
あらゆるボーダーラインを超えていく」
とフライヤーに書かれたリードコピー。
この「勧進帳」のテーマはボーダーライン(境界線)なのだそうです。そこに描かれていた境界は
関所のボーダー
主従のボーダー
人種のボーダー
性別のボーダー
過去と現代のボーダー
舞台と客席のボーダー
歌舞伎と現代劇のボーダー
そして
そんな境界線をひょいと跳び越える人たち
木ノ下歌舞伎 「勧進帳」
監修・補綴: 木ノ下裕一
演出・美術: 杉原邦生
出演: リー5世 坂口涼太郎 高山のえみ 岡野康弘 亀島一徳 重岡漠 大柿友哉
2016年11月3日(木) 7:00pm 春秋座 1列センター (全席自由席)
以前から興味があって観てみたいと思っていた木ノ下歌舞伎。
私が知ったのはここ数年のことですが、今年10周年と聞いてびっくり。
しかも、主宰の木ノ下裕一さんは今年31歳ということですので、若干21歳 大学生の時に旗揚げされたのですね。
10周年を記念して2年がかりで開催中の「木ノ下“大”歌舞伎」。
これまで上演してきた演目を一挙に披露するそうですが、その第2弾「勧進帳」は、2010年に初演された作品の「再創作」なのだとか。
会場は、ファッションショーのランウェイのような白く長いステージが横に一直線に延びていて、そのステージを挟むように両側に客席が、奥に4列、手前に6列設えてありました。全部で200席位でしょうか。
この時点でかなりオドロキ。
多分、舞台の上なのかな?いつもの見慣れた春秋座のかけらもない、という感じで、これ、舞台の設営やバラシ見てみたかったなぁ。
開演時間になると、黒いスエット風の上下を来た男性が4人、真っ黒い人間の首や、白木の三宝に載せられた金品(富樫が弁慶一行に渡す勧進の品と思われる)を持って出て来たのをぼんやり眺めていたら、その人たちが急にポジショニングして芝居を始めたので、「んまっ!スタッフの人かと思ってたら役者さんだったのか!」と二度目のオドロキ。
今回が木ノ下歌舞伎デビューだったのですが、例によって全く予備知識を持たず、何となく花組芝居のようなものを想像していましたので、拵えはもちろん、台詞も所作も、ここまで「現代劇」ということが衝撃でした。
でもそれは、観ていくにつれて、それはまぎれもなく「勧進帳」だったのでした。
最初に出て来た4人は、富樫臣下の関守である番卒と義経の四天王の両方を演じていて、場面に応じて位置を変えたり、ポケットから中啓や数珠を取り出して瞬時に立場が変わるという演出。
命を奪おうとする側と命の危機に怯える側・・・同じ役者さんが逆の立場の台詞を放つことで、よりその対照が際立ったり、反対に共有するものが感じられたり・・・よく考えられたおもしろい演出だなぁと思いました。
基本的に現代劇なのですが、勧進帳読み上げは、言葉は平易な現代語でしたが、読み上げる調子は歌舞伎調だったり、ゆっくりすり足で進む義経だったり、鼓や三味線といった鳴り物を役者さんのナマ声で表現したり、と随所に歌舞伎テイストが融合されていました。
杉原邦生さんがポストトークで「勧進帳読み上げは今回全部現代語に書き直したのでわかりやすかったでしょ?」とちょっとドヤ顔されていましたが、勧進帳はもちろん、山伏問答も理解していたつもりでも平易な現代語で聞くと「そうだったのかっ」と気づく部分もあって、とても勉強になりました。
私がこれまで観た「勧進帳」の中で、「こんなに一語一句もらさず山伏問答を聞いたの初めて」と思ったのは、2年前、市川染五郎さんが弁慶を初演で演じた「勧進帳」ですが、今回それよりよく聞いたかも(笑)。
上演台本を販売していたら、テキストとして欲しいくらいです。
一番好きだった場面は「判官御手」。
歌舞伎でも大好きな場面ですが、ひれ伏して謝る弁慶に向かって義経が凛と伸ばした手が光に包まれて、まるで神々しいほど。とても静謐な雰囲気でした。
ここ、例の4人は ♪君と手をつなぎたかった~ みたいなラップ調の曲を歌っていたのですが(TAICHI MASTERさんという方の曲らしい)、それが静謐な場面とミスマッチかと思えば妙にハマっていたりもして。

何年か前に、安宅の関を訪れた時のことを思い出しました。
冬の寒い時期で、日本海の荒波がドッパーンと迫る海辺の山道。
「よくぞこんなところまで・・」と目頭が熱くなったのでした。
