
主人公は18歳の男子高校生。
舞台は現代の日本のキャンプ場、ではなく・・・。
世田谷パブリックシアター+エッチビイ 「終わりのない」
脚本・演出: 前川知大
原典: ホメロス 「オデュッセイア」
監修: 野村萬斎
美術: 土岐研一 照明: 佐藤啓 音楽: かみむら周平
出演: 山田裕貴 安井順平 浜田信也 盛隆二 森下創
大窪人衛 奈緒 清水葉月 村岡希美 仲村トオル
2019年11月23日(土) 5:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
1階H列下手 (上演時間: 2時間)
オープニング 暗転があけると舞台天井から人が吊り下がっていてまずは驚きます。
どこか浮遊感のあるその姿は、「吊られている」のではなく、「水の中で溺れている」のだとわかるのにそれほど時間はかかりません。
川端悠理(山田裕貴)は9歳の時に海で溺れた経験のある、引きこもりがちの高校3年生。
有名なプロダイバーである父・士郎(仲村トオル)、物理学者の母親・楊(村岡希美)に幼馴染の春喜(大窪人衛)とりさ(清水葉月)を加えた5人で訪れた湖畔のキャンプ場で両親から離婚を切り出され、ショックと孤独感に苛まれて湖で泳ごうとして溺れ、意識を失います。
目を覚ますと、そこは32世紀の宇宙船 オデュッセウスの中。
アンドロイドのダン(浜田信也)から、君は人類の移住先を探すこの調査チームの一員 ユーリだと告げられます。混乱した悠理は宇宙へと逃げ出し、ブラックホールの向こうにある地球そっくりの星にたどり着きます。そこでは少数の人類(森下創)が何とか生きのびていました・・・。
少し傾斜のかかった円形のステージ。
そこが小道具や照明、そして時折放つ光で、キャンプ場から宇宙船の中、そして見知らぬ星へと、悠理とともに時空を超えて自在に行き来します。
SFの顔をしていて、とてもメッセージ性の強い作品。
「これは僕の物語だ」 冒頭で放った言葉を最後に再び口にする悠理。
「これは人類の物語だ」「終わりのない」と続けます。
そう。
これは18歳の高校生 悠理の物語で、人類すべての物語で、私の物語。
宇宙船でも見知らぬ星でも、ずっと「帰りたい」と言い続ける悠理。
見知らぬ世界で戸惑い、怯えながらもやがて、自分は何者で、どこに帰りたいのかと自分自身に問いかけ、自分が生きている「今」がどれほどかけがけのないものか理解することになります。
長い(?)旅の末、やっと元のキャンプ場に戻ることができたけれど、悠理の旅はここで終わることはありません。
両親の離婚を受け容れ、コンプレックスを感じていたように見えた友人たちの進路に祝福を贈り、精神的な成長を見せる悠理。
全体は個の集まりで、個もまた全体。
人類は私で、私は人類。
人類を救えるのは人類だけ。
「おまえのやっていることは無駄じゃない。それを伝えてくれ」と涙ながらに訴える悠理。
悠理が、そして私たちが、生きていくということは、前の世代の人々が次の世代へ何を託し、何を伝えようとしたのかを理解することであり、私たちがさらに次の世代へ託すべきもの、伝えなければならないものを考えること。
そんなメッセージを受け取りました。
映像のイメージが強い山田裕貴くん。
舞台は今回初めて拝見しましたが、高校生役が違和感なくすんなり観られました。
(そういえば「なつぞら」でも最初は高校生でした。)
ちょっとネクラで頼りなくて、繊細でナイーヴで屈折していて、あぁ、こんな子いるよね、という感じ。
声もよく出ていましたし、舞台いけるじゃん!と思いましたが、これが初舞台ではなかったのね。
その両親の仲村トオルさんと村岡希美さんがまたよくハマっていて。
熱血漢でいささか暑苦しい(笑)旦那様とクールで理知的な奥様。
互いのことは認め合い、理解し合っていて、息子の悠理のことも大切に思っている・・・でも離婚。
環境問題の活動を進めるためには政治家になるしかないという夫の理念に賛同はできる、尊敬もしている、「ただ関わりたくないだけよ」という妻。
「関わりたくない」は「愛していない」ということだよね?
イキウメの役者さんたち皆さんいい仕事っぷりでしたが、中でも存在感を放つ浜田信也さん。
ダンのあの無機質感というか感情のなさ(ほめています)。
それが悠理に刺激されて神の存在に興味を持ち、人間らしさを表すようになって・・・という展開も切なさが混じり合ってよかったです。
高校時代、文系クラスで化学はまだしも物理は大の苦手だった不肖スキップですが、悠理ママの量子物理学の話はとても興味深かったです。
9歳で溺れた悠理が生きている世界とその時溺死した別の世界が並行して存在する、そしてそれは選択によって分岐していくっていうの、とてもイマジネーションを刺激されました。もっと聞きたーいと思っちゃった。
学生時代にもっと真面目に勉強すればよかったとまた反省しました のごくらく地獄度



