな佇まいで、そういえば前作「夏祭浪花鑑」の磯之丞もかんな感じだったなー、役を自分に引き寄せるタイプかなと思い至りました(多分褒めています)。
傾城高窓太夫の鶴松くんと、かわいいカップルでした。
初演の亀蔵さんに代わって今回お三婆さんと武士 鳴澤隼人の二役を演じたのは笹野高史さん。
コクーン歌舞伎の常連ですが、この作品の初演には出演されていませんでした。
お三婆さんでは後ろに下がるムーンウォーク?を見せて笑わせたかと思えば本当にお婆さんにしか見えない佇まい、一転して実直な侍と役者として振り幅の広さをまざまさと。
その亀蔵さんはいかにも胡散臭い観音院と侠客の雰囲気漂う赤星大八。
どちらも活き活きと楽しそうに演じていらっしいました。相変わらず声がいい。
美しく艶やかで激しい七之助さんお六はずっと大好きだし、隈取風メイクや大きな装束も映えていかにも剛の者といった獅童さんの地雷太郎の盤石さ。
そして、勘九郎さんの法策。
真面目に平凡に生きていた男がふとした弾みで魔がさして転がり落ちる道-闇に落ちてからも迷い、怯え、心は揺れてとても人間味のある法策。
天日坊としてまつり上げられた時の覚悟と自信に満ちた顔、そのすべてが崩れ去ってしまった時の虚無的で切ない表情・・・不安や怯えが狂気に変わっていく法策が哀しくも凄絶な美しさ。
高い身体能力を存分に発揮した殺陣はもちろん、七之助さんのお株を奪うような綺麗な海老ぞりも見せてくれました。
「私は特に中村屋さんだけを贔屓にして追っかけている訳ではありませんが、勘九郎さんの舞台は観ている方だと思います。すごくできる役者さんだということも、カッコイイことももちろん知っています。が、この舞台での勘九郎さんはこれまでのどの作品とも違っていました。結婚して親になって、襲名がありお父様のご病気があり、人生の経験と覚悟、役者としての修練が彼を一回りも二回りも大きくして、凄みすら感じられるほどです。役者として確かに次のステージに上がったと思いました。わずか半年前まで「勘太郎くん」と呼んでいたことが遠い昔のようです。」
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これ、10年前の感想に書いた文です。
あれから10年。
「死ぬ気で闘ってきた父たちの姿勢をしっかりと受け継いでいきたい」とあの時おっしゃっていた勘九郎さん。
その姿勢も魂も、勘九郎さんはこれ以上ないくらい見事に受け継ぎ、押しも押されもせぬ大黒柱となって、中村屋一門はもちろん、同世代の歌舞伎役者を牽引する存在となっています。
劇場前の幟
毎回同じとわかっていてもテンション上がってつい撮っちゃいます。
シートにはこんなメッセージも
早くこんな心配しないで観劇できる日が戻りますように。
いつか勘太郎くんや長三郎くんがこの魂を受け継ぐ日がくるのかな のごくらく度 (total 2273 vs 2269 )
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