
舞台中央まで進み出て、かがみ込んで床に手をあてると、そこを照らした光が水紋のようにゆらゆらと広がり、やがて舞台一面を覆います。
そこに一人、また一人と現れる登場人物たち。
まるでホレイショーが時空を超えて呼び起こした精霊たちのように。
ジョン・ケアード演出の「ハムレット」
イメージは「ホレイショーの記憶の中の物語」なのだとか。
「ハムレット」
作: ウィリアム・シェイクスピア
翻訳: 松岡和子
上演台本: ジョン・ケアード 今井麻緒子
演出: ジョン・ケアード
美術: 堀尾幸男
音楽・演奏: 藤原道山
出演: 内野聖陽 貫地谷しほり 北村有起哉 加藤和樹 山口馬木也
今拓哉 大重わたる 村岡哲至 内堀律子 深見由真
壤晴彦 村井國夫 浅野ゆう子 國村隼
2017年5月3日(水) 7:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
1階A列センター (上演時間 3時間20分)
ホレイショーが語り部となって「ハムレット」の物語を観客に見せるという構成。
ホレイショー役の北村有起哉さんを除いた13人の役者さん全員が複数の役を兼ねています。
この「兼ねる」で印象的だった役が2組。
一つはハムレットとフォーティンブラス。
これまで数々の「ハムレット」を観てきましたが、この2役を同じ役者さんが演じるのを観たのは初めてでした。
王になる”はず”だったハムレットとその王位を受け継ぐフォーティンブラス。
復讐心と苦悩にまみれたハムレットと誇りと勇気を身につけたフォーティンブラス。
ともに王家に生まれながら、父王を喪ったもの同士。
この2人が「対をなす存在」であることが改めて際立って、絶妙なキャスティングだなぁと思いました。
もう一組はオフィーリアとオズリック。
愛するハムレットに父を殺され、狂気のうちに非業の死を遂げるオフィーリア。
そのハムレットを死に至らしめる試合の開催を告げるオズリック。
無表情で、抑揚のない声、感情を持たないような口調で話すオズリックは、オフィーリアが転生したようにも、ハムレットとレアティーズを死へと誘う死神のようにも思えました。
まるで歌舞伎の双面のような趣き。
こんな二役考えつくなんて、ほんと、凄い。
この舞台のもう一つの特徴は全体を覆う和テイスト・・・というかもっと言えば能の世界観。
上手から下手へ傾斜のついた舞台が上手側に寄っていて、能舞台を模したような空間。
橋掛かりの位置(つまりステージ上)にも客席を配しています。
出番ではない役者さんたちは上手奥に座って待機。
ここに藤原道山さんもいらして、音楽は尺八の生演奏。

こんな感じ。
これ、ロビーのモニターに映し出された舞台を写したものです。
衣装も和装を採り入れていて、袴を模したようなものがやはり能っぽい。
オフィーリアの白いドレスも袴みたいな形でした。
ハムレットとレアティーズの試合で使われたのは剣ではなくて木刀・・・というより竹槍かな?
木と木がぶつかる音と2人の息づかいだけが響く殺陣は迫力たっぷり。
この殺陣はローゼンクランツほかを演じられた山口馬木也さんがつけたものだとか。
馬木也さんの殺陣もまた観たいな。
「ハムレット」といえば、ホレイショー以外ほとんどの人が死んでしまう悲劇ですが、幽玄な能の世界を重ねることで、より一層その死生観が強調された印象でした。
「ハムレット役を若い役者がやるのは間違い。経験と技術が必要だ」というジョン・ケアードさんが選んだハムレット 内野聖陽さん。
私はどんな役であれ、必ずしもその役の年齢に近い役者さんがやる必要はないと考えてはいますが、「内野さんハムレットはどうかな~」と思っていたことを反省。
声や表情、仕草がこれまで観たどんな内野さんよりもお若い雰囲気で、役者さんの役づくりってこうよね~と思いました。
とはいうものの、全体的なトーンとしては知的で大人なハムレットという印象です。
見境なく激情に走るというのではなく、亡霊の言っていることが本当に正しいか検証したり、復讐心に燃える一方で叔父を殺すことを逡巡したり、とりたててマザコンっぽくもなく。
そうそう、「ハムレット」といえば有名な台詞 "To be, or not to be" は、「あるか あらざるか、それが問題だ」とおっしゃっていました。
松岡和子さんの訳「生きてとどまるか、消えてなくなるか、それが問題だ」とは違っていて、これは松岡さん訳本をもとに、ジョン・ケアードさんと今井麻緒子さんが上演台本を書いたことによるものだそうです。
一人の役者さんがクローディアスと先王の亡霊の両方を演じるのは以前にも観たことありますが、國村隼さん、とてもよかったです。
特にクローディアス。
何ていうのかしら、絶対的な悪というよりとても人間的な感じ。
美しい兄嫁 ガートルートのことを本当に愛していて、彼女を手に入れるために兄を殺してしまったのだろうなということが想像できます。
自分のした行為の顛末に畏怖も感じていて、弱い部分も垣間見えるクローディアス。
ラスト、ハムレットが毒を塗った竹槍で斬りかかって来た時、自分から切っ先を腹に刺していたように見えましたが、あれは自殺という解釈なのでしょうか。
クローディアスに殺された先王。
その先王が亡霊となってハムレットに自らの無念を告げることがハムレットをも死に導く。
何とも言い難い死の連鎖をこの一人二役が表しているようです。
浅野ゆう子さんのガートルートは美しさは申し分なく、声もよく出ていました。
なのに何故だか感じる「ガートルートじゃない」感。
そういう演出なのか浅野さんの演技プランに起因するものなのかよくわかりませんが、演技に関していえば一人だけ他の人たちとは異質という印象も受けました。
明るくて快活な普通の女の子が狂気へと陥る様を鮮やかに描出した貫地谷しほりさんのオフィーリア。
あの狂気の中で歌を口ずさみ、そこに加藤和樹さんレアティーズが歌を重ねる場面は切なくて涙。
レアティーズ(加藤和樹)がフランスへ出発する時、送る父ポローニアス(壤晴彦)、オフィーリアの親子3人がとても楽しく幸せそうで、その後にこの家族を襲う悲劇との対比が鮮やかでした。
物語の始まりとシンクロするラスト。
すべてを語り終え、一人また一人と舞台を去っていく中、たった一人残るホレイショー。
語り部でありハムレットを温かく見守り続けた親友であるホレイショーの孤独が、この物語の深渊を物語っているようでした。
上演時間長いのにソワレ7:00開演遅いってば の地獄度


