
ですが、周りには少し見えたり感じたりする人が何人かいて、その人たちが話す言葉に嘘はないと思っています。
だから、「その世界」はあると思っている方です。
つまり、そういう意味では多分、「ヤナギタ」側の人間なのだろうなぁ、と。
「遠野物語・奇ッ怪 其ノ参」
原作: 柳田国男 「遠野物語」
脚本・演出: 前川知大
出演: 仲村トオル 瀬戸康史 山内圭哉 池谷のぶえ 安井順平 浜田信也 安藤輪子 石山蓮華 銀粉蝶
2016年11月26日(土) 1:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 1階D列上手
民俗学者・柳田国男が遠野盆地や遠野街道にまつわる民話を集録した「遠野物語」をモチーフとして、イキウメの前川知大さんが脚本を書き演出した舞台。
全てに「標準」が設定され、逸脱するものは違法とされた標準化政策の時代の架空の日本。
東北弁で書いた散文集を自費出版した作家 ヤナギタ(仲村トオル)は警察署に呼ばれ、迷信を科学的に解明する著名な学者 イノウエ(山内圭哉)から事情聴取を受けます。
ヤナギタは、書物は標準語と併記しており、内容はある東北の青年ササキ(瀬戸康史)から聞いたものですべて真実だと主張します。
やがて彼らの前に「遠野物語」の世界が広がり・・・。
霊媒体質を持つササキ青年やその祖母(銀粉蝶)が語り部となって描かれるいくつかの遠野郷の物語。
山人や座敷わらしや谷底から聞こえる声、神隠し、といったものたちが彩る世界は、観ている私たちをゆらりと異界に紛れ込んだような感覚にさせてくれます。
しかしながら前川さんの意図は、それらのピースをひとつずつ解明したり、物語の謎に踏み込んだりすることではなくて、人々はどうして「物語った」のか、「物語」はなぜ生まれたのか、というところにあるようです。
このモチーフでヤナギタ、イノウエ、ササキといえば、それぞれ 柳田国男、井上円了、佐々木喜善がイメージされますが、そこはそれほど重きを置かなくてよさそう。
ヤナギタとイノウエのやり取りが印象的でした。
「哀しい出来事を怪異のせいにすることで、乗り越えられることもある。現実をすべて受け止めきれるほど強い人間ばかりじゃない」と言うヤナギタ。
そのヤナギタが示す事象に、ことごとく科学的、論理的に反駁するイノウエは妻が失踪したという過去を持っています。
「妻が失踪した時、警察は神隠しと思って諦めるしかないと言った。そんな馬鹿なこと、絶対に認めない」とイノウエ。
限界を超えるほどツラく厳しい現実に直面した時・・・たとえば愛する人が理由もなく突然自分の前からいなくなってしまった時、「神隠し」という言葉で救われる心もあれば、そんなことは受け容れられない心情もあります。
ヤナギタが綴った遠野の人々とイノウエとでは現実への向き合い方、心の在り方が違っているだけで、どちらが強いとか弱いとか、正しいとか間違っているとかいう尺度では測れないものだと思うのです。
そしてそれはもちろん彼らだけのことではなく、あなたにもワタシにもあること。
遠野の郷に限らず、日本の、世界の各地でそんな物語が生まれ伝承され続けるワケはそんなところにあるのではないかと思いました。
だからこそ、こういった物語は消え去ることはないし、また、消し去ってはならないものなのだ、と。
「今『遠野物語』を語ることで、私たちが失って久しいもの、失いつつあるもの、そしてどこへ向かおうとしているのか、舞台の上で考えます」
と前川知大さんはおっしゃっています。
その答えは、舞台を観終わった今も私の中に明確にはありません。
それでも、ササキ青年からヤナギタへ、ヤナギタからイノウエへ、「渡しましたからね」という言葉、そこに込められた思いは、客席にいる私たちも向けられたものであり、”今”という時代を生きている私たちすべてがしっかり受け取るべきものだと感じたのでした。
美術は堀尾幸男さん、照明は原田保さんというゴールデンコンビ。
ボクシングのリングか能舞台かをナナメに浮かべたような島舞台。
それが取調室になったり、森の中になったり、ササキ青年の実家になったりします。
ダークな背景の山々や森には、狼や異形の者や死者の霊らしきものの姿が浮かび上がったり。
最初に山内圭哉さんが舞台上手に出てきて、どこまでが脚本でどこからがアドリブだかわからないような雰囲気で(ご本人は「これ全部台本ですからね」とおっしゃっていました)客席に向かって関西弁で語りかけて、「『標準語』と東京弁は違いますからね。東京なんてあんなもん、田舎者の集まりですからね」とこれが「言葉」と「標準化」に関わる物語でもあることを印象づけるプロローグ、上手いなぁと後になって思いました。
「先生、そろそろ」と池谷のぶえさん扮する警察官に促されて、山内圭哉→イノウエと転じたところで物語がスタートしました。
ほとんどの役者さんが遠野物語の中の人物を兼ねている中で、ヤナギタ(仲村トオル)、ササキ(瀬戸康史)、ササキの祖母(銀粉蝶)がシングルキャスト。
この3人がとてもよかったです。
骨太でもあり可笑しみもあり、硬軟自在の仲村トオルさんのヤナギタ。
現世とあちらの世界をシームレスに行き来しているような銀粉蝶さんのおばあさん。
そして、ササキ青年の瀬戸康史くんはうれしいオドロキ。
方言の流暢さはヤナギタでなくても「もうちょっとゆっくりしゃべってくれる?」と言いたくなるくらい。
純朴で繊細で、この青年なら死者が憑依したり取り込まれてしまうのもさもありなんという佇まい。
学生時代、一般教養で「民俗学」の授業をとっていて、その中で興味を持った柳田国男や折口信夫の著書を何作か読んだ中の一冊が「遠野物語」。
はるか昔なので(笑)、ストーリーはほとんど忘れていたのですが、物語が進むにつれて「あぁ そうだった、そんなお話だった」と思い出して、人間の記憶って本当に不思議。
そんな彼方の記憶とともに当時の思いも呼び覚ましてくれる、とても心に残る舞台でした。
「いつか遠野に行ってみたい」とその頃思ったことも思い出しました のごくらく度


