
演出はフランスオリジナル版を手掛けたラディスラス・ショラーさん。日本初演出です。
東京芸術劇場 兵庫県立芸術文化センター共同製作
「Le Père 父」
作: フロリアン・ゼレール
演出: ラディスラス・ショラー
出演: 橋爪功 若村麻由美 壮一帆
太田緑ロランス 吉見一豊 今井朋彦
2019年3月17日(日) 2:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
1階M列センター (上演時間: 1時間50分)
パリのアパルトマンにひとりで暮らす老齢のアンドレ(橋爪功)と、その父を案じる娘のアンヌ(若村麻由美)の物語。
そこにアンヌのパートナー ピエール(今井朋彦)やヘルパーのローラ(太田緑ロランス)などもからんで・・・。
最初にアンドレとアンヌのやり取りがあって、二場目。
ピエール(この場は吉見一豊)がアンドレに「もうアンヌが帰ってくるから」と告げて、「ただいま」と現れたアンヌが若村麻由美さんではなく、壮一帆さんであることにざわめく客席。
その後も場面転換のたびに登場人物が入れ替わったり、部屋の様子が変化したり、どことなくサスペンスの様相。
アンドレがアンヌだと思って話していたのは誰なのか
それは昨日のことなのか遠い昔の記憶なのか
ここはアンドレのアパルトマンなのかアンヌの家なのか
・・・そこで気づきました。
これ、アンドレの視点で描いているんだ、と。
認知症を描いた映画やドラマは数々ありますが、介護する家族や周囲から見た姿を描くものばかりで、この視点は新鮮でした。
場が進むごとに記憶や意識が混濁し、時間軸や自分を取り巻く人々のことも曖昧になっていくアンドレ。
いつの間にか私たち観客もアンドレと同じ目線で混乱や恐怖を感じて、「どこまでが本当に起きていることなんだろう」という漠然とした不安を共有することになります。
「認知できない」ということが、どれほど残酷で哀しいことか。
終盤、施設に入ったアンドレが、「わしは自分の葉っぱが全部抜け落ちてしまったような気がしたんだ」と訴える姿は痛々しくて胸が締めつけられる思いでした。
私は娘なので、アンヌの困惑にもとても共感。
症状の進んだアンドレが「子守歌を歌ってほしい」と言ったことにショックを受け、「厳格で強い人だった父があんなことを言うなんて」と泣く場面がありました。
私の父は認知症ではありませんでしたが、ある時、父の“老い”を感じた出来事があって、「私が子どものころ、お父さんは何でも知ってて何でもできるスーパーマンだったのに」と一人泣いた日の記憶が蘇ってきて、また涙。
橋爪功さんのアンドレが、2時間弱の間に本当に歳を重ねて認知症が進んでいく様子がリアルで身震いするほど。
部屋着からガウン、パジャマへと服装が変化するのに伴って、表情や姿勢、声色、指の動きにまで時の経過が表れているよう。
頑固だけどどこか愛嬌があってチャーミング。
自分自身も気づき初めている衰えへの苛立ちを周囲にぶつけているうちはまだ元気だったなぁと感じられる終盤の姿が切ない。
アンヌの若村麻由美さんは、父の変化と介護への戸惑いや、自分自身の生活との板挟みになる苦悩がとても切実。
そのアンヌになったり、ヘルパーになったり、「女」という役名だったと終演後に知った壮一帆さんもよかったな。
ラストの看護師さんはいささかナイスバディすぎる気がしますが(笑)、混乱するアンドレに必要以上に感傷的にならず、淡々と手を差し伸べる姿が印象的でした。
ピエールの今井朋彦さん。
冷静で穏やかで理解があって、疲れたアンヌをハグしてくれたり、めちゃいいパートナーやん!と思っていたら、やっぱりね、な面が出て、期待を裏切らないクセモノ感でした。
橋爪さんがほんとに認知症になっちゃったんじゃないの?と思えるくらいだったので、カーテンコールのダンディで穏やかな笑顔を見てほっとしました のごくらく地獄度



