

2年間のグルグル回る劇場公演を終えて、2019年の劇団☆新感線は旗揚げ39周年サンキュー興行。春公演は、今年3月から4月に大阪・金沢・松本、2020年2月と4月に東京・福岡という変則開催です。
5年ぶりのいのうえ歌舞伎完全新作、久しぶりの“大阪開け”、会場は大好きなフェスティバルホール。
なかなかテンションあがるシチュエーションです。
2019年劇団☆新感線39興行・春公演
いのうえ歌舞伎 「偽義経冥界歌」
作: 中島かずき
演出: いのうえひでのり
美術: 二村周作 照明: 原田保 衣装: 竹田団吾
音楽: 岡崎司 アクション監督: 川原正嗣 映像: 上田大樹・大鹿奈穂
出演」 生田斗真 りょう 中山優馬 藤原さくら 粟根まこと 山内圭哉
早乙女友貴 右近健一 河野まさと 逆木圭一郎 村木よし子 インディ高橋
礒野慎吾 吉田メタル 中谷さとみ 保坂エマ 新谷真弓 村木仁
川原正嗣 武田浩二 橋本じゅん 橋本さとし ほか
2019年3月14日(木) 1:00pm フェスティバルホール 1階10列センター/
3月20日(水) 1:00pm 1階5列(3列目)上手
(上演時間: 3時間45分/休憩 25分)
「『奥州三代』と『義経黄金伝説』をモチーフにして、源義経の“偽物説” “影武者説”といったドラマティックなエピソードをベースに、義経が実際に奥州に匿われていたという史実と奥州三代の盛衰の行方を絡めた物語」(公式サイトより)
平家全盛の時代。源氏、平氏どちらにも与しない奥州 奥華の国が舞台。
奥華の当主 秀衡(橋本さとし)のもとに匿われている遮那王牛若(早乙女友貴)は手がつけられない乱暴者でした。秀衡の嫡子 玄九郎国衡(生田斗真)は弟の次郎泰衡(中山優馬)をかばって牛若を死なせてしまいます。牛若が死んではマズい秀衡や武蔵坊弁慶(橋本じゅん)、常陸坊海尊(山内圭哉)は玄九郎を牛若の身替りに仕立て、名も源九郎義経と改めて、ともに挙兵し、兄 源頼朝(粟根まこと)のもとへ馳せ参じます。その頃奥華では、玄九郎ではなく次郎を跡取りとしたい母 黄泉津の方(りょう)の計略で秀衡の命が奪われ・・・。
「偽義経」というタイトルから、義経の身替りに祀り上げられた男が虚像と実像の狭間で苦悩する、あるいは与えられた役割の大きさに耐えられなくなる「和宮様御留」的なものを想像していたのですが、さすが中島かずきさんは私のような凡人の考えることをはるかに凌駕していました。
一幕終わりで玄九郎が殺された時もまだ、「これって、実は生きていたという設定?『阿弖流為』の田村麻呂的な?」と思っていたのですが、二幕に入って思い出しましたよ、タイトルの続きが「冥界歌」だということを。
文字通り「冥界歌」。
義経こと玄九郎はもちろん、父の秀衡も、さらにそのご先祖様も、干殻火さんも、遮那王牛若までもが冥界から現世へ戻ってくるという設定。そしてそれらを呼び戻す鍵が静歌(藤原さくら)の歌。
打倒平氏で父の無念をはらし、源氏の世を目指す源頼朝
平家滅亡後、源氏と奥華を争わせて合い討ちにし、公家の世を取り戻そうとする鈍覚大僧正率いる朝廷仏閣連合
そこへ割って入り、自分たちが牛耳る世界をつくると意気あがる秀衡率いる冥界軍(地獄の軍団と名乗ってた)
そうはさせまいと孤軍奮闘する偽義経こと玄九郎
という構図。
善と悪、敵と味方が入れ替わり、源氏と奥華の戦いが、現世と冥界の戦いへと姿を変えていき、最終的に、玄九郎 vs秀衡の対決軸がくっきり立ち上がります。
現世ではどちらかといえば日和見で優柔不断な当主だったのに、冥界で本来持っていた性根が目覚め、冥界の権化となって玄九郎の前に立ちはだかる秀衡のラスボス感。
「死人(しびと)は死なない」とうそぶく場面がありましたが、まさにそれ。
秀衡のこの憎々しさ、玄九郎を徹底的に追い詰める強さがこの作品のキモで、敵役が輝いてこそ作品全体のポテンシャルも上がるという典型のようです。
ただ、個人的な好みからいうと、冥界の人々ではなく生身の人間同士の血で血を洗うような命のやり取りが観たい、というのが正直なところではありましたが。
腕っぷしは滅法強いけれど、あまり深くものを考えないちょっとおばかな玄九郎(でも、「ばかだけどばかじゃない」)。
そんな彼が生まれて初めて悩んで、自分自身と向き合って、そこから考え抜いた秀衡はじめ地獄の軍団を打ち負かす手段はとても切ないけれど、そこに父と子の葛藤のようなものが入る余地はないのかと考えるのはあまりにもエモーショナルに過ぎるでしょうか。
冥界に行った人たちはみんな白塗りで、「義経千本桜」の知盛のような白装束。
極彩色の舞台や現世の人物の衣装の中でこの白が映えて、いかにもこの世のものではない感がありました。
秀衡はじめ「悪」の人たちは青い隈取りで、玄九郎は最後には正義を象徴する赤隈を施していて、かなり歌舞伎味。
歌については、藤原さくらさんはまさしくこのためのキャスティングで冥界の人々を蘇らせるという透明感のあるのびやかな歌声が響き渡ります。
ゆったりしたやさしいメロディラインで、場面によって歌詞やアレンジを変えて歌っていましたが、いささか単調だったかなぁ。
それと、終盤、閉じこもってしまった玄九郎を呼び出すために六絃の糸(玄九郎の髪の毛で紡いだ?)が切れた中で伴奏なしで歌って、「玄九郎に届いている気がしない」「何か六絃に代わるものが・・・」からの「そうだ!お前だ!」と次郎も一緒に歌うことに気づくのが早すぎ!と心の中でツッコミましたw。
「360度セットやプロジェクターがあるので、場面転換や暗転がなくても芝居を続けることができる」というのがこの劇場のウリですが、いのうえひでのりさんの演出は元よりスピーディで、これまでの作品も暗転とか舞台転換待ちとか幕前とかほとんどなかったので(歌舞伎版「阿弖流為」でさえそう)、改めて「芝居が途切れていないでしょ?」と言われても、「いつもとそれほど変わらないのでは?」という感じ。
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↑ これ、初めてIHIステージアラウンド東京で「髑髏城の七人」を観た時の私の感想ですが、やっぱりこれ正解だったなと改めて思いました。
とてもスピーディだし、スケール感もかえってあるくらい。スクリーン閉じる→客席回る→別場面開くとかなくてストレスフリー(どんだけステアラ苦手だったかという話ですよ)。
登場からわかりやすいお馬鹿キャラ炸裂で、笑いもシリアスも、殺陣もダンスも歌もハイクオリティに揃えて、しかもビジュアル完璧な生田斗真くん玄九郎。あの口をパッと鳴らして言う「まっずい山葡萄」、なかなかインパクトで忘れられません。
地獄の軍団を前に「俺がここにいる限りお前たちの好きにはさせないってことさ」といい放つカッコよさ。シビれる

