その弦楽四重奏曲をモチーフに、チリの劇作家アリエル・ドーフマンが、独裁政権下で自身が受けた弾圧の事実をふまえ、政権崩壊後の1990年に発表した戯曲。
かつての軍事独裁政権下で受けた拷問の記憶に苦しむ妻
民主的な新政権で重職を担う弁護士の夫
夫婦の前に現れた1人の男
息詰まるような台詞の応酬で、終始緊迫感に満ちた舞台でした。
シス・カンパニー公演 「死と乙女」
作: アリエル・ドーフマン
翻訳: 浦辺千鶴
演出: 小川絵梨子
美術: 松井るみ 照明: 原田保 衣装: 前田文子
出演: 宮沢りえ 堤真一 段田安則
2019年10月18日(金) 7:00pm サンケイホールブリーゼ 1階B列センター
(上演時間: 1時間35分)
物語: 独裁政権が崩壊し、民主政権に移行したばかりのある国。
かつて反政府側の運動家であった弁護士ジェラルド(堤真一)はある夜パンクで立ち往生し、通りかかった医師ロベルト(段田安則)の車に送られ、彼を家に招き入れます。
ジェラルドの妻ポーリーナ(宮沢りえ)は学生運動に身を投じていた頃、治安警察に拉致、監禁され激しい拷問と性的暴力を受けた過去に苦しんでいますが、ロベルトの声から、彼こそ15年前、シューベルトの「死と乙女」を流しながら目隠しをした自分を拷問、凌辱した男だと確信し、銃で脅して椅子に縛りつけ、「自白」を迫ります・・・。
銃を片手にロベルトに暴力的な言葉を浴びせ激しく迫るポーリーナ
拷問への関与をかたくなに否定し自分の潔白を必死に訴えるロベルト
2人の間で何とか事態を打開し、妻を翻意させようと苦闘するジェラルド
三者三様の思惑が交錯。
何が真実で、誰が狂気の淵にいるのか。
ひりひりするような緊迫感が続きます。
ポーリーナの主張が正しいのか、それは思い込みに過ぎず、ロベルトは無罪なのか
・・・真相は最後まで明確にされず、観る側の判断に委ねられます。
ストーリー展開そのものより、3人と葛藤や心理戦を目撃することが醍醐味の作品と言えるでしょうか。
私はずっとロベルトが嘘をついていると思っていました。
つまり、ポーリーナの主張が正しいと。
いい人そうに見えるけどどこか得体が知れないというか、不気味さが漂うロベルト・・・それは多分に、段田さんの演技に負うところが大きい。段田さんがただの通りがかりのいい人の訳がない、と(笑)。
ジェラルドが人権侵害の罪を暴く査問委員会の中心メンバーに指名されたとラジオで聞いたからと言ってわざわざ引き返してお祝い言いにくるなんてまず不自然。ポーリーナが仕掛けた細かいトリック(人の名前とか)も説得力ありましたが、最も印象的だったのは、ジェラルドの提案に乗って、いかにして「人間としての一線」を超えたか」を告白するシーン。
人が嗜虐性に目覚め、悪の狂気へと堕ちていく様があまりにも真に迫っていて、それを話す時の段田ロベルトの表情は観ていて背筋が寒くなる思いでした。
ジェラルドもただ妻を思っているだけの人物には見えないところが何とも・・・。
ロベルトを解放させようと腐心するのは、ロベルトのためを思ってというより、妻に犯罪を犯させないため=自分の今の地位を守るため、という偽善の臭いがプンプン。
まぁ、ポーリーナを見ていると家庭生活も精神的になかなかキビしいものがあるのは想像に難くありませんし、妻ひとりをそんな目に遭わせてしまった負い目も感じているとは思いますが、それにしてもお手軽に浮気しちゃうとか、正義感ありそうで実は、な塩梅がさすがに上手い堤さん。
そして、ポーリーナの宮沢りえさん。
過去に受けたあまりにも残虐な暴力のために心に深い傷を負い、常に苦痛を抱えて生きいるポーリーナ。
それはいくら夫のジェラルドが優しくしてくれても癒されるものではなく、過去の記憶が消し去られることもない様が何とも切なく痛ましい。
そんな過去に向き合う凛とした強さとともに、被害者が立場を変えて加害者に転じるという恐ろしさ、凄まじさも感じられて。
人はいかなる時にいかにして加害者となり得るか、は、こういう極限的な状況に限ったことではない普遍的なテーマだと思いました。
それにしてもポーリーナ役はブロードウェイの舞台ではグレン・クローズ、ロマン・ポランスキー監督の映画版ではシガニー・ウィーバーと、個性的で強い女のイメージの女優さんがキャスティングされていたのですね。
ポーリーナがロベルトに銃口を突きつけ、今まさにトリガーを・・・というところで暗転した後のラストシーン。
セレモニーの場でタキシードを着て誇らしげに調査結果を報告し、笑顔で妻の手を取るジェラルド。
華やかなドレスに身を包み、輝くばかりの美しさでそれに応えるポーリーナ。
二人の斜め後ろに影のように立つロベルト。
流れるシューベルトの「死と乙女」。
後ろを振り向いてロベルトを見るポーリーナ。
表情を変えずに視線を合わせる二人に、どこか連帯感のようなものが感じられて、不思議な思いでした。
部屋の大きなすりガラスの窓。
そこに映る車のライトや人物の影。
シンプルながら陰影のある装置(松井るみ)と照明(原田保)も印象的でした。
物語のベースとなっているのは、1973年から90年にかけてのチリのピノチェト独裁政権。
クーデター時に約4万人の人々が政治犯として投獄され、厳しい拷問を受けたのをはじめ、左派系の人々が数多く誘拐されて後の調査で、約3000人の人々が「殺害」または「行方不明」と認定されているということを後で公式サイトを読んで知りました。
「ピノチェト」の名前は知っていてもそんな詳細にまで知識が及ばず、また舞台でひとつ学びを得ました。
ノンストップの95分 大変観応えありました のごくらく度


