2018年03月08日

裁くことは正しく話すこと 「TERROR テロ」

 
terror.jpg「『裁くこと』はドイツ語の『正しく話す』からきています。先入観を持たず、ここで見聞きした情報だけで判断してください」

今井朋彦さん扮する裁判長が、客席の私たち-参審員に静かに語りかけて、裁判が開廷します。
弁護士と検察官がそれぞれの正義を賭けて丁々発止の論戦を繰り広げる裁判。
その判決の行方を決するのは、私たち参審員の投じる一票。


「TERROR テロ」
作: フェルディナント・フォン・シーラッハ
翻訳: 酒寄進一
演出: 森新太郎
出演: 橋爪功  今井朋彦  松下洸平  前田亜季  堀部圭亮  原田大輔  神野三鈴

2018年2月18日(日) 2:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 
1階A列センター (上演時間: 3時間/休憩15分・評決のための休憩 15分)



有罪か無罪か。
参審員である私たちが判断を迫られる事件はとても厳しく重い。

被告人はドイツ空軍のラース・コッホ少佐(松下洸平)。
罪状は殺人罪。

2013年7月26日 ミュンヘン発ベルリン行きのルフトハンザ航空旅客機がテロリストによってハイジャックされ、テロリストたちはイングランド VS ドイツのサッカーの試合が行われているスタジアムに突っ込むと予告します。旅客機の乗客は164人。スタジアムの観客は7万人。
ドイツ空軍パイロットであるラース・コッホ少佐は規定通りの警告行動を行ったものの犯人からの反応はなく、最終的に独断でこの旅客機を撃墜しました。7万人の観客の命を守るために。164人の命を犠牲にして。


机と椅子が並べられただけのシンプルなセット(美術: 堀尾幸男)。
登場人物は被告人、裁判長の他に、被告側の弁護士(橋爪功)、検察官(神野三鈴)、証人として召喚された被告人の上官(堀部圭亮)、犠牲となった人の遺族である被害者参加人(前田亜季)、そして廷吏(原田大輔)の7名。

人定質問と検察官による起訴状の朗読の後、証人としてコッホ少佐の上官であるラウターバッハが召喚され、その尋問でを聴くことで私たちにも事件の全容と当日の詳しい状況が明らかになります。
彼が軍や航空関係の専門用語を使うと裁判長がその言葉について質問し、「誰にでもわかるように話してください」と促すことでこれ以降、より平易な言葉で話したり説明を加えたりするようになり、私たちも理解が容易になるという、細部までよく書き込まれた戯曲だと思いました。


有罪か無罪か、審議が進む中で聴いている私たち参審員の思考を追い詰めるような激しい論戦が繰り広げられます。
検察官と弁護士の主張はどちらにも理があって、聴いていて非常に納得性がありながら、「でも・・・」と思わせる余白を残しているように感じました。

検察官は
命令に反して独断で人命を奪ったという事実、それが7万人を救うためであっても人命を数ではかることはできないという道義性、過去の事例をあげて人間のモラルの脆弱性を主張した上で、ドイツ連邦共和国基本法第1条に定められた「人間の尊厳は不可侵である」を掲げ、憲法の在り方と法治国家の原則を主張します。

一方の弁護人は
小さな悪が大きな悪を倒すためにはやむを得ないという人間の正義や尊厳とは何かを問いつつ、航空安全法は違憲であるという判断はなされているにもかかわらずそれに反した場合の責任の所在は明らかにされていないこと、そしてテロの脅威に対する超法規的措置の必要性を訴求していきます。

また、証人尋問の中で検察官は
スタジアムの観客を全員避難させる時間があったはずであること
証人として出廷した上官にあったかもしれない「暗黙の了解」という意志
乗務員および乗客による旅客機内でのテロリスト制圧の可能性
も主張していて、それぞれとても感じ入りましたが、これらの事案は被告人の罪状とは切り離して考えるべきことではないか、と私は思いました。つまり、これらの件に関して断罪されるべき被告人(もしくは組織)は他にいる、という考えです。

しかしながら、「人の倫理などあてにならない」という検察官の最終論告は胸に迫るものがありました。
人の倫理感を重んじ信頼し過ぎることは危険という考えで、あくまでも指針は法律に置くべきという主張。その上で、「人間の尊厳は不可侵である」という基本法第1条を厳然と言い放つ論の巧みさにうなる思いでした。

