2019年06月09日

母なるふるさと 「まほろば」


mahoroba.jpg「すばらしい場所」「住みやすい場所」という意味の古語「まほろば」

この言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭しうるはし   という短歌。
次に、♪ あおによし 平城山(ならやま)の空に満月~   というさだまさしさんの楽曲。

どちらも奈良のイメージですが、この物語の舞台は長崎。
開演前、ロビーで聞こえてきたアナウンスがちょっと訛っていて、「あれ?地方出身の新人さんかな?」と思っていたのですが、劇場内での上演前諸注意のアナウンスは完全に方言(長崎弁?)で、「あー、そういうこと」となりました。

2008年に蓬莱竜太さんが新国立劇場に書き下ろして岸田國士戯曲賞を受賞した作品。
初演、再演の演出は栗山民也さんでしたが、今回は劇団チョコレートケーキの日澤雄介さん。キャストも一新しての再々演です。


「まほろば」
作: 蓬莱竜太
演出: 日澤雄介
美術: 土岐研一
出演: 高橋惠子  早霧せいな  中村ゆり  生越千晴  安生悠璃菜  三田和代

2019年4月24日(水) 11:30am シアター・ドラマシティ 7列下手
(上演時間: 2時間)



祭ばやしが聞える田舎町。地元の名家として知られた藤木家の客間が舞台。
親類が集まる宴会の準備に忙しく働きながら、本家の嫁として跡取りとなる男子を産まなかったことを悔い、娘たちに希望を託す母 ヒロコ(高橋惠子)
東京に出て仕事が忙しく婚期が遅れていていまだ独身。祭を前に突然帰郷した長女ミドリ(早霧せいな)
元ヤンで父親不明の娘を産み、今なお実家暮らしでミドリと喧嘩ばかりしている次女 キョウコ(中村ゆり)
キョウコの娘でこれまた突然帰ってきたユリア(生越千晴)
認知症気味ながらすべてをゆったり見守りおっとり構える姑のタマエ(三田和代)
見知らぬ近所の女の子 マオ(安生悠璃菜)

女ばかり6人で展開される物語。


「妊娠」というデリケートなテーマをかなりストレートにぶつけてくる内容。
母娘、姉妹で遠慮なしにズバズバ言い合う姿が心地よくもありユーモラス。
「祭の神輿は男しか担げない」という、家父長制が根強く残る息苦しそうな田舎町で「跡継ぎとなる男子を産むべし」という考えが根本にあって、セクハラじゃない?といった言葉がポンポン出てきますが、女同士の歯に衣着せぬ赤裸々な言い合いの気持ちよさと、長崎弁という言葉の可愛さで深刻にも重くもならず展開して、最終的に「妊娠」「初潮」という命の神聖さ、母(となる女)の強さいったところに帰結。

高橋惠子さん演じるヒロコは、親戚中の名前と宴会の席順まで頭に入っているような”本家の嫁”。
その責任感から家父長制の権化のようになっていて、長女のミドリにとにかく「相手が誰でも」結婚して子どもを産んでほしいと思っています。
古い考えに囚われ、ミドリが何を言っても聞く耳持たない頑なさから、徐々に娘たちの生き方を認めようとしていく流れが自然で、娘たちとともにヒロコ自身も開放されたのだなと感じました。

早霧せいなさんは宝塚時代からコメディエンヌとしての煌めきを見せていましたが、本領発揮。
頭もよく仕事ができてボーイッシュなミドリが「閉経」「閉経」と連発するギャップもすんなり飛び越えてくれました。

ぼんやり縁側に座っていて時々ズバリと革新をついた発言をするタマエおばあちゃん・・・三田和代さん さすがの存在感です。
「この家が途絶えても、誰もあんたを責めんよ」とヒロコにさらりと言った言葉がとりわけ印象的でした。

日常感あふれる衣装、いかにも田舎町の日本家屋といった風情のつくり込まれた舞台美術もよかったです。


すったもんだの末、ミドリとユリアの妊娠が明らかになり、マオに訪れる初潮。
それまでのすべてを凌駕する命の尊さ。人間の営み。
そんなすべてを受け容れてくれるふるさとのおおらかさ、家族の温かさ。それがまほろばなのかな。



三田和代さん 初演ではヒロコだったのですね。それも観てみたかったな のごくらく地獄度 (total 2060 vs 2064 )



posted by スキップ at 23:09| Comment(0) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
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