
「ベルサイユのばら」「風と共に去りぬ」など数々の宝塚の名曲を生み出した作曲家の寺田瀧雄先生
お二人の七回忌、十七回忌を偲んでのメモリアルトーク&プチコサート。
全部で5回企画されていて、それぞれゲストが違っていましたが、迷わずこの回を選びました。
ツレちゃんのトークはきっと楽しいはず!と思ったから。
追加公演ができるほど大人気で抽選となりましたが、無事当選して期待どおりの楽しい時間を過ごしました。
阪急文化財団が贈る 逸翁コンサートスペシャル
~熱き想い受け継いで~
小林公平・寺田瀧雄メモリアルトーク&プチコンサート
出演: 酒井澄夫(宝塚歌劇団演出家) 鳳蘭 麻路さき/ピアノ 吉田優子
進行: 朝峰ひかり
監修: 植田紳爾
2016年10月15日(土) 2:00pm マグノリアホール H列センター
逸翁美術館の一角にあるマグノリアホール。
中に入ったのは初めてでした。
可動式の座席が120席という小さな規模ながら、このホールの生みの親でもある小林公平さんが、「マイクなしで歌えるように」と音響にもこだわったホール。
もう一つのこだわりがグランドピアノ。
こちらも小林公平さんがこだわって探しに探した1905年製のSTEINWAY
当時円高で少しお買い得だったけれども、今なら1000万円は下らないピアノなのだとか。
「ピアノがこの形になってから200年くらいなんですが、その約半分生きているピアノなんですよね」と吉田先生はおっしゃていました。
ピアノの吉田先生も加わって4人でトーク、鳳さん、麻路さんの歌が2回ずつという構成。
客席は結構年齢層高めで鳳蘭さんの現役時代からのファンの方もたくさんいらしていたようで、「今日は知ってる顔ばっかり」とおっしゃっていました。
小林公平さんや寺田先