2016年12月13日

森山未來くん ストプレにプリーズカムバ~ック 「メトロポリス」


metropolis.jpg原案は、1926年に製作されたドイツのモノクロ・サイレント映画(監督:フリッツ・ラング、原作・脚本:テア・フォン・ハルボウ)で、100年後のディストピア未来都市を描いもので、「SF映画の原点にして頂点」とされているのだそうです。
もちろん未見で、「SF映画」という時点でかなり腰も引け気味なのですが、「メタルマクベス」以来10年ぶりの共演という、松たか子 & 森山未來 の魅力には抗えませんでした。


シアターコクーン・オンレパートリー2016
「メトロポリス」
原作: テア・フォン・ハルボウ 『新訳 メトロポリス』
演出・美術: 串田和美
原作翻訳: 酒寄進一 潤色: 加藤直 
出演: 松たか子  森山未來  飴屋法水  佐野岳  大石継太  趣里  さとうこうじ  
内田紳一郎  真那胡敬二  大森博史  大方斐紗子  串田和美 ほか
ミュージシャン: 平田ナオキ  エミ・エレオノーラ  青木タイセイ  熊谷太輔

2016年11月27日(日) 2:00pm シアターコクーン 1階C列(4列目) 下手



いつもは公式サイトなどから丸写しするのをよしとせず、まがりなりにも自分の言葉で咀嚼してストーリーを書くよう努めているのですが、この作品についてはその自信がなくて、以下のあらすじは公式サイトから(役者名のみスキップ追記)。

メトロポリスの主、フレーデルセン(大森博史の息子フレーダー(森山未來)は、労働者階級の娘マリア(松たか子)と出会い、恋に落ちる。
彼女を追って地下へと向かい、そこでメトロポリスを動かす巨大な機械と、過酷な労働を強いられる労働者を初めて見たフレーダーは、社会の矛盾に気付く。一方マリアは密かに集会を開き、労働者たちに忍耐と希望を説いていた。「頭脳(支配者)と手(労働者)を仲介するのは心でなくてはいけない。仲介者は必ず現れる」と。それを知ったフレーデルセンは、旧知の科学者ロートヴァング(真那胡敬二)にマリアを誘拐し、製作中のアンドロイドをマリアそっくりの顔にして、労働者たちの間に送り込み、彼らを混乱させろと命じる。アンドロイド(松たか子二役)は見事にその役割を果たし、労働者は暴徒と化して機械を破壊、メトロポリスも音を立てて崩れ始める。そのために労働者が住む地下の町は洪水に見舞われて・・・。フレーダーは、最初に出会った労働者の若者(大石継太)や、父が解雇した元秘書などの助けを借りて、マリアと地下の町を救うべく立ち上がる。


そうそう。
今こうして読んでみると、そうそう、そういう話だったよね~と思います(笑)。
観ている間もそれなりに把握していたつもりではあるのですが。

巨大都市メトロポリス。
高層ビルの上層階で暮らす裕福な知的支配者層(頭)と、地下世界で圧制を受ける労働者層(手)が分断された階級社会。
支配者層は白い服を着て、労働者たちはいつもグレーの服。
マリアと出会い、社会の不合理に直面して、労働者の男と服を交換してすべてを5⃣てて地下世界へ行くフレーダー。

「頭(支配者)と手(労働者)をつなぐのは心でなくてはならない」

という言葉が、原作でもこの舞台でもとても象徴的に、意味を持って発せられるのですが、
その「心」がすなわち、フレーダーということなのでしょうか。


哲学的というか思想的というか、その真に表現するものは多分私のハートに届かなかったと思います・・・というか、私の方が受け容れる器を持っていなかったのでしょう。
だから、この物語の本当の面白さも意味も、理解したとは決していい難いです。

原作も読んでいないし映画も観ていないのでよくわかりませんが、飴屋法水さんの「どこにもイヌ丸」とか、串田和美さん扮する「赤い靴の男」とかは、この舞台だけのキャラクターだと思います。
が、彼らが本筋にどのような関係や意味が持って存在するのかも今イチ理解できず。
「ハチ公が・・」とか「Bunkamuraが」とか話していましたので、「メトロポリス」が単なる架空の未来都市ではなく、現代の日本にも、世界中のどこにでもある普遍的なディストピアだということを表わしていたのかな。
赤い靴の男といえば、客席下手のエリアに時々来て、じっと座ってるかと思えば立ち上がって舞台の方を見ていたりもしましたが、あの行動にも意味があったのだろうか。


まぁ、そんな訳で、作品自体の面白さを受け止めることは私には残念ながらできなかったのですが、パーツパーツの楽しさは享受。
生演奏や歌やフォーメーションダンス、躍動感に満ちたアクロバット風もあり、「思想」とエンタテインメント性を兼ね備えた舞台といった印象です。

森山未來くんの身体能力はとどまるところを知らなくて、複雑な振付もろともせず、しなやかなカラダで表現するコンテポラリーなダンス(振付: 山田うん)はいつまでも観ていたいと思うほど。
それでも、彼が台詞を発する声や話し方がやっぱり大好きだと改めて感じて、ダンスに注力するのと同じくらい、ストプレの世界にも帰って来てほしいよぉと、切に願わないではいられません。
(いや、この舞台もストプレなのか?(-.-;)

真っすぐで清々しく、しなやかで強い松たか子さんのマリア。
久しぶりに歌声もたっぷり聴けてうれしかったです。
佐野岳くんのバク宙に目を見張りながら。「『最強スポーツ男子』で優勝した子だ!」と気づいたり。
あ、趣里ちゃん出てたんだ、ご活躍ね、と喜んだり。

・・・私が書ける感想はこんなところです(我ながらショボい)。
もし、WOWOWか何か映像で観る機会があるならば、その時はちゃんと原作読んでから臨みたいと思います。


今年、「ひょっこりひょうたん島」がワタシ的にはダメで、コクーン歌舞伎「四谷怪談」も今ひとつ乗り切れず、「もしかしたら、串田さんが私にはもうダメなのかもしれない」としばらく前に友人に不安な思いを話していたのですが、何となくそれが的中しちゃった感じかな。



串田和美演出作品 次を観るのは少し勇気がいるかも の地獄度 (total 1671 vs 1678 )


posted by スキップ at 23:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
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