2020年12月06日
我ら役者は影法師 「真夏の夜の夢」
我ら役者は影法師
皆様方のお目がもし
お気に召さずばただ夢を
見たと思ってお許しを
拙い芝居ではありますが
夢に過ぎないものですが
皆様方が大目に見
お咎めなくば身の励み・・・
ラスト 聞き慣れたパックの口上を役者さんたちが一節ずつ語り、横一列になって手をつないでゆっくりと舞台奥から前方に出てきた時、ぶわっと涙があふれました。
自分でも不思議な感情。
本当に、一夜の夢のような ナマの舞台が私は大好きで、今年はこんな状況になってたくさんの公演が中止になったり観に行けなかったりして、それは仕方のないことと納得していたつもりだったけれど、自分でも気づいていない悲しみの澱のようなものが心の奥底に沈んでいて、そこにパックの言葉がしみ入ったのだと思います。
最前列でしたので、涙をぬぐいぬぐい拍手する私をキャストの皆さまが珍しいものを見るようにご覧になってた気が・・・(^^ゞ
「真夏の夜の夢」
原作: ウィリアム・シェイクスピア 小田島雄志訳「夏の夜の夢」より
潤色: 野田秀樹
演出: シルヴィウ・プルカレーテ
舞台美術・照明・衣裳: ドラゴッシュ・ブハジャール
音楽: ヴァシル・シリー 映像: アンドラシュ・ランチ
出演: 鈴木杏 北乃きい 加治将樹 矢崎広 今井朋彦 加藤諒
長谷川朝晴 山中崇 河内大和 土屋佑壱 浜田学 茂手木桜子
八木光太郎 吉田朋弘 阿南健治 朝倉伸二 手塚とおる 壤晴彦
2020年11月21日(土) 1:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
1階C列(最前列)下手 (上演時間: 2時間)
シェイクスピアの「真夏の夜の夢」は、「目を覚まして最初に見たものに恋してしまう」という恋の媚薬を妖精パックが間違えて塗ってしまったことから巻き起こる2組の若い男女と妖精の王・女王の恋のドタバタを描いたファンタジーコメディですが、今回上演されたのは野田秀樹さん潤色版。
物語の舞台は創業130年の割烹料理屋「ハナキン」。
ハーミアはその料亭の娘ときたまご(北乃きい)、恋人のライサンダーは板前ライ(矢崎広)、許婚のデミトリアスは板前デミ(加治将樹)、デミトリアスに恋するヘレナはそぼろ(鈴木杏)、アーデンの森は富士山の麓の「知られざる森」となって、彩り豊かで重層的な物語が展開します。
野田秀樹さんの「真夏の夜の夢」といえば、大竹しのぶさんのそぼろ、毬谷友子さんのときたまご、デミとライは唐沢寿明さんと堤真一さんという超豪華キャストだったなぁと思い返して調べたら1992年。おぅ、28年も前だったのかと驚愕(もちろんこのブログ始めるはるか前)。
野田版の最大の特徴は、「ファウスト」の悪魔メフィストフェレス(今井朋彦)が登場してパック(手塚とおる)に取って替わること。しかも明確な“悪意”を持って。
パックを閉じ込めたメフィストは、たとえば欲望や野心、嫉妬や憎悪といった人々が「コトバにならず呑み込んだコトバ」を契約によって実現させていきます。人々の憎悪を増幅させることで、妖精たちが棲む「知られざる森」を焼き尽くすために。
人々は次々とメフィストと契約を交わし、メフィストに人生を“演出”され、世界は闇に包まれていきます。
妖精たちが棲む森は、人間の夢であり希望のメタファーでもあるのかな。
誰がメフィストを森に呼んだのか-
この“真夏の夜の夢”を見ていたのはそぼろ。
この夢は自分が呑み込んだコトバ、つまり彼女自身の願望からつくり出されたものだと気づいて愕然とするそぼろ。
だけど
メフィストと結んでしまった契約を破棄することができるのもやはり言葉。
タイテーニアに「人間が呑みこんだコトバはゴミばかりではない」と言われ、コトバを紡ぐそぼろ。
そぼろが紡ぎ出す美しい物語に心を動かされ、癒され、涙を流すメフィスト。
