2019年01月02日
世界一強い人間は、なにがあっても一人で立っている人間なんだ 「民衆の敵」
昨年の観劇納めとなった作品。
ジョナサン・マンビx堤真一といえば、「るつぼ」(2016年)が記憶に新しいところですが、原作者は違っても、主人公が本人に非がないにもかかわらず、理不尽な状況に追い込まれるというのは同じ・・・堤さん、こういう運命なのか。
真実と正義を叫ぶ者が、町経済的利益を優先する政治家やそれに迎合する大衆から社会的に「抹殺」されるというテーマもさることながら、民衆の使い方がシビれる演出で、とても見応えありました。
シアターコクーン・オンレパートリー2018 「民衆の敵」
作: ヘンリック・イプセン
翻訳: 広田敦郎
演出: ジョナサン・マンビィ
美術・衣装: ポール・ウィルス
照明: 勝紫次朗
音楽: かむむら周平
振付: 黒田育世
出演: 堤真一 安蘭けい 谷原章介 大西礼芳
赤楚衛二 外山誠二 大鷹明良 木場勝己 段田安則 ほか
2018年12月29日(土) 12:30pm 森ノ宮ピロティホール C列(2列目)センター
(上演時間: 2時間15分)
物語の舞台は19世紀後半のノルウェイの田舎町。
温泉の発見に湧くこの町で、意志のトマス・ストックマン(堤真一)は妻の父モルテン・ヒール(外山誠二)が経営する工場などからの廃液で水質が汚染されていることを発見し、兄である市長のペテル(段田安則)にレポートと改善策を提案しますが、ペテルは工事にかかる莫大な費用を理由に汚染を隠ぺいしようとします。当初はトマスと一緒に真実を告発すると意気込んでいた新聞の編集者 ホヴスタ(谷原章介)たちも手のひらを返したように市長側へと立場を変えます。トマスは市民に真実を伝えようと集会を開きますが、その場で「民衆の敵」と決めつけられ、孤立を深めていきます・・・。
パイプが取り巻き、手前(客席側にはたくさんの石ころが敷き詰められたように転がっている舞台。
老若男女 23人の民衆がズラリと並んで鋭角的なダンスのような振りをするところから物語は始まります。
民衆はこの後随所に現れて、舞台転換の役目も果たせば、新聞を読みながら1列に並んで通行したり、書類に没頭するトマスを覗き込んだり、そして集会には文字通り「民衆」として参加します。
この民衆の使い方がとても効果的かつスタイリッシュな演出で見惚れました。
決して自分の信念を曲げようとしないトマスがどんどん孤立して追い詰められている展開は観ていて息苦しくなりますが、トマス自身も完全無欠のヒーローという訳ではなく、純粋というか空気が読めないというかワキが甘いというか。
ただただ自分の発見が町の役に立つものと無邪気に喜び、それに対する影響の大きさ深刻さには考えが及ばず、さらには民衆を見下すような不用意な発言をして反感を買うことになります。
いや、もうちょっとうまいやり方があるんじゃないの?と思ってしまいますし、私が民衆でもあの場にいたらトマスに怒りをぶつけるかもしれません。
集会の後、家には無数の石が投げ込まれ、長女は職を失い、小学生の子どもたちは学校でいじめられ、家主からは退去を迫られるトマス。
それでも決して屈することなく、アメリカに行きを取りやめ、義父の申し出には「NO!NO!NO!」と返事を出し、子どもたちには「学校に行かなくていい。お父さんが勉強を教えてやる」と言い、「世界一強い人間は、なにがあっても一人で立っている人間なんだ」と毅然と言い放つトマス。
あのエネルギーやポジティブさはどこからくるのかと、心配を通り越して清々しささえ演じます。
強さと無防備さ、ピュアネスを併せ持つトマスの堤真一さん絶妙。
保身というより、市の利益を守ることを最優先した冷徹な政治家という印象の市長 ペテル(段田安則)
税負担を知って態度を翻し、権力におもねる新聞編集長(谷原章介)・記者(赤楚衛二)・印刷所経営者(大鷹明良)が体現するマスメディアの腐敗ぶり
自分の娘であるトマスの妻への遺産と工場廃液汚染隠ぺいを取引にかける義父(外山誠二)
と、四面楚歌に陥るトマスを支える妻 カトリーネ(安蘭けい)、長女 ペトラ(大西礼芳)の凛としたたくましさ。
夫の暴走を止めようと新聞社へ出向いたカトリーネが、夫が信頼していた人々に裏切られるのを目の当たりにして、それこそ“手のひらを返して”「私はトマスの絶対的味方よ」と言い放つ場面、カッコよかったな。
口数少なく、特にかばい立ても非難もせずいつも俯瞰するような目線でいながら、トマスに集会の場所を提供し、そのために船長の職を失っても協力を惜しまないホルステル(木場勝己)の温かさにも救われる思いです。
この先トマス一家を待ち受ける道は決して平坦でないことは想像に難くありませんが、このトマスなら、この家族がいたなら、きっと「なにがあっても一人で立っている」ことができるのだろう、そんなふうにも感じられるエンディングでした。
この戯曲が書かれたのは1882年ということですが、公共や個人の利益の名のもとに真実や正義が歪曲され、それを先導する者、付和雷同する民衆の在り方はまるで現代の映し鏡。
その普遍性が空恐ろしくなるほどです。
開演前のロビーでこのお花を見つけて「おお!福本さんからとうこさんへのお花だー!」と写真撮るワタシのお隣にニコニコ笑顔のご本人ご夫妻がいらっしゃいました(^^ゞ
1年の終わりによいものを見せていただきました のごくらく度 (total 1998 vs 2001 )
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください