2020年08月16日
何人たりとも我々から奪うことができないものがある 想像力だ 「大地」
「1924年 日本最初の劇場である築地小劇場は銅鑼の音で幕を開けたそうです」に始まった三谷幸喜さんの開演アナウンスが、「役者がいてホンがあって観客がいれば、演劇の灯が消えることはないのです」という言葉で締めくくられ、上手に銅鑼を持った黒衣が登場してジャ~ンと銅鑼の音が響いた瞬間、涙がぶわっとあふれました。
大地 Social Distance Version
作・演出: 三谷幸喜
美術: 堀尾幸男
照明: 服部基 衣裳: 前田文子
出演: 大泉洋 山本耕史 竜星涼 栗原英雄 藤井隆 濱田龍臣
小澤雄太 まりゑ 相島一之 浅野和之 辻萬長
2020年8月12日(水) 7:00pm サンケイホールブリーゼ 1階E列下手
(上演時間: 2時間50分/休憩 15分)
舞台は独裁政権下のとある共産主義国家で反政府主義のレッテルをはられた俳優たちが集められた強制収容所。
隙間だらけ木の板が壁に打ち付けられたバラックのような部屋に8つのベッドが枡形に仕切られて置かれています。
ここに新しい入居者 ブロツキーが送られて来たところから物語は始まります。
この部屋の住人たちは
映画界の大スター ブロツキー(山本耕史)、女形役者のツベルチェク(竜星涼)、大道芸人のピンカス(藤井隆)、演劇大学の学生 ミミンコ(濱田龍臣)、俳優と演出家を兼ねる理論家のツルハ(相島一之)、国際的に知られたパントマイムの名手 プルーハ(浅野和之)、大劇団を率いた座長であり名優のバチェク(辻萬長) そして、チャペック(大泉洋)。
チャペックはせりふのある役を演じたことがない無名の俳優ながら舞台裏のことなどを何でも器用にこなし、ここでは目端がきいて役人への対応にもそつがなく皆の世話役のような役目を担っています。
この棟の指導員ホデク(栗原英雄)は芝居好きで、夜は俳優たちを使って自作の芝居の稽古をするなど役者への理解を示す中、ツベルチェクが、彼に性的な興味を持つドランスキー(小澤雄太)に呼び出されるという事件が起こります・・・。
「演じること」を取り上げられ、昼間は豚の飼育と農作業、夜は思想教育が課せられる俳優たち-
思想や独裁政権を「新型ウイルス」に置き換えると、とても時宜を得た作品であることに驚きます。
もちろんこのような状況になる前に書かれた作品ではありましょうが、「演劇」や「演じること」、そしてそれを「観ること」を抑圧された今の私たちと、何とシンクロすることか。
物語を回想形式で進めるミミンコが、「人生最高の晩餐といえば僕は今でもあの時のことを思い出す」と語る一幕ラスト。
全員でツベルチェクを説得する形でドランスキーのところへ行かせ、彼が帰ってきたところで全員に褒美にもらったゆで卵をチャペック以外は食べることを断固拒否し、怒ったホデクから全員夕食抜きを言い渡されます。
すると、「夕食抜きか、しょうがないなぁ~」とカバンからパントマイムで酒とグラスを取り出し酒盛りを始めるプルーハ。
それに呼応するように、バチェクが、ツルハが、ブロツキーが、ピンカスが、それぞれ持ち寄った見えない料理でワインで、豪華な晩餐を始めるのです。ブロツキーがエアライフルで鴨を撃って、それをピンカスが料理して・・・。
そして、バチェクがホデクに言い放つ言葉
「何人たりとも我々から奪うことができないものがある。想像力だ」
胸がいっぱいになってまた涙が出ました。
役者さんの想像力。
観客の想像力。
そうよ、これよ。これが観たかったのよ!