その前に立ちはだかる大きな大きな存在を盛大な力ワザで見せてくれた橋本さとしさん秀衡。
クライマックスの二人の魂のぶつかり合いのような激しい殺陣に見惚れました。
それにしても、パパが橋本さとしさんで長男 生田斗真くん 次男 中山優馬くんってめちゃ説得力あります。平たくない顔族w
殺陣といえば早乙女友貴くん。
ほんっと、ゲス野郎の遮那王牛若ですが、冥界に行っても全くキャラの変わらない単純さが可愛くもあり。
殺陣はキレッキレ。台詞はもっと腹式呼吸がんばって(何様?)
もう一人、殺陣といえば忘れちゃならない川原正嗣さん。
今回はあのおなじみの梶原景時で、合戦の場をはじめ、速い強い速い強いとたっぷりの殺陣はもちろん、芝居も台詞も見どころでした。
弁慶の橋本じゅんさんと海尊の山内圭哉さんはいつも二個イチみたいで、ちょっともったいない感じだったなぁ。
あれ、二人にするなら袂を分かって対立するとか、もう少ししどころがあってもよかったのでは。
黄泉津の方(りょう)、北条政子(村木よし子) 凛と強い二人の女性も印象的でした。
りょうさんは氷のような美しさでありながら表情豊か。巫女のミステリアスさもあってハマり役。
殺陣の型はできていて、動きが(他と比べて)かなり遅いのが気になったのですが、「髑髏城」の歴代沙霧や、蘭兵衛演じた水野美紀さんの身体能力の高さを改めて思い知りました。
新谷真弓さんのくくりが、自分のひざをポンポン叩いて黄泉津の方をひざまくらしてあげる場面が大好きで、
「私も くくりにぽんぽんひざまくらしてもらいたーい」と思いましたが、最期のひざまくらは切なかったです。
「新感線の新作観たかったのよ」という気持ちを十分に満足させてくれた作品。
笑いもシリアスも殺陣もケレンもてんこ盛りでこれぞ新感線、これがいのうえ歌舞伎。
来年の東京・福岡公演では、武蔵坊弁慶が三宅弘城さん、くくりが山本カナコさん、にキャスト変更される予定。
時間の経過とともにキャスト変更でまたどんな化学反応が起こるかも楽しみです。

フェスティバルホールの赤い階段上に新感線がかかるのは 「Vamp Bamboo Burn ~ヴァン!バン!バーン!」(2016)以来。
あの時も主演は斗真くんだったなぁ。


大パネルもフェスのロビーだとそんなに大きく感じないかな。
来年観に行くかどうかは???だけど のごくらく地獄度



