2020年10月24日
げつよ~うび そらはあお 「ゲルニカ」
「ゲルニカ」という言葉を私が最初に知ったのは、ピカソの絵画です。多分中学校時代の歴史か美術の教科書だったと思います。
それがスペイン バスク地方に実在する地名で、戦時下における無差別攻撃の象徴ともいうべき存在だと知ったのは後のこと。
そのピカソの「ゲルニカ」の絵が断片的にカメラの連写のように次々とスクリーンに映し出され、その上からまるで血の雨が降るように舞台一面に真っ赤な紗幕がゆらりと舞い降り、ゲルニカの町も人々も呑み込んでしまうクライマックスシーンは、息をのむ思い。知らず知らずのうちに涙があふれました。
PARCO THEATER OPENING SERIES
「ゲルニカ」
作: 長田育恵
演出: 栗山民也
美術: 二村周作 照明: 服部基
音楽: 国広和毅 衣装: 前田文子 映像デザイン: 上田大樹
出演: 上白石萌歌 中山優馬 勝地涼 早霧せいな 玉置玲央 松島庄汰
林田一高 後藤剛範 谷川昭一朗 石村みか 谷田歩 キムラ緑子
2020年10月11日(日) 1:00pm 京都劇場 2階2A列センター
(上演時間: 2時間50分/休憩 20分)
物語の舞台は1936年 スペイン内戦時代。バスクの聖木が立つ町 ゲルニカ。
人民戦線軍とファシズム勢力が激突し市民戦争が本格化する中、元領主の娘で何不自由なく育ったサラ(上白石萌歌)の婚礼の日、フランコ将軍によるクーデターが起こり、婚約者テオ(松島庄汰)も自ら戦線へと赴きます。母マリア(キムラ緑子)の実子ではなく父親とジプシーの間に生まれた子という出自を知って家出し、街の食堂に出入りするようになったサラは人民戦線軍の兵士や海外特派員のカメラマン クリフ(勝地涼)、女性記者レイチェル(早霧せいな)たちと触れ合う中で激戦の事実を知るようになります。そんな中、暗い影を背負う青年イグナシオ(中山優馬)と恋に落ちますが、イグナシオは密かに爆撃工作を進めるドイツ軍のスパイでした。
そして運命の1937年4月26日 定期市でにぎわう月曜日・・・。
幕が上がると、出演者全員が舞台に横一列に並び、フラメンコを思わせるクラップや足踏みの中、♪月曜~日 空は青 と今日がよく晴れた月曜日で、市が立つ日だと歌います。
ゲルニカのいつもの月曜日を歌った曲。この曲が穏やかで牧歌的であればあるほど、その月曜日にゲルニカの町を、人々を襲う悲劇が一層際立ちます。
この歌は、一幕終わりと二幕の最後にも繰り返されて、この作品を観て以降、月曜日がくるたびに ♪げつよ~うび と一人で歌っているアカウントがこちらになります。
保守的な母のもとを離れ、国や社会の現実と向き合って精神的に自立していくサラの成長物語であるとともに、大きな時代のうねりの中で、民族間の複雑な確執や対立、他国の介入、信仰や宗教の問題、血統や人種差別、そして報道の使命にまで斬り込んだ盛りだくさんの内容。
最も衝撃を受けたのは、「戦意喪失させるためには最前線の兵士ではなく、民衆を攻撃すること」というナチス・ドイツの戦略を言葉(台詞)として聞いた時。これ、ぼんやりとわかってはいたけれど、こうしてはっきり言葉で聞くのは初めてかもしれません。
軍事目標ではなく一般市民を標的とする空爆が実行されたのは1937年のこのゲルニカが世界で初めてで、その延長線上に1945年のヒロシマ、ナガサキがあり、そして今も脈々と続く民族の悲劇につながっていることを思うと言葉をなくす思いです。
1937年4月26日。市場が開かれている月曜日。
いつもと変わらない月曜日が突然、ドイツ軍の爆撃によって惨劇へと姿を変える、冒頭にも書いた空爆のシーンの鮮烈さ。
ピカソが描く「ゲルニカ」の断片と赤い紗幕が凄まじいまでの迫力で目に胸に迫りました。多分これから「ゲルニカ」という言葉を耳にするたびにあのシーンを思い返すに違いありません。
突然奪われてしまう“市井の人々”の命、その人生。
それを象徴する存在がサラ。
イグナシオとの間のおなかの子にバスク語で「希望」を意味するエスペランツァという名前をつけたサラ。
何の罪もなく希望を奪われた人々・・・「戦場で命を奪うものは希望」と言ったのはクリフだったでしょうか。その言葉の苛烈さ。
もう一つ、印象に残った台詞が、「どんな悲劇も誰かが書き残さなければ忘れられ、あるいはなかったことにされてしまう」といもの。
この「都合の悪い史実をなかったことにする」問題はこれまでにも様々な演劇で採り上げられていて、NODA・MAP「贋作・桜の森の満開の下」のオオアマによる「日本書紀書き換え」も記憶に新しいところ。
空爆の直後にこの壁画を描き残したピカソ。
その勇気と情熱を今の私たちは、日本という国は、持っているだろうか、と問われているようにも感じました。
勝地涼さんのクリフと早霧せいなさんのレイチェルが記事の書き方や報道のあり方について議論するシーンが何度かありましたが、報道の限界に疲弊しつつも「何とか世界に真実を伝えよう」とする姿勢に共感。
サラの上白石萌歌さん。
世間知らずのご令嬢が、出生の秘密や根強く残る階級問題、戦争の真実などを知って成長していく様を凛と表現。透明感のある歌声はもちろん、台詞も口跡よく聞き取りやすかったです。
舞台で拝見するのは多分初めて。実はいまだにお姉様の上白石萌音さんとあまり区別がついていません。ごめんなさ~い💦
どこか影のある雰囲気がよくハマっていたイグナシオの中山優馬くん。
空爆が間近に迫った日、サラにただ「ゲルニカから出ろ。逃げろ」としか言えないイグナシオが切なく哀しい。
圧倒的な存在感を放つキムラ緑子さんのマリア、神職の強さも脆さも表現してみせた谷田歩さんの神父パストール、サラはもとより店に集まる人々を広い心で受け容れる食堂の主人イシドロの谷川昭一朗さんはじめ役者陣は盤石。
ただ、今回2階席だったせいか、ストプレ向きでない劇場(だど私は思っている)のせいか、台詞が聴き取りにくいキャストが何人かいたのは残念だったなー。
視覚、聴覚、様々な面から重層的に物語を紡ぐ栗山民也さんの演出。
シンプルな舞台装置、マリアとパストール神父、マリアとサラが話す時に床に映る大きな十字がとりわけ印象的だった美しい照明、ゲルニカの絵のフラッシュバックのような映像、カスタネットがリズムを刻む音楽と、さすがに一流揃いのスタッフがつくり上げた舞台でした。
カーテンコール
下手袖にはける直前に勝地涼くんが中山優馬くんを立ち止まらせて客席に向かってお辞儀させてアピール、というのを何回もやっていて、何だかいいあんちゃんでした。「涼くん、大人になったなぁ」としみじみ(何様)。
できればもう少し小さい劇場で観たかったです(劇場大事) の地獄度 (total 2168 vs 2168 )
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