これに対して二幕ラストはかなり切なく苦い。
ドランスキーを騙したことが露見し、罰として8人のうちの1人だけ、「谷の向こう」へ移されることになります。そこには過酷な労働が待っていて命の保証はありません。
誰が行くか?を自分たちで決めるよう命令されるものの決まらず、ホデクが選んだのはチャペック。他の俳優たちと違って演技に特別な才能や能力がないから。
「どうして俺が?」と訴えるチャペックに対して、それまで「僕が行く」「いや私が」と名乗り出ていた誰もが口をつぐみ首をうなだれます。
「命」という大事の前に、それまで見せていた心意気も人間性も影を潜めてしまう姿がやり切れなくも哀しい。
そんな彼を非難し、絶望し、それでも虚勢を張って「絶対生きて帰ってきて、お前らをぶん殴るからな」と言い放って去るチャペック。
「役者」における「才能」の残酷さを見せつけられる思いでしたが、ここで思い出したのはやはり三谷幸喜さんの「コンフィダント・絆」(2007年)
画家としての才能を持つ持つものと持たざるものの切なさを描いた作品ですが、自分に絵の才能がないことすら気づかないシュフネッケル(相島一之)が哀しかったなぁ・・・。三谷さんはいつも「才能を持たないもの」への視線が厳しくも温かい。
チャペックが去った後、ホデクに促されて再び芝居の稽古を始めたバチェクが「もうできない」「我々は一番大事なものを失ったのかもしれないな・・・観客だ」と言って、スポットライトに浮かぶいつもチャペックが座っていた箱馬に涙。
(あ、チャペック、舞台監督じゃなくて観客だったの?と少し思いましたが・・。)
それから5年後、政権が変わり俳優たちは開放されたけれど二度と舞台に上がることはなかった、ブロツキーは映画には出続けているけれどもうヒーローの役をやることはなかった、というミミンコの語りに、彼らの心の傷の深さが思いやられます。
そこに重なるように、かつてチャペックが夢見ていたとおり、劇団を作り、荷車を押して旅公演をする楽しそうな8人が舞台を横切って、その姿にまた涙。
このラストに至る彼らの企みは、「ミミンコと恋人ズデンガ(まりゑ)の逢瀬にドランスキーの部屋を提供してやり、その間ドランスキーを収容所棟に引き留めておく」というもので、観ていても「えぇ~、そんなん、大丈夫なん?」と心配するくらいでしたが、その芝居の面白さに惹き込まれてそんなこと忘れてしまいました。
ここ、三谷さんの役者さんのための場面であるとともに、観客への特別なプレゼントのように感じました。
特に、辻萬長さん演じるバチェクの一人語り。
いや、芝居なんだけど、相手(この場合、ドランスキーね)の芝居を全く受けない、というか相手の言うことをあんなに全然聞いていなくて芝居が成り立つの凄い。あの一方的な押しの芝居にドランスキーはもちろん客席全体が呑み込まれて、ついにドランスキーが「おと~さぁ~~ん」と言った時には「よく言った!」という思いで爆笑とともに拍手喝采。
本当に、俳優の演技の凄みと演劇の醍醐味を見せていただいた思い。
この辻萬長さんはじめ、多分あて書きなのかなと思いますが、役者さんは皆さん本当に役柄にハマっていました。
要領よく立ち回り皆を引っ張る存在でありながら屈折感も滲ませる大泉洋さんのチャペック。最後に見せるあがきと絶望が心に痛い。
山本耕史さんがいかにもなスターオーラを楽しそうに演じるブロツキー。
理論家で頑固なツルハも相島さんにぴったりだし、竜星涼くんツベルチェクの所作の美しさ、そしてひょうひょうとした浅野和之さんプルーハのパントマイムの楽しさよ。
ミミンコの濱田龍臣くん、名前に見覚えあるなぁと思っていたら、「龍馬伝」の子なのですね。19歳ですって。大きくなったなぁ(遠い目)。
いっぱい笑って涙こぼして、温かさも苦さも、楽しさも切なさも入り混じった舞台。
そしてすっと現実を突きつける醒めた視線も三谷さんらしい。
「役者にとって一番大事なものは観客」という台詞も、名もない一観客の私の心に染みる言葉でした。
東京公演が一旦払い戻しになってSocial Distance Versionとして再販売、上演されてしばらくしても大阪公演については何もアナウンスがなく、「もしかしたら大阪では観られないかもしれない」と思って、7月11日にWOWOW オンデマンドの配信を観始めたのですが、「これはやはりナマで観るべき舞台」と思い直し、観るのを中止した経緯があります(幕間の三谷さん・浅野さん/三谷さん・相島さんのトークは見ました。楽しかった!)。
大阪公演も一旦払い戻しとなり、改めて抽選申し込みして、当日も厳重な感染対策の中の入場でしたが、やはり、ナマで観られてよかった。
演劇愛にあふれていて、ナマの舞台を観る喜びに満たされました。
座席半数だから少しでも課金を、と私には珍しくパンフレットも買いました のごくらく度 (total 2130 vs 2133 )
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