
「もうお別れしました」と決めている演出家が何人かいて、岩松了さんはそのうちのひとり。
岩松了さんの作・演出で森田剛くんにあて書きした舞台ならどうなの?と散々逡巡して自分の心に問うてみた結果、「森田剛くんの舞台なら観たい」が勝利を収めまして、観に行くことにしました。
Bunkamura30周年記念
シアターコクーン・オンレパートリー2019
「空ばかり見ていた」
作・演出: 岩松了
美術: 愛甲悦子
照明: 沢田祐二
出演: 森田剛 勝地涼 平岩紙 筒井真理子 宮下今日子 新名基浩
大友律 髙橋里恩 三村和敬 二ノ宮隆太郎 豊原功補 村上淳
2019年4月6日(土) 6:30pm 森ノ宮ピロティホール W列下手
(上演時間: 2時間50分/休憩 20分)
物語の舞台は政府軍と反政府軍による内戦が繰り広げられているらしい現代の日本。
山奥にある小学校の廃校跡をアジトにする反政府軍は戦闘で仲間を失い、残っているのは7人。
反政府軍の兵士 多岐川秋生(森田剛)は尊敬するリーダー吉田満(村上淳)の妹 リン(平岩 紙)と恋人同士ですが、ある日、秋生の留守中にリンが暴漢に襲われるという事件が起こります。リンの怪我は大事には至らず回復に向かいますが、命の保証のない日々の中、秋生は結婚に踏み切ることができません。内戦の行方が見通せず苛立ちがつのる兵士たちに、捕虜になった政府軍の兵士カワグチ(豊原功補)、生命保険会社の外交員 田中(筒井真理子)、さらには頻繁に息子を訪ねてくる兵士の母 登美子(宮下今日子)などが絡んで物語は展開します。
「反政府軍のアジト」という設定を事前に知っていて、その上でイメージしていたのとは違った作品でした。
上空をヘリコプターが舞う音が聞こえてはいるもの、リアルな戦闘は遠い場所で起こっているらしく、司令部も遠い街にあるようです。兵士たちに死と直面しているような危機感はさほど感じられなくて、何気ない日常生活が描かれていきます。
物語は現在と過去、時空を行き来して進み、冒頭で田中さんはすでに死んでいる設定で始まります。
死んでいる人が秋生と会話するあたり、秋生の妄想なのか、夢なのか、現実を回想しているのか。
そもそも秋生自身も他の兵士たちも生きているのか、答えは観客に委ねられているようにも感じられましたが、その答えが私には見つかりませんでした(笑)。
たとえば生保レディ、携帯電話に写メ、サプリメントといった私たちの日常に普通にあるアイテムをこの極限状況?の中に散りばめることにどういった意味があるのか、最後までその意味を見い出せず・・・「やっぱり岩松了は岩松了だった」 これにつきます。
リーダーの吉田を尊敬している秋生が、吉田に不信感を持ったところからリンへの愛さえも自信が持てなくなってくる・・・あたりが主題かなぁ、とも思いますが、どうなのでしょう。
そういえば、ひとつとても心に残る台詞がありました。
秋生の気持ちの変化を敏感に察していて、愛を失う不安に怯えているようにも見えるリン。
そんな気持ちを押さえて自分も兵士として共に闘うと気丈にふるまうリンが、「あなたに出会う前に戻ろうとしたけど、できなかった」とストレートに秋生にぶつける言葉も、演じる平岩紙さんも、とてもよかったです。
そうそう!
あなたに出会う前に、何も知らなかった頃に戻れるならどれほど幸せか、そう思うこと、人生にはあるよね~と感じ入りました。
森田剛くんは以前少し気になったちょっと甘ったれたような口跡もすっかり陰をひそめ、よく通る声、機敏な身のこなし、翳のある表情で、周りからも一目置かれる有能な兵士の揺れ動く内面を繊細に表現していて、やっぱりこの人のお芝居好きだな、と思いました。
政府軍の捕虜 カワグチを演じた豊原功補さんが捕虜という立場の哀しさや内戦の理不尽さを漂わせながら、力強さと胡散臭さプンプンで(ほめています)、この人ひとりいるだけで、「そりゃ反政府軍、敵わないでしょう」と感じさせる存在感。
秋生の「重」に対して「軽」の役回りのようでありながら、一筋縄ではいかない不気味さを感じさせた土居の勝地涼くんも印象的でした。
今度こそ本当にお別れします の地獄度



いまなぜこの設定?というか、そこから浮かび上がるものが掴めずに終わっちゃって、私もほんとにお別れだわね、なのでした。
いや~ん、きびだんごさまも同じだなんてうれしい。
どうにもこうにも感想を書くのが進まなくて、やっとアップした次第です。
ほんと「岩松了さんかぁ~」という思いの方を信じるべきでした。
ストーリーや描かれる内容が全く理解できないという訳ではないのに
こんなに伝わってこないなんて・・・(以下自粛)。
劇作家としての岩松了さんを絶賛されている方もお見かけしますが
私(たち)には相性がよろしくないということで(^^ゞ