被害者参加人は旅客機乗客の妻。
「今回の事件で命を落とした・・」と裁判長に言われ、「それは違います」と言い放ちます。
「夫は命を落としたのではなく、命を奪われたのです」と。
空港まで夫を迎えに行っていて事件を知らされた妻の苦しみ、絶望感が痛いほど伝わってきました。
夫が最期に妻の携帯に送ったメッセージ「飛行機がハイジャックされた。今からみんなでコックピットに突入する。大丈夫だ」を読み上げるのを聴いていて涙があふれました。
「大丈夫だ」・・・夫はどんな思いでそのメッセージを送り、妻はどれほどの気持ちでそれを読んだのか。
(不思議なことに、私は911ではなく、1985年の日航機墜落事故が頭をよぎったのでした。)


終始落ち着いた語り口で冷静に審議を進める今井朋彦さん。
とぼけた風味の中に老獪さを滲ませて熱い弁論を繰り広げる橋爪功さん。
厳然、冷徹でありながら「人間の尊厳」への揺らぎのない信念を感じさせる神野三鈴さん。
軍人としての誇りと若者らしい正義感で終始毅然とした松下洸平さん。
観ていて苦しくなるほど遺族の苦悩を訴えた前田亜季さん。
事件を淡々と証言しながら「自分があの立場なら」も匂わせた堀部圭亮さん。
役者さんは皆さんすばらしかったです。


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入場時に配布された投票用紙



人命の重さと数の原理、個人と国家、正義と法、テロの脅威、そして倫理。
たくさんの命題を抱えた事件に参審員が下した判断は


terror1.jpg

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4票という僅差での有罪判決に、会場どよめきました。
カーテンコールで今井さんが「2日続けてご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、今日だけという方のために」と「昨日は311票と331票で無罪でした」「ちなみに、東京は全16公演で有罪8回、無罪8回でした」とおっしゃるとまたどよめきが。

同じものを観て同じことを聴き、同じ時間を共有した観客の判断が2つにほぼきっぱり分かれるというのはとても興味深いことですし、作者の狙いもそのあたりにあったのではないかと思います。
これまでの上演記録では、ヨーロッパや中東などでの上演は無罪が多く(ロンドンは33公演すべて無罪)、日本では有罪、無罪がほぼ同数。これはテロの脅威に対する距離感が働いているのでは?という見解ですが、国民性やそれ以外の何かの要素が働いてもいそう。興味はつきません。

裁判長から投票結果に応じて判決とその根拠が示されます。
これは判決が異なれば当然違ったものになる訳で、「無罪」の場合も聴いてみたかったなと思いました。

「感謝をもって、参審員の任を解きます」
裁判長からこう宣言された時、ずっと張り詰めていた緊張がほぐれてほっとしました。
なのにもう少しこの場に身を置いていたいような不思議な気分。
演劇のすばらしさを感じた瞬間でもありました。


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当日は気づきませんでしたが、後日兵芸に行った時、ギャラリーに東京公演の全判決結果が掲示されているのを発見(クリックすると拡大します)。



寝不足かつ体調不良だったのにピクリとも眠くならず・・おもしろい舞台ってこうだよね のごくらく度 (total 1885 vs 1889 )


posted by スキップ at 23:26| Comment(2) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
スキップさん、こんばんは。
本当に、演劇の素晴らしさを感じる舞台でしたね。
私も、裁判長から任を解かれた瞬間に、自分がとても緊張していたことに気づきました。
どの役者さんも、それぞれに素晴らしい在り方で、彼らが発する膨大な言葉の中で自分の考えをまとめて決めて保つことはとても難しかったです。
決して後味の良い舞台ではないかもしれませんが、こんな風に自分の全ての感覚で向き合う舞台も魅力的ですね。

東京公演の全判決結果のお写真、ありがとうございました。
有罪無罪が半々というのも驚きですが、回を追うごとに投票数が増えている(=観客が増えている)ことに、この舞台の力を感じました。
Posted by 恭穂 at 2018年03月12日 22:57
♪恭穂さま

舞台も客席も緊張感に満ちていましたね。
すごく集中して台詞を聴いていましたので、終演後は
結構疲れている自分に気づきました。
おっしゃる通り、どの役者さんも説得力ありましたので、
自分の考えなり姿勢なりを保つのは大変なことでした。

東京公演の結果は本当にいろいろな意味で興味深いですね。
兵庫は2回だけの公演でしたが有罪と無罪が見事に1回ずつ
分かれましたのもおもしろい符合です。

しばらくは観たくないですが(笑)、またいつか観る機会があれば
自分の考えが同じか、または変わるかということにも興味シンシンです。
Posted by スキップ at 2018年03月13日 23:43
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