「炎 アンサンディ」(2014年・2017年)、「岸 リトラル」(2018年)につづくワジディ・ムワワド氏の“約束の ⾎ 4部作”シリーズ第3弾。
1871年から2010年まで、8世代 140年にわたる血族の物語が時空を超え、時代を交錯して繰り広げられ、幕が進むにつれてパズルのピースをはめ込むように輪郭がクリアになる、演劇的快感に満ちた作品。とても観応えありました。
心に響く重いテーマに泣いてしまったけれど、魂の救済を感じられるラストもよかったです。
これまで上演された2作の観劇レポ:
「炎 アンサンディ」
「岸 リトラル」
「森 フォレ」
作: ワジディ・ムワワド
翻訳: 藤井慎太郎
演出: 上村聡史
美術: 長田佳代子 照明: 沢田祐二 衣裳: 半田悦子
出演: 成河 瀧本美織 栗田桃子 前田亜季 岡本玲 松岡依都美
亀田佳明 小柳友 大鷹明良 岡本健一 麻実れい
2021年8月8日(日) 1:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
1階D列(2列目)下手
(上演時間: 3時間40分
1幕 1時間/休憩15分 2幕 1時間/休憩10分 3幕:1時間15分)
物語の発端は2010年カナダ・モントリオール。
20歳になったルー(瀧本美織)は5年前に亡くなった母のエメ(栗田桃子)が命の危険を冒して自分を産んだこと、そして母の脳内にあった悪性腫瘍が不思議にも人の骨だったことを父 バチスト(岡本健一)から聞かされます。ルーのもとを訪れたフランスの古生物学者 ダグラス(成河)から、彼の父がダッハウ強制収容所で採取した遺骨がルーの母 エメの脳に出現した骨と一致することを聞かされ、ルーはダグラスとともにセントローレンス河畔の施設に住む、母を捨てた祖母 リュス(麻実れい)に会いに行き、リュスの母が第二次世界大戦をレジスタンスとして生きたリュディヴィーヌ(松岡依都美)であることを聞かされます。偶然に導かれながら、ルーはダグラスとともにフランスへ、自らのルーツを探る旅へと向かい・・・。
ロビーに「登場人物関係図」が置いてあり、開演前にサラリと目を通す(え?これ全部?と少しビビる) → 1回目の幕間に目をこらして熟読 → 2回目の幕間にまた熟読(「ほほぅ~」と唸る不肖スキップ)。
1. エメの脳
2. レオニーの血
3. リュスの顎
4. オデットの腹
5. エレーヌの肌
6. リュディヴィーヌの性器
7. ルーの心(心臓)
と名づけられた場面が、1幕:1 2 2幕:3 4 3幕:5 6 7
と展開しますが、これを時系列の順にすると、4→5→2→6→3→1→7 となります。
異なる時代の場面が舞台の奥と手前で同時に進行したり、エドモンという役を老年(大鷹明良)と若者(亀田佳明)の2人が同じ場面で同時に演じたり、同じ役者さんが時代も違う別の人物にパッと切り替わって演じ分けたりと、複雑に入り組んだ構造になっていますが、緻密な脚本と演出、そして役者さんの演技力のおかげで混乱することはなく、やがてすべてが繋がって、物語の全体像とテーマが浮かび上がってくる構成。
終始緊張感に満ち、とても濃密な舞台でした。
普仏戦争でドイツに加担して財をなしたケレール一族に端を発して、第一次世界大戦、第二次世界大戦、ベルリンの壁崩壊、モントリオール理工科大学銃乱射事件を経て現在へと至る歴史は、まさに“戦争の世紀”で、戦争がいかに人を、家族を、愛し合う者たちを破滅へと導いていったかが容赦なく描かれていて胸が詰まります。
どのエピソードも心に残りますが、特に印象的な場面を2つ。
ひとつは、「エレーヌの肌」から「レオニーの血」に至るアルデンヌの森の場面(上演は逆の順番)。
近親相姦、息子による父親殺害、レオニーが「怪物」と呼ぶ双子の片割れによって穴に閉じ込められた母親、心を蝕まれていくエドモン・・・まるでギリシャ悲劇を思わせる展開があまりにも凄惨で、観ているのが苦しくなるほど。
「エレーヌとは血がつながっていないから」とアルベールが言うたびに「いや、あなたの腹違いの妹だから」と暗澹たる気持ちにもなりました。
このアルデンヌの森が作品のタイトルにもなっていますが、文字通り“森”そのものであり、また、閉ざされた空間、人間の”性”という動物的本能、樹々の枝のように絡み合う血縁といったもののメタファーであるようにも感じました。
その森で生まれたたった一つの希望のようなレオニーの娘・・・フランス語で「光の女神」を表すリュディヴィーヌと名づけられた子がルーの祖母 リュスが告げた母親の名でした。
そして、「リュディヴィーヌの性器」で明らかになる真実。
フランスのレジスタンス活動家となったリュディヴィーヌは、ゲシュタポが迫りくる中、お腹に子を宿している親友のサラ(前田亜季)と身分証明書の写真を張り替え、彼女を逃がし、自らは捕えられアウシュビッツで処刑されるのです。
「そんなことはできない!」と涙ながらに拒絶するサラ。
「自分はインターセックスなので子供を産むことはできない。でもあなたの子供を守ることはできる」と強い意志で訴えるリュディヴィーヌ。
ゲシュタポがすぐそこに迫る場面で激しく交わされる会話の緊迫感と、命を守るという崇高なまでのリュディヴィーヌの思いに涙があふれました。
この作品全編を通じて繰り返されてきた「あなたを見捨てない」「約束する」という言葉が、ここへ来て胸に突き刺さります。
そうして守られた命が、奇跡のようなリレーでカナダに渡り、リュスとなった・・・。
楕円形の少し傾斜のかかった舞台。
木目が入っていて、それが年輪=積み重ねられた年月を表しているのだとか。
装置はシンプルで、ベンチやテーブル、ベッドなどが代わる代わる出てくるくらい。
でもそこが、リュスがセントローレンス川を眺めながら佇む丘になったり、人が足を踏み入れることのない奥深い森になったり、ゲシュタボが迫りくる秘密基地になったり。役者さんの演技力で鮮やかに見せてくれます。
瀧本美織さんを舞台で拝見するのは「ヤングフランケンシュタイン」(2017年)以来かな。
ちょっと誰かわからないようなパンク娘メイクでキンキンに尖っているルーが、真実を知るにつれて揺れ動いたり成長している姿に好感。声もよく通って台詞もクリアでした。
そんな感情の起伏が激しいルーを穏やかに受け止める包容力のあるダグラス 成河さん。
何だかこんな成河さん、新鮮でした。終始抑えめな演技で、ときどきほっこりするような笑いの場面も。
この2人以外の9人の役者さんが様々な場面で複数の役を鮮烈に演じ分けてすばらしい。
中でも麻実れいさんの独特の存在感。
人生を諦念したようなリュスがルーに語る、歯を全部抜かれたいきさつや、「どうして迎えに来なかったの?」という母への思いの哀しさ。
リュスの母 サラは迎えに来なかった訳ではなく、ちゃんと会いに来たけれど、自分の命を犠牲にしてサラ親子を守ったリュディヴィーヌのことを「あなたのお母さんの名はリュディヴィーヌ」と伝える場面の切なさ。
リュスの娘 ”エメ”はフランス語で「愛する」という意味ですが、これはずっと母の愛を求めていたリュスが思いを託して娘につけた名前なのかな。
・・・とするとエメはどうして自分の娘にルー:狼 なんていう名前をつけたのだろうと思ったり(笑)。
麻実さんの加役 資料館の女性は一瞬、誰?という感じで思わず笑っちゃいました。
すべてを知ったルーが見せる、物語のはじめとは打って変わった穏やかな表情に救われる思い。
ダグラスから贈られた真っ赤なコートを羽織るルーの頭上に幾重にも降ってくる赤い花吹雪。
冒頭の厳寒のモントリオールに吹雪いた白い雪と対称になっていて鮮烈。
ずっと色のないような暗いトーンが続いた後の鮮やかな赤は、ルーの心に訪れた春のようにも感じました。
体調あまりよくなくてかなり寝不足だったけれどピクリとも眠くなりませんでした のごくらく度