物語としては、より富樫にフォーカスしているという印象を受けました。
最初に登場した時、富樫は関守たちの一番後ろにドンと座っていて、ひっきりなしにタバコを吸ったり、関守の一人が買ってきてくれた缶コーヒーを「いらない」と断ったり、何だか苛立っている雰囲気。
「頭使えよ」と臣下に言う場面では、「孤独な上司」という言葉が浮かんで、わが身を顧みてちょっと身につまされたりもしました。
歌舞伎の「勧進帳」では富樫は、強力が義経と気づいていながら弁慶の何としても主を守るという熱い思いを意気に感じて切腹覚悟で関所を通す、というスタンスですが、今回、そのあたりがあまり感じられないなぁ、と思っていました。
いわゆる「延年の舞」にあたる場面で、富樫が差し入れしたお酒やたこ焼き、スナック菓子でプチ宴会となって盛り上がる弁慶と四天王を少し離れた場所から見て、「君たちはいつもそんなに楽しそうなのか」とつぶやく富樫。
それを聴いて、苛立つ富樫を覆っていたものが「孤独」なのではないかと思い至った次第です。
このあたりはポストトークで客席からの質問にも出ていて、杉原さんは「富樫は自分たちにないものを義経主従に見てうらやましかったのでは」とおっしゃっていましたが、私はその根底にある富樫の孤独感をより強く感じました。
ラストは弁慶の飛び六方の引っ込みという歌舞伎に対して、富樫で終わるという結びもこの勧進帳が「富樫の物語」であることを印象づけている感じ。
宴が終わって弁慶一行は去り、飲物や食べものの残骸だけが残ったビニールシートの上にぽつんと残されたラジオから、義経一行の動向と頼朝による追討の強化、そして関守の責任を問うといった内容の幕府発表が流れ、それを冨樫がひとり聞いているという光景。
富樫自身にも命の危険が迫っていることを暗示したシニカルでビターな終幕。
あのラジオを聴く富樫(坂口涼太郎)の表情もとても印象的でした。
役者さんでは義経を演じた高山のえみさんがよかったな。
第一声を聴いた時、「女優さんなのに太く低い声だな」と思ったのですが、性別適合手術を受けた方であることを後で知りました。
「境界線の話だから、その人自身の中にも境界線を内包しているような俳優が出てくれるとイメージが広がっていいんじゃないか。のえみちゃんはジェンダーの境界を内包していると思って」という杉原さんのキャスティング、凄いです。
一歩一歩ゆっくり進むすり足は見ていてさすがにキビしい部分はありましたが、凛として少し寄りつき難いところもある義経の雰囲気がよく出ていて、宴会している弁慶たちを残して先に去っていくところの、客席の一番上の段に立って振り返った時の微笑みが何だか哀しそうに見えたのも印象的でした。
もう一人、「国境を内包している」リー5世の弁慶。
2010年の初演で弁慶を演じた Johnさんがアメリカに帰っちゃったので、弁慶役どうしよう、と思っていた杉原さんがテレビで「マッサン」を見ていて発見した英語教師役で出ていたリー5世。
怪力無双の荒法師でその実在を疑われたこともある弁慶にアメリカ人をあてるというのはまた鋭いキャスティングでナイスアイデアだわと感心。
力強く頼りになる弁慶。存在感バツグンです。
仲間の四天王と話す時だけ、「たのむで」「早よしぃ!」と関西弁になるのも楽しかったです。
ただ
やっぱり日本語がカタコトなのがなぁ~。
差別とかdisるとかいう意図は全くないのですが、「勧進帳」って歌舞伎の演目の中でも特に詞章が大切だと思っています。
その大切な台詞はやはり、滑舌のしっかりした美しい日本語で聴きたい、という思いは最後まで拭い去ることができませんでした。
とはいえ、まずは歌舞伎の台詞、所作を完コピーするところから入るという木ノ下歌舞伎。
関所を境界線に見立て、そこに様々な境界線を重ね合わせて交錯させ、ボーダーレスの世界を重層的かつ普遍的なドラマとして見せてくれた「勧進帳」。とてもおもしろかったです。

18:30開場で並んだ時は5番目位だったのに入れるのはロビーまでで、客席に入れるのは18:50。トイレ行っている間に長蛇の列になっていて、入場は50番目位になっちゃいました。
最前列にポコッと空いていた席に座れたから許すけど、ロビー入れる時点で整理券発行してもよかったのでは? のごくらく地獄度



