
聞こえてくるBGMに覚えがあって「シナーマン」だと気づく。
「シナーマン」は宝塚ファンなら誰でも知っている名作ショー「ノバ・ボサ・ノバ」のクライマックスで主人公ソールが歌い上げる曲。
リオのカルナバルを描いたショーに使われた曲をどうしてイングランドが舞台のお芝居に?と考えながら聴いていて、そうか、この曲の原題は"Sinnerman" つまり「罪人」だと思い至りました。
「罪人」ね・・・。
「ハングマン」 HANGMEN
作: マーティン・マクドナー
翻訳: 小川絵梨子
演出: 長塚圭史
美術: 二村周作 照明: 笠原俊幸
出演: 田中哲司 秋山菜津子 大東駿介 宮崎吐夢 大森博史 長塚圭史
市川しんぺー 谷川昭一朗 村上航 富田望生 三上市朗 羽場裕一
2018年6月16日(土) 1:00pm ロームシアター京都 サウスホール 1階A列上手
(上演時間: 2時間45分/休憩 15分)
アフタートークのレポはこちら
1963年 イングランドの刑務所。
ハングマン(絞首刑執行人)のハリー(田中哲司)は、連続婦女暴行殺人犯 ヘネシー(村上航)の刑を執行しようとしています。ヘネシーは冤罪を訴え激しく抵抗しますが、ハリーは「死刑を決めたのは俺じゃねぇ!裁判所だ!」と聞く耳を持ちません。「せめてピアポイント(三上市朗)を呼べ!」と叫ぶヘネシー。
・・・ピアポイントは実在の絞首刑執行人だそうですが、絞首刑執行人が有名って、日本では考えられないなと思った次第。
舞台は変わって1965年 イングランド北西部の田舎町オールダム。
ハリーは妻アリス(秋山菜津子)とパブを営んでいます。常連客たちがいつもと変わらずビールを飲む中、新聞記者のクレッグ(長塚圭史)は、絞首刑廃止について最後のハングマンであるハリーにインタビューします。そこへ見慣れない若いロンドン訛りの男ムーニー(大東駿介)がやって来て、不思議な存在感と不穏な空気を漂わせます。
翌日、再び店に現れるムーニー。ハリーの娘シャーリー(富田望生)に近づいて一緒に出かける約束をします。夜になっても帰って来ないシャーリーを両親が心配する中、ハリーのかつての助手シド(宮崎吐夢)が店に現れ、「2年前のヘネシーの事件は実は冤罪で、連続婦女殺人犯は他にいる」と訴えます。ハリーはムーニーのことが思い当たり・・・。
1963年にハリーが執行した絞首刑が鍵となっていますが、物語の真骨頂は絞首刑、ひいては死刑制度の廃止の是非そのものより、地域社会の閉鎖性やそのコミュニティで暮らす人々の閉塞感といったものにより重心が置かれているように感じました。
そんな中、 絞首刑廃止後も自身の仕事に誇りを持ち続ける、自信家で尊大な絞首刑執行人ハリーが、一度ならず二度までも無実の人間を“絞首刑”にしてしまうというシニカルでブラックユーモア・・・ユーモアというにはかなり後味が悪かったですが。
1963年の絞首刑はハリー自身も言っていたように「死刑を決めたのは裁判所」なので、たとえそれが冤罪で無実の人の命が奪われたのだとしても、ハリーを責めるのは違うと思います。
が、“第二の絞首刑”の方は。
シャーリーが誘拐されたかもしれないというハリーの猜疑心はもとより、田舎町の排他性、思い込みによる突っ走り、集団心理・・・最終的に殺す意図はなかったとしても、閉ざされた小さなコミュニティの集団としての暴走を感じました。
田舎町で偏見と古い価値観にとらわれたまま過去の時間を生きる人たちにとって、都会から来た若いムーニーは「異物」であり排除したい存在だったのでは?そしてそれが彼らの行動に拍車をかけたのではなかったでしょうか。
一方、ムーニーの意図、というかムーニーという人物の存在そのものがかなりミステリアス。
最初にパブに入って来た時から、ムーニーは明らかに何かの意図を持っていて、その底にはハリー(とその家族)への敵意のようなものが感じられました。
ホテルの部屋で食事しながらシドに話す内容は明らかに自分が1963年の事件の真犯人で、かつシャーリーを誘拐して命の危険に晒している張本人だと匂わせるよう・・・私にだって倉庫の、今にも崩れ落ちそうな不安定に積み上げられた箱の上で、首に縄をかけられて立たされているシャーリーの姿が目に浮かんだくらい。
結果、シドはムーニーの思惑通りにハリーにそれらしきことを告げ、それが悲劇を招く結果にもなる訳です。
でも実際のところ、シャーリーは拍子抜けするほど無事に戻ってきます。
ムーニーはどうしてわざわざ自分に疑惑が向けられるようなことを言ったのかな。
無実の罪で絞首刑にされたヘネシーの関係者でそのことを恨みに思っての犯行なら、それはやはりお門違いで恨むべきは死刑判決を下した裁判所の方だと思うのですが。
このあたりは謎のまま。
アフタートークで大東駿介くんがおっしゃっていたように観客に判断の余地を残すということでしょうか。
ムーニーの死体を前に、「こういうもんなのかな、公正さなんて。正義なんてもんは」と人ごとのように呟くハリー。
結局ムーニーが何だったのかは大した問題ではない、とマクドナーに突き放された気分です。
プライドが高く尊大でうぬぼれ屋だけど心のどこかに冤罪へのうしろめたさも潜ませているようなハリー 田中哲司さん。
きっぱりとした姉御肌で口は悪いながら娘のナイーブさも理解するアリス 秋山菜津子さん。
思春期特有の心の揺れ、都会の男への好奇心や緊張・・・田舎育ちで世間知らずで繊細な15歳の女の子 シャーリーの富田望生さん。
小心さと情緒不安定ぶりが滲み出るシド 宮崎吐夢さん、わずかの出ながら存在感を撒き散らすピアポイント三上市朗さん、のんだくれでダメダメなパブの常連客たち。
そして、正体不明の不穏さ、都会人の洗練、妖しい男の色気を存分に発揮したムーニー 大東駿介さん。
ツワモノ揃いの役者陣で、終始緊張感とぎれることなく引きつけられました。
それにしても大東駿介くん 観るたびにいい役者さんになったなぁと思います。
もっと用いられてもいいはずなのに、小栗旬くんに似ているお顔立ちが些か損してるのかな? のごくらく地獄度



