2017年07月19日

天の采配 「子午線の祀り」


shigosen.jpgとても興味があって観たいと思っていた舞台。
昨年のリーディング公演にも何とか行けないかと画策してみたのですが叶わず。
今回もスケジュールが合わず一度はあきらめたのですが、当初7月3日に「髑髏城の七人」を観た後、そのまま旅行に出る予定だったのが諸般の事情により中止となり、それならせっかく東京にいるのだからもう1本、と探したところ「『子午線の祀り』プレビューやってるじゃん!」とテンションあがりました。

が、チケットはすでに完売。
”大人の手段”を使おうにもそもそもマーケットに出るチケットの数が少なく、ピンポイントの日程ではなかなか見つからずにいてあきらめかけていたところ、世田谷パブリックシアターから「補助席発売」のお知らせが
「やはり神様は私にこの舞台を観ろとおっしゃってくださっている」と張り切って発売時間にアクセスしたところ戻り?が出たのか完売だったS席が買えたというおまけつきです。


世田谷パブリックシアター開場20周年記念公演
「子午線の祀り」
作: 木下順二 
演出: 野村萬斎 
音楽: 武満徹  
美術: 松井るみ  照明: 服部基   衣裳: 半田悦子
出演: 野村萬斎  成河  村田雄浩  若村麻由美  河原崎國太郎  
嵐市太郎  星智也  今井朋彦 ほか

2017年7月3日(月) 6:30pm 世田谷パブリックシアター 1階M列(9列目)上手
(上演時間 3時間50分)



「平家物語」に題材をとった木下順二さんの叙事詩劇。
平知盛を主人公に、源義経を対照させて、一ノ谷の戦いで源氏に敗れた平家が屋島を経て壇ノ浦で滅亡するまでの葛藤を、天の視点から壮大なスケールで描いた作品です。
1979年に宇野重吉さん総合演出で初演されたそうですが、今回は2004年-2005年の観世榮夫さん演出版で知盛を演じた野村萬斎さんが演出も手掛けた舞台。


物語: 兄 平宗盛(河原崎国太郎)に代わり平家を指揮する知盛(野村萬斎)は、主戦論を唱える四国の豪族 阿波民部重能(村田雄浩)と対立していました。一方、源氏方でも、源義経(成河)と兄頼朝から遣わされた目付役の梶原景時(今井朋彦)の間に軋轢が生じていました。
平家の滅亡を予感しながらも後白河法皇の過酷な要求を拒絶し、徹底抗戦の道を選ぶ知盛。
ついに源平両軍は壇の浦の決戦の日を迎え・・・。


開演時間が近づくと客席通路のあちこちから黒づくめの衣装(セーターにパンツといった趣き)の役者さんが一人、また一人と登場してゆっくり歩を進め、舞台に集まっていきます。
舞台上には水を張ったような円があって、その中心には蝋燭。そこから真っ直ぐ天に向かって延びる一筋の光。
そこに重なるナレーション(確認していませんが、萬斎さんの声だと思われます)。
「晴れた夜空を見上げると、無数の星々を散りばめた真っ暗な天球が、あなたを中心にドームのように広がっている・・・」
天球や月の動き、子午線、そして潮の満ち引きへと語られ、まるで宇宙の神秘を伝える舞台のようで、「今から平家物語が始まるの?」という雰囲気のオープニングです。
一幕目はそのまま黒づくめだったり、一部のキャスト覗いては皆シンプルな衣装でしたが、二幕になると甲冑などもつけてグッとつくり込んだ拵えになっていました。

この作品の特徴である、平家物語の文体をそのまま全員で読む「郡読」という朗唱をはじめ、膨大な台詞を聴き込まなければならないため、かなり集中力を要して疲れ、4時間近い舞台は「あっという間だった」とは正直のところ言えません。
が、とても見応え聴き応えがありました。

特に終盤、壇ノ浦の合戦の場面。
可動式の小さな階段を使って二隻の船を表わす舞台装置がまず効果的。
その上にそれぞれ立つ知盛、義経と平家源氏のつわものたち。
合戦の群読が緊迫感と迫力に満ちていて、勝敗の行方を知っていても前のめりになりそうなくらい引き込まれ、さらには「平家物語」の詞章の美しさやリズムにも聴き惚れました。

月の運行がナレーションで差し込まれるのも実に効果的でした。
木下順二さんは、月の引力による潮目の変化が源平の勝敗を決したことからこの作品を構想されたということですが、その「月の引力」こそが天の采配であり、知盛の運命も義経の存在も、まさに「諸行無常」を実感したのでした。

「そうなるはずのことだったように思う」だったでしょうか、知盛が幾度となく口にした言葉は。
知盛はどこか諦めというか、決められた自分の運命を受け容れて達観しているようなところがあって、それが一ノ谷の敗戦からずっと彼を支配してるようにも見えるのですが、義経にはそれがない・・・義経もこの時代の悲劇のヒーローと知っている私にはこの対比も興味深かったです。
知盛は阿波民部重能、義経には梶原景時という、それぞれ「内憂」を抱えているのだけれど。

戦については天才的なのに生粋の御曹司で世渡りとか、ましてや兄 頼朝のことなど全くわかっていない義経。
自分は頼朝の弟だという自負がありながら、なかなか認めてもらえないコンプレックスに苛立つ義経に対して、頼朝の重臣で我こそが頼朝を支える者だとプライド高い景時。
成河くんの、いかにも天才肌で才に走り過ぎて時に狂気を内包するような義経が、今井朋彦さんの負の感情を持った策士といった風情と好対照で、この二人の場面は見応えありました。
成河くんの甲高い声は個人的には苦手なのですが、この役には奏功しているようです。

この二人に割って入る弁慶が思慮深く良識あって温かい人物として描かれていたのも印象的。
背が高くて成河くんとの身長差がいかにも弁慶じゃない、と思っていたら、星智也さんでした。
蜷川さんの舞台でよくお見かけしていましたが、「トロイラスとクレシダ」のアキレウス役が印象に残っています。

野村萬斎さんは私にとってはどちからといえば義経のイメージなのですが、苦悩する知盛像がハマっていました。朗々と語る台詞はもちろん、所作やピタリと決まる構えの美しさにも見惚れます。

これまで私が持っている知盛像はどちらかといえば「剛」だったのですが、今回その剛の部分を担っているのは村田雄浩さん演じる阿波民部重能。
ずっと「剛」で、「知盛を海を越えて大陸に逃がす」とまで考えた民部が最後の最後に平家を裏切ってしまう苦悩が切なく、これもまた逃れられぬ「天の采配」だったのかなと。

若村麻由美さん演じる影身は、知盛が和睦の使者として京に送ろうとしていたところを阿波民部に殺されてしまって、以降はこの世とあの世を繋ぐ存在として運命に翻弄される人々を俯瞰して見つめているという設定(かな?)
知盛が「見るべき程の事は全て見つ。今はただ自害せん」というあの有名な最期の言葉を言った後、「影身よ!」と叫んで入水したのを聞いて、あれは知盛がいつも見ていた幻影だったのかもしれないなと思いました。


念願の「子午線」とても面白かった・・・けど1日に3時間超×2本 さすがに疲れました のごくらく地獄度 (toal 1243 vs 1253 )


 

posted by スキップ at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください

この記事へのトラックバック