2017年09月09日

科学が答えを出したその先 「プレイヤー」


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私は自分自身は霊感とかいうものには全く無縁の人間です。
が、友人に、あまり強くはないけれどいわゆる「見える」「聞こえる」人がいて、その時の様子を聞いたり、その人たち同士はわかるらしく、ごく稀に見知らぬ人から「あなた、見えるでしょ?」と声をかけられた、なんていう話も聞いたことがあります。

そんなこともあって、自分では何も見えたり聞こえたりしないながらも、そんな世界はあるんじゃないかなとは思っています。
この作品で藤原竜也くん演じる刑事の桜井が言った「科学が答えを出したその先」の世界が。


シアターコクーン・オンレパートリー2017 「プレイヤー」
作: 前川知大
演出: 長塚圭史
美術: 乘峯雅寛  照明:齋藤茂男 
出演: 藤原竜也  仲村トオル  成海璃子  シルビア・グラブ  
峯村リエ  高橋努  安井順平  村川絵梨  長井短  大鶴佐助  
本折最強さとし  櫻井章喜  木場勝己  真飛聖

2017年9月4日(月) 2:00pm 森ノ宮ピロティホール D列(2列目)センター
(上演時間 2時間50分/休憩15分)



物語の舞台はある地方都市の劇場のリハーサル室。
そこで稽古が進められている作品は、「死者の言葉が生きている人間を通して再生されるという戯曲『PLAYER』」。
その劇中劇と稽古場を行き来し、交錯しながら徐々に曖昧になっていく現実と虚構の境界線。


前川知大さんが2006年にイキウメで上演した戯曲「PLAYER」を、長塚圭史さんとともに討議を重ね、新たな構造を加えた作品。
オリジナルの戯曲は劇中劇「PLAYER」の部分だそうです。
そのあらすじは、


行方不明となっていた女性 アマノマコトが山荘で遺体となって見つかります。
彼女は、死後も意識として存在し続けることに成功して友人達の口「プレイヤー」を借りて言葉を発信するようになります。
彼女の死に不審を抱く刑事の桜井(藤原竜也)に、彼女を死に導いたと思われる環境保護団体代表であり瞑想ワークショップの指導者 時枝(仲村トオル)は、「これは世界を変える第一歩であり、死者との共存がこの物質文明を打開することになる」と持論を展開します。やがて桜井も時枝の主宰するセミナーに参加するようになり・・・というもの。

この戯曲の劇作家は未完のまま亡くなっていて、物語の結末は役者さんたちが演じていく中で決めて行こうという演出意図で稽古を行っています。
劇場のプロデューサー(峯村リエ)は作家と知己があり、自分が初めてプロデュースする劇場の作品はこれしかない、という思い入れもあるよう。
演出家(真飛聖)も彼女の意をくんで演出を引き受けたようです。


この「未完成」というあたりがネックになっていて、前半は劇中劇を演じている時とオフとが明確なのですが、物語が進むにつれて戯曲と現実の世界とが混濁しその境目が曖昧になっていきます。
戯曲には書かれていない部分を役者の考えでアドリブで演じるようになる終盤には、それが劇中のことなのか現実にこの人たちに起こっていることなのか、まるで虚構と現実が溶け合うような様相を呈して、物語もどんどん加速して狂気を孕み、息詰まるような展開を見せていきます。


戯曲に書かれた言葉(台詞)を「再生」すること
死者の言葉(思い)を「再生」すること

演じる者としての「プレイヤー」
再生装置としての「プレイヤー」

その重なりの中で、死者と繋がったような感覚になり、戯曲の中の死生観に耽溺して戯曲にはない新たな言葉を紡ぎ出すようになっていく俳優=プレイヤーたち。
観ている私たちもいつの間にかその虚構と現実の境界線が不確かになっていくあたり、とても上手い作劇だし、いかにも演劇的な作品だと思いました。


たくさんのパイプ椅子が並ぶ舞台。
この椅子を素早く並べ替えたり、場面が変わる時(ラジオ局だったり女性の部屋だったり)には可動式の小さなブースが出くるというシンプルな装置。

この並べたパイプ椅子を和室に見立てて演じるお通夜のシーンがおもしろかったな。
桜井や時枝はじめ、故人と特に縁が深かったと思われる者たちが集められ、思い出を語り合う中で死者の言葉が生きている者の口から迸り、それを目の当たりにして一人、また一人と次々に「その思想」に堕ちていく・・・そのあたりの集団心理の恐ろしさ、というか居心地の悪さ。


観ながらずっと気になっていたことが2つありました。

一つは、時枝だけ、劇中でも役者としても同じ「サトル」という名前 ということ。
これは、時枝こそが架空と現実、二つの世界を繋ぐ者だから?と妄想ふくらませていたのですが、後で調べたところ、何のことはない、俳優たちは稽古場と劇中劇での呼び方を姓・名で分けてあった模様です。
そういえば他の人たちの下の名前あんまり意識していませんでした。
時枝だけ「サトリオルグ」があったので印象に残って、役者仲間が「サトルさん」と呼んだ時「!!?」と思ったのね。

もう一つ。
登場人物の中にはいないけれど、「PLAYER」の劇作家の存在。
「引き受けてくれてありがとう」と演出家に意味深な目配せをしたり、プロデューサーの口を通してのみ語られるこの作者の存在が、この舞台全体を覆っているような気持ちになったのです。

果たしてそれは。
桜井の後輩刑事であり、亡くなったアマノマコトの親友で柳田の思想に取り込まれてしまう真知子(村川絵梨)の恋人でもあった有馬(高橋努)が時枝の挑発に乗って時枝をバットで殴り殺してしまった後にやってきました。
他の人たちが全員自殺(?)した中、「瞑想が下手で死ねない」という桜井が後方からパイプ椅子をかき分けるようにして前に出て来て、「自分が時枝殺しとして自首する。君(有馬)は逮捕したお手柄の刑事だ。記者会見も開かれるだろう。そこで時枝のプレイヤーとしてその思想を世間に大々的に喧伝するんだ」というようなことを告げます。
それを茫然自失のテイで聞く有馬。

そこで、突然役者に戻って表情も声もガラリと変わる桜井。
プロデューサーを振り返り、笑顔で告げます。
「どうかな?」
「この台本、ネットにあげて」

それに対して、万感の思いがこもったような表情で応じるプロデューサー。

「ネットにアップする」のが劇作家の意図であったことを少し前の場面で聞いていた私たちはこの時やっと気づくのでした。
桜井は劇作家の「プレーヤー」だったことを。

あー、ずっと作家の存在を感じていたのはこのせいだったのか、と思いました。
そこまで感じさせる(あるはそこに至るまで気づかせない)脚本も演出も、そしてもちろん役者さんたちの演技も凄い、と。

時枝に対して vs の立場になるのは有馬で、高橋努さんも熱演でしたので、本当ならこれが藤原竜也くんがやるべき役なのでは?と途中思ったこともあったのですが、これですべて理解。
是非はともかく、時枝の思想は元々作家のつくり出したものだし、時枝という人物自体含めてすべてを支配するのは名前も出て来ない劇作家であり、そのプレイヤーである桜井だったのだと。

いやそれにしても、プロデューサーはすべて承知していてあの戯曲の上演を目論んだということになるのかな、それともプロデューサー自身も作者のプレイヤーだったのでしょうか。

この作家に限らず、志半ばにして逝ってしまった死者への鎮魂の思いが感じられる作品。
同時に、時枝の唱える精神世界に現在過去未来という時間軸がないという、まるで人類の未来も見通したような目線、そしてその先に待っているものへの何ともいえない空恐ろしさ、不気味さを禁じえない作品でもありました。

ダークな部分を内包したカリスマ性を描出した時枝の仲村トオルさん。
相変わらず憑依型で揺れ動きはまり込んでいく桜井を熱演した藤原竜也くん。
欲を言えばこの二人のヒリヒリするような対決をもっと観たかったかな。


私を含めて客席全体が物音ひとつたてず固唾をのんで成り行きを見つめ続けていた舞台。
数多く舞台を観ていますが、客席がこんな雰囲気になる作品にはそうそう出会えるものではありませんし、そんな劇空間に身を委ねられたことは幸せでした。



あと、シュレディンガーね(声は安井順平さん)。あれ、ほんとカワコワイからやめて のごくらく地獄度 (total 1271 vs 1275 )


posted by スキップ at 23:30| Comment(0) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
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