メフィストの流した涙が燃え上がった森の火を静かに鎮め、妖精たちもそぼろの目には見えなくなるラストは、切なくも美しいシーでンでした。
人が呑み込んだコトバによって発生したメフィストの行動が、やはりそのコトバによって鎮められるというのは、いかにも言葉を大切にする野田秀樹さんらしい物語の収束です。
シンプルでスタイリッシュな舞台。
劇中劇の「不思議の国のアリス」よろしく、メフィストが巨大化したりパックが電子レンジの中に閉じ込められたり、映像を駆使した演出。メフィストは黒、パックは白と明確に対比した衣装、その他の人々や妖精はカラフル。森で最初にあのふわふわしたものたちの中から妖精が次々と出てくるシーン、かわいかったな。
「森で不思議なことが起こるのは”気のせい”ではなく”木の精”のため」といった野田秀樹さんの言葉遊びは随所に。
原作で、豆の花、蜘蛛の巣、蛾の羽根、芥子の種という妖精たちの名前が年の精、目が悪い精、あたしの精、夏の精かしら、耳が悪い精というのもよくできてるなと改めて思います。
「見えないものを見せるから芝居なんだ」とか、今聴いてもゾクゾクしちゃう台詞がたくさん。
そうそう、メフィストが自分は演出家と言った時に、ハナキン出入り業者たちが「演出家?」「灰皿投げる人のことだよ」って言ったの、笑っちゃいました。野田さんもケラさんもこの手の蜷川さんイジリお得意ですよね。キャハハと笑いながら「蜷川さん演出のシェイクスピア また観たいよぅ」とちょっとキュンとなっちゃった。
私には珍しく、出演者はある程度把握していたのですが、配役までは事前にチェックしておらず、「手塚とおるさんがパックなのっ!?」「え?タイテーニア、加藤諒くんじゃん!」と驚いてばかりいた中、メフィストフェレス=今井朋彦さんの「そうだよね~」感。
冷淡で傲慢で自信満々。圧倒的な存在感と何ともいえない“人外のもの”感。そこに立っているだけでまさにメフィストでした。
森に行こうとする人たちをせせら笑いながら、「富士の山をここに呼びつければいいものを!」とあのいい声で言い放つのシビレル(悪役フェチ)。
いい人っぽいけれど何とも頼りない手塚とおるパックとの対比も鮮やか。
加藤諒くんのタイテーニアは真面目に演じておかしさを醸し出す感じがよかったです。
カーテンコールの時、最後までずっと片脚折って“女優”としてお辞儀していました。
ハナキン出入り業者(長谷川朝晴さん、山中崇さん、河内大和さん)や妖精たち(浜田学さん、阿南健治さん、土屋佑壱さんほか)といった人たちはメイクや拵え、森の暗さなどからパッと見は誰が誰だかわからない(笑)という贅沢な使われ方だったなー。
そして、そぼろの鈴木杏さんがすばらしかったです。
デミにどんなに邪険にされてもただ従順に・・・と見えながら実は心に闇を抱えているというあたりも説得力があって、ラストに“コトバ”でメフィストを追い込んでいく様も圧巻でした。表情豊かでチャーミング。どんなトーンでもよく届く台詞。はける時、ポーンポーンとバレエのグランジュッテみたいに跳ぶ軽快さ、走りかけた姿勢でストップモーションになる時のブレなさ。全身を使って表現する女優さんだなと改めて感じました。
この公演は東京芸術劇場30周年記念公演で、ルーマニアの演劇界を代表する演出家 シルヴィウ・プルカレーテさんとの共同制作。
コロナ禍でプルカレーテさんは来日できず上演も危ぶまれた中、リモートで稽古し、9月末にやっと来日し経過観察期間を経て初日直前の舞台稽古に合流することができたそうです。
そんな状況下、10月5日に東京で開幕し12月5日の大千穐楽まで、新潟、松本、兵庫、札幌、宮城と巡ってすべての公演を無事に終えられたこと、本当におめでとうございます。
皆様 お手を願います パックがお礼を申します のごくらく度 (total 2182 vs 2181 )
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