2018年02月19日

シス x いのうえひでのり 「近松心中物語」


chikamatsu2018.jpg宝塚歌劇星組「心中・恋の大和路」(1979年)→ 蜷川幸雄演出「近松心中物語」(1986年)→ 文楽「冥途の飛脚」(1990年ごろ)→ 歌舞伎「恋飛脚大和往来」(2002年ごろ)
という順です。私の梅川・忠兵衛歴。
回数でいうと「封印切」の見取り含めて歌舞伎がダントツに多いのですが、近松の心中ものの中でも、お初・徳兵衛より小春・治兵衛より梅川・忠兵衛が好き、のベースになっているのは間違いなく宝塚版と蜷川演出版です。

蜷川さん演出での上演も告知されていましたが甚だ残念なことに実現することはなく、いのうえひでのりさんの演出で、というのは蜷川さんのご指名なのだとか。


シス・カンパニー 「近松心中物語」
作: 秋元松代 
演出: いのうえひでのり
美術: 松井るみ   照明: 原田保 
音楽: 岩代太郎   振付: 尾上菊之丞
イメージソング作曲: 岩代太郎  作詞: 大獄香子  歌: 石川さゆり
出演: 堤真一  宮沢りえ  池田成志  小池栄子  
市川猿弥  立石涼子  小野武彦  銀粉蝶 ほか

2018年2月7日(水) 1:30pm 新国立劇場 中劇場 1階5列(1列目)センター
(上演時間: 2時間30分/休憩 15分)



蜷川さん演出の「近松心中物語」は平幹二朗・太地喜和子版とその10年後位に坂東八十助・樋口可南子版の2回観たのですが、太地喜和子さんに憧れる早熟な少女だった(?)頃に観た初演などはほとんど覚えていません。
開演して、二段に組まれた格子や無数の真っ赤な風車、行き交う市井の人々の間を縫うように進む花魁道中を観ているうちに(あの花魁の衣装や歩き方はどうかと思うが)、「そうそう、こんなだったこんなだった」と記憶が甦りました・・・もちろん装置や美術は違っているのでしょうけれど、雰囲気として。


今回の舞台で一番感じたのは「二組の対比」です。
梅川と忠兵衛、お亀と与兵衛。
それは最初から秋元松代さんの脚本の意図するところだと思いますが、お亀と与兵衛を笑いの方にデフォルメすることによってその対比をより際立たせた印象。


ともに心中という道を選ぶ二組ですが、それはまるで理想と現実という裏表でもあるよう。
真っ白な雪の中で一緒に死ぬという思いを遂げる二人は美しく幸せな理想。
でも現実はそんなにうまくいかない。
お亀が何度も口にした「曽根崎心中のお初さんと徳兵衛さん」のように物語になったりもしない。
蜆川堤でドタバタした挙句一緒にも死ぬこともできず、生き残った与兵衛は僧となって彷徨い続けるのです。
それでも人は生きていかなければならないし、それが人に課せられた現実だと見せられた思い。

そういった意味で一番心に残ったシーンは
忠兵衛に店のお金を用立てたため追われる身となった与兵衛。
捕手が去った後、舅の長兵衛が天を仰ぎながら「与兵衛はダメな男だが、あんなに心の良いやつはいない。何とか助けてやりたい」と涙を見せる場面。
家の前で身を潜めていた与兵衛はどんな思いでこの言葉を聴いていたのでしょう。
池田成心さんの与兵衛、とてもよかったです。

お亀の小池栄子さんは相変わらずの振り切りぶりの中に愛嬌たっぷりで恋に恋するような乙女らしさ(20歳くらいの設定かな?)も感じられてさすがの存在感。でも一度梅川のような役も観てみたいです。

お亀・与兵衛に対して正統派の悲恋カップル梅川・忠兵衛の方が役としては難しいと思いますが、そこは宮沢りえさんも堤真一さんもすばらしく見せてくれました。
りえちゃん梅川の美しさ儚さ、希望のなさと薄幸感は無敵ですね。
堤さんの忠さんはもう少し色気が欲しいところではありますが、実直だけが取り柄のように誠実に生きてきた男が、初めての恋にも実直に向き合った結果・・・というのがよく出ていました。

「いとおしい」「かわいい」と言いながら梅川の首を絞める忠兵衛。
「わしに出会わなければ・・・」と忠兵衛は言ったけれど、それは彼にしても同じこと。
梅川に出会わなければ、罪人として追われることも、まして自ら命を絶つこともなかったのでしょう。
でも、出会ってしまった。それが二人の運命。


歌舞伎では何度観ても、切るとわかっていても「忠さん、それ切ったらあかん!」といつも心の中で叫びたくなる「封印切」が実にあっけなく流れて、いささか消化不良。
忠兵衛が追い詰められてやむにやまれず、というようには感じられませんでした。その前の八右衛門のネチネチも結構あっさり目でしたが。
この場面、梅川はそれが手をつけてはならないお金だということを最初から知っている設定になっていて、秋元松代さんのホンはそうだったのか~と思いました。知らずに無邪気に喜んでいる方がより悲劇性が際立つような気もしますが。


豪華キャスト、華やかな舞台装置、盆を駆使した場面転換にわかりやすり演出・・・舞台としてとても楽しく拝見しました。
が、梅川と忠兵衛はもとより、お亀と与兵衛も、いろんなことにがんじがらめに縛られて、そこから抜け出す唯一の方法が死ぬことだという抑圧感や切実感が物語全体を覆っているような空気は希薄。どこか絵空事の綺麗な物語のようにも感じました。

あと、上方言葉のイントネーションがやはりキビしい。
ストレスなく聴けるのがネイティブの堤さんと歌舞伎で場数踏んでる猿弥さんだけというのは・・・。
そういえば、猿弥さんだけマイクなしで地声でした。
音でいえば、新感線の舞台だと全く気にならないサンプラー(SEか?)の音(小判の落ちる音とか戸の開け閉めとか)もやたら耳につくのは不思議なことでした。


シス x いのうえひでのり これが3作目 ワタクシいささか相性悪いかも の地獄度 (total 1877 vs 1883 )


posted by スキップ at 23:17| Comment(2) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
『近松心中物語』、改めて観劇して良い脚本だなと再認識しました。

関西弁はネィティブな方が聞くと、やはり微妙なのですね。
関東人だと堤さんはさすがに違和感ないな、くらいの印象です。

梅川と忠兵衛、お亀と与兵衛。
二組の対比が生きていましたね。
蜷川版に比べると、人間の業みたいなものは弱いかな。

音響は何か変でしたよね。
聞こえ方に違和感があるというか、音のパランスが悪いというか。

新国立で音響にこんなにストレス感じたのは、はじめてかもしれません。
Posted by 花梨 at 2018年02月24日 13:44
♪花梨さま

本当に秋元さんの脚本よくできていますね。
蜷川さん演出版もさることながら、今回の演出では
より二組の対比に重点が置かれているように感じました。
ただその分、八右衛門とのいきさつや因縁が少し薄めかな
とも感じましたが。

上方言葉は、たとえばりえちゃんでも全部が気になるという訳
ではなく、時折「あれ?今のイントネーション違うよね」と
感じるくらいのものなのですが。

音響は微妙でしたね。
いのうえさんにサンプラーなしというのはあり得ない
ことですかねー(^^ゞ
Posted by スキップ at 2018年02月24日 23:30
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