いつも駆け足で森を駆け抜けて
山を駆け登り、崖を駆け降りて
海を掻き分けて、雲にしがみつき
後に続く者を信じて走れ
井上芳雄くん@小林多喜二が瞳に涙いっぱい溜めて歌う ♪あとに続く者を信じて走れ〜 に心揺さぶられる。
それは多喜二の言葉であるとともに、これが最期の戯曲となった井上ひさしさんの思いが重なるよう。
こまつ座&ホリプロ 「組曲虐殺」
脚本: 井上ひさし
演出: 栗山民也
音楽: 小曽根真
美術: 伊藤雅子 照明: 服部 基
音響: 山本浩一 衣裳: 前田文子
出演: 井上芳雄 上白石萌音 神野三鈴
土屋佑壱 山本龍二 高畑淳子
ピアノ演奏: 小曽根真
2019年11月9日(土) 5:30pm シアター・ドラマシティ 3列上手
(上演時間: 3時間15分/休憩 15分)
井上ひさしさん没後10年のメモリアルイヤーの掉尾を飾る作品。
2009年初演、2012年に再演された井上ひさしさん最後の戯曲です。
昭和5年5月から昭和8年2月まで、言葉の力で社会を変えようとしたプロレタリア作家 小林多喜二が治安維持法など時の趨勢に追い詰められ、29歳で拷問死するまでを描いています。
前回(大阪公演は2013年1月)観てとても印象深く、再演されることがあれば絶対また観たいと思っていました。
初演、再演は同じキャストで、今回は2人がキャスト変更されての上演です。
田口瀧子: 石原さとみ → 上白石萌音
山本正: 山崎一 → 土屋佑壱
2013年1月に観た感想はこちら
事のなりゆきを知らずに観た6年前とはまた違って、いろんな台詞、場面が心に刺さります。
瀧子ちゃんの「小林多喜二くん 絶望するな!」の背中バァーンで涙ぶわっとあふれたり。
細かい感想は繰り返しになるので避けますが、言葉としての台詞の美しさ、深さに改めて感動。
冒頭に書いた「後に続く者を信じて走れ」の前の台詞
「絶望するにはいい人が多すぎる。 希望を持つには悪い奴が多すぎる。
何か綱をようなものを担いで絶望から希望へ橋渡しをする者がいないものだろうか。!
―いや、いないことは無い。」 とか
「互いの命を大事にしない思想など、思想と呼ぶに値しません。僕の思想に人殺しの道具が出る幕はありません。」 とか
「小説を書くときは、体全体でぶつかっていかなくちゃいけない。そうすると胸の中の映写機がカタカタ動き出す。」
一つひとつが小林多喜二の人となりや考えを表していて、「後に続く者」を信じて遺した言葉であるとともに、どうしてもそこに井上さんの思いを重ねて感じてしまいます。
これが井上さんの最期の戯曲という思いがそうさせるのかもしれませんし、それを果たして井上さんが望んでいたことなのかどうか知るよしもありませんが。
タイトルだけ見るとショッキングですが、コミカルなシーンや笑いが散りばめられ、人々は温かく、全編を小曽根真さんのピアノ生演奏が彩って、洒脱な音楽劇。
重厚なテーマをそのまま重く暗く表現するのではなく、明るさの中で楽しみながら、ぶれることなく一貫したメッセージが私たちの心に届けられるという作劇に、井上さんお見事という他ありません。
多喜二を死に追いやった特高の拷問も直接描くのではなく、観客の想像に委ねられることで、一人ひとりの心により一層リアルな痛みを感じさせると思います。
多喜二の死で終幕を迎えるけれど、「後に続く者」がいるという希望もちゃんと用意されていて。
最後まで泣き笑いです。
小林多喜二の井上芳雄さんは、この役があて書きだったこともあって、これ以上ないというハマり役で、この名作がこれから再演されても他の人では難しいのではと心配になるほど。
歌も、ミュージカルのいつもの歌い方とは当然ながら変えていて、それがかなり新鮮で魅力的でもあります。
チャップリンの扮装をしてステッキを片手にひょこひょこ歩いて光の中へ去っていく後ろ姿が忘れられません。
瀧子の上白石萌音さんの可憐さ、のびやかな歌声。
ふじ子の神野さん、チマの高畑淳子さんの安定の上手さ、リアルさ。
古橋の山本龍二さん、山本の土屋佑壱さんの厳しさと哀切。
90年近く前のお話だけど
出版物が伏せ字にされるような思想弾圧もパンひとつが買えないような貧しさもなくなったけれど
今この国で起こっていること、働いても働いても豊かな将来への希望を見い出せない状況を考えると、何も変わっていない、今の物語。
井上さんは空の上でどう思っていらっしゃるでしょうか。
カタカタまわる 胸の映写機 ひとの景色を 映し出す のごくらく度


