
1912年にアルトゥル・シュニッツラーが発表した「Professor Bernhardi」を「1984」「オレステイア」などで知られるロバート・アイクが翻案、脚本、演出して2019年にロンドンで初演された作品。もちろん今回が日本初演です。
原作の戯曲は当時実際に起きた事件を元に書かれたものだそうですが、主人公を男性から女性に置き換え、医療と宗教の対立だけでなく、人種やジェンダー、LGBT、階級格差やSNSなどの問題も盛り込んで、非常に現代的な作品となっていました。
パルコ・プロデュース2021
「ザ・ドクター」 the DOCTOR
作: ロバート・アイク
翻訳: 小田島恒志
演出: 栗山民也
美術: 松井るみ 照明: 服部基
音楽: 国広和毅 衣装: 西原梨絵
出演: 大竹しのぶ 橋本さとし 村川絵梨 橋本 淳 宮崎秋人
那須 凛 天野はな 久保酎吉 明星真由美 床嶋佳子 益岡 徹
2021年12月2日(木) 3:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
1階C列センター (上演時間: 2時間50分/休憩 20分)
イギリス最高峰の医療機関 エリザベス研究所。
所長のルース・ウルフ(大竹しのぶ)は、自ら妊娠中絶を行い敗血症で死の危機に瀕した14歳の少女の治療にあたる中、飛行機で移動中の両親からの依頼で臨終の典礼を授けるようとやって来たカトリックの神父 ジェイコブ・ライス(益岡徹)の入室を拒否します。少女が亡くなり、神父はその死に立ち会えず典礼を拒絶されたことを公にすると言って去ります。やがて、出資者や世論は彼女を断罪しようとする方向に高まり、研究所の医師たちも医学上、宗教上の主張により対立します。そんな中、医師としての信念を貫こうとするルースは、テレビのディベート番組へ出演して・・・。
舞台中央に大きなテーブルと数脚の椅子がある、無機質な雰囲気の部屋。
ここが病院のカンファレンスルームになったり、ソファなどのセットを少し加えて照明を変えて、ルースの自宅のリビングルームになったりして、ディベートの場面以外はこのセットで物語は展開します。
病院の場面では椅子に座った人を乗せたままテーブルと椅子がゆっくり回転するのですが、それだけでパワーゲームの変化を表しているようにも見えて、不気味にも感じる雰囲気を醸し出していて、舞台装置の力を見せつけられた思い。
「私は医師です」
というルースの言葉で始まり、この言葉で終わる物語。
カトリックとユダヤ教、白人と黒人、そしてユダヤ人、ジェンダー、性的マイノリティ、医師同士、医師と神父、医師と患者とその家族、研究所内の権力闘争・・・様々な確執が絡み合い、まるで公開処刑のようなSNS社会も反映して、現代の私たちに起こり得る問題がこれでもかと降ってきますが、どれ一つ解決することなく幕が下ります。
何が正解とか誰が正しいとか、ひと口に片付けられる問題ではないことは重々承知していますが、もがき苦しみながらも最初から最後まで医師として立とうとし続けたルースが10年間の医師免許停止という処分を受け、職を失い、「チャーリーに会いたい」と号泣して終わる結末は何とも救いようがなくて痛切。
ルースはユダヤ人ですがユダヤ教徒ではなく(カトリックでもない)、過去に中絶経験があり、家にいるチャーリー(床嶋佳子)は彼女の亡くなった”パートナー”の幻影・・・というかルースの心がつくり出したもの?・・・だということが物語の中で徐々に明らかになります。
医師としての信念と誇りを持った有能なドクターであるルースは、それでも決して完璧な人間ではなく、時折見せる弱さも、つい感情に走ってしまうところも、とても人間的。
ディベートで亡くなった少女の中絶について聞かれ、「医師としての守秘義務があります」とずっと突っぱねていたのに、つい相手の挑発に乗って激高して「自分で掻き出したのよ」なんて言ってしまったり、自分を裏切った保険担当大臣(明星真由美)を汚い言葉で罵ったり。
ディベートではもう一つ。
「自分の家に遊びにくる女の子」のことを自ら話すのですが、「もとは男の子だったけど今は女の子なの」という発言に、「それ、明らかにサミ(天野はな)のことだけど、そんなの初耳だし、第一そんなデリケートなこと、公共の電波で言ってしまっていいの?」ととても驚きました。
もちろんいい訳はなくて、”両親はそのことを知らなかった”サミは深く傷つき、ルースの医師免許を粉々に破って彼女に怒りをぶつけたのでした。チャーリーを除いてはただ一人、心通わす友人であったはずのサミ・・・あの場面は観ていて本当につらかったな。
それでも、サミと入れ替わりに、対立する立場だったライス神父が訪ねてきて、彼は真実が世論によってより湾曲された方向へ向かったことを理解してそれを是とはしていないことが見て取れて、少し救われた思いでした。最初の出会いのボタンのかけ違いがなかったら、もっと理解し合える二人だったのかもしれません。だからルースも心の中にいるチャーリーのことを話す気持ちになったのではないかしら。
チャーリーといえば、主筋にはあまり影響しないかもしれませんが、彼女のアルツハイマーが重症化していく過程の話で「記憶は箪笥の引き出しのようなもので、一番下に一番古い記憶、その上に新しい記憶を積み重ねて、一番上が一番新しい記憶。この病気はその一番上の引き出しに火をつけるようなもの。新しい記憶から順に灰になっていくの」といった趣旨のことを言ったルースの言葉が、身近にそういう人を見ている身にはとても響きました。
全員が台詞の応酬のような聴きごたえのある舞台でしたが、いかにも切れ者の医師でクールな口調から感情を吐露する激しさまで、緩急自在の大竹しのぶさん、冷静な神父と娘の死に逆上する父親を演じ分けた益岡徹さんはじめさすがの役者さん揃いで、皆さんすばらしかったです。
保身に走る感じがいかにもこんな政治家いそうな保健担当大臣の明星真由美さん、医師とは別の立場で冷静な判断をパキパキこなす広報担当レベッカの村川絵梨さん、ことの成り行きを黙って見つめながらルースに反対の立場を取る若手医師の那須澟さんも印象的でした。
ただ、正直なところやはり私は、白人と黒人、同じ白人でもユダヤ人との確執の根深さや、カトリックとユダヤ教という宗教の問題、そしてもしかしたらLGBTについても、肌に感じるレベルでは理解できていないのではないか、理解していたらもっともっと心に響いたのではないか、と、そう感じた舞台でもありました。
「パーティなんかの不特定多数の人の前では政治と宗教の話はしちゃダメよ」・・・学生時代、アメリカにホームステイ行く前に先輩に言われた言葉をなぜか思い出しました のごくらく地獄度



