2016年11月15日
あの人の中のよきもの 「るつぼ」
1692年にアメリカ・マサチューセッツ州セイラムで実際に起きた魔女裁判を題材に、アーサー・ミラーが自身の50年代の反共産主義運動に対する批判を盛り込んで書いたとされる戯曲で、1953年初演。
共同体の異種排除の怖ろしさ
告発の連鎖の危うさ
集団心理の狂気
凶器と化す言葉
そこにからみつく人間の欲望
それらの中で問われる人としての尊厳と良心の行方
これは遠い時代のアメリカの話であると同時に、
今、私たちの隣で起こり得る普遍的な物語です。
シアターコクーン・オンレパートリー2016 「るつぼ」
作: アーサー・ミラー
翻訳: 広田敦郎
演出: ジョナサン・マンビィ
美術・衣裳: マイク・ブリットン
出演: 堤真一 松雪泰子 黒木華 岸井ゆきの 溝端淳平
秋本奈緒美 大鷹明良 立石涼子 小野武彦 ほか
2016年11月5日(土) 1:00pm 森ノ宮ピロティホール F列センター
ピューリタンたちを乗せたメイフラワー号がアメリカに錨をおろしたのは1620年。
この物語はその72年後、1692年 ピューリタニズムの色濃いアメリカ東部の小さな町が舞台です。
ひとりの少女アビゲイル(黒木華)が森の中で仲間の少女たちとともに魔術的な踊りをしていたところを叔父であるパリス牧師(大鷹明良)に見咎められ、牧師の娘ベティが昏睡するなどしたことから、魔女のうわさが広がり、少女たちは保身のため無実の人間を悪魔の手先とあげつらい、逮捕と処刑が相次ぎます。そこには、農夫ジョン・プロクター(堤 真一)と一夜の交わりを持ったアビゲイルによる、彼の妻エリザベス(松雪泰子)を告発するという意図があり・・・。
アビゲイルを筆頭とする少女たちの狂信的な嘘に乗せられ、正常な判断ができなくなった大人たち。
勇気を振り絞って真実を訴えた少女メアリー・ウォレン(岸井ゆきの)さえ呑み込まれてしまい、たとえ疑念が生じたとしても自分たちの威信のために判断を翻すことをせず、人を貶めても保身に走り、結果として多くの罪なき者が投獄され処刑される・・・
何ともやり切れない話だなぁ、と苦虫を噛み潰したような顔で観ていたと思います、私。
それが一気に涙腺緩んだのは、レベッカ・ナース(立石涼子)のこの台詞を聞いた時。
「だって、嘘だもの」
悪魔とともにあったことを認めなければ絞首刑という、その刑の執行が翌朝に迫った日。
ジョン・プロクターを説得させようと妻であるエリザベスに会わせる裁判長 ダンフォース(小野武彦)。
妻のため、子どもたちのため、生きたいという強い思いのため、苦渋の選択をして「悪魔とともにいた」という文書に署名するプロクター。
そのプロクターを前に、「お前も悪魔とともにいたことを認めろ。そうすれば絞首刑は免れるんだ」とレベッカに迫るダンフォース。
それに応えてレベッカが言う言葉です。
虚偽の宣誓をしても生きる道を選んだプロクターを責めるとか非難するとか、そういう響きは全くなくて、
ただ純粋な子どものような澄んだ声で、「嘘だもの」 というレベッカ。一点の迷いもないその表情。
立石涼子さん すばらしい。
処刑場に連行される時、よろけてしまって、「朝ごはん食べてないのよ」とつぶやいた時には、可愛らしいやら切ないやらで泣き笑いです。
このレベッカや、頑固者で筋を曲げることを良しとしなかった老人ジャイルズ・コーリー(青山達三)のように、自分の信じるところに終始ブレなかった人たちが絞首台に送られたり、拷問で圧死したりするのはやはり何ともやり切れない思いですが、その後のプロクターの決断にはある種の清々しさも感じます。
生きながらえるために一度は署名した宣誓書を公にされることを嫌い、レベッカの決断を見て、自らの内にある「よきもの」を奪われたくないと、宣誓書を破り捨てて絞首刑に処せられることを選ぶプロクター。
「今ならまだ間に合う。説得するんだ!」とエリザベスに迫るヘイル牧師(溝端淳平)に、
「あの人の中によきものはあった。
それを私が裁くことを 神はお許しにはなりません」
と静かに言い放つエリザベスの清廉とした強さ。
自分の中の「よきもの」について考えます。
自分は果たして、心の中によきものがあるだろうか。
自分がプロクターの立場なら、自分がエリザベスだったら、どうだろうか。
それほど宗教心もなく強い心も、心の中のよきものも持たない私は、きっとすぐ署名して死刑を免れる道を選びそう。
もし夫がそんなことになったら、たとえ信念を曲げることになっても「署名して」と泣いてすがりついてしまいそうです。
ジョナサン・マンヴィ 演出、美術・衣裳がマイク・ブリットンというのは、2012年に上演された、佐藤健くん&石原さとみちゃん主演の「ロミオ&ジュリエット」と同じコンビですが、今回の方がかなり好きでした。
炎を囲む少女たちの魔術的な踊り(振付: 黒田育世)で始まるオープニング。
この少女たちがテーブルや椅子を運で舞台転換してコロスのような役割を果たすのも、この小さな世界が彼女たちに支配され、大人たちが操られいることを感じさせる演出。
照明が全体的に暗めでしたが、天窓やプロクター家の小さな窓から差し込む光が印象的な、ヨーロッパの古い宗教画を思わせる舞台美術も素敵でした。
アビゲイルを演じた黒木華さん。
さすがに今、勢いのある役者さんという感じ。
よく通る声、すっと伸びた背筋、人によってくるくると変わる表情と態度、声色。少女たちを扇動する強さと邪悪な雰囲気。
いや~、嫌悪感満載(←ほめてます)。お見事でした。
これに対して、メアリー・ウォレンの岸井ゆきのさんが大健闘だったのではないかしら。
この子はきっとアビゲイルを打ち負かすことなんてできないだろうな、と最初から見えているような小柄で頼りなげな少女。
それがプロクターに強制されたとはいえ、精一杯の勇気を振り絞って告発する側に回ったのに、法廷で、まさに「るつぼ」に巻き込まれるように、またアビゲイル率いる少女たちの側に、狂気の中取り込まれてしまった時は、客席から「あぁ」というため息とも絶望とも取れる声が漏れました。
野性的な農夫プロクターの堤真一さんは、使用人のアビゲイルと過ちを犯すような男とはあまり感じられませんでしたが、牢獄で妻のエリザベスと対峙する場面はとてもよかったです。
何度も「俺はどうすればいい?」とエリザベスに聞くプロクター。
そのたびに「私には決められないわ。あなたのやりたいようにして」と応えるエリザベスが何だかもどかしく感じたのですが、本心では「「署名して。生きて」と背中を押してほしかったのではないでしょうか。
そんな弱さ、迷いや苦悩も見せて葛藤した末に、自分の魂の「よきもの」に恥じない決断をしたプロクターと、それを毅然と受け容れるエリザベスは、この時、本当の意味で夫婦になったのだと感じました。
カーテンコール。
センターに立っているから袖にはけるの一番最後なのに前を歩く黒木華ちゃんを追い越してスタスタ去って行く堤さんを見て、今流した涙も乾く勢いでした のごくらく地獄度 (total 1659 vs 1661 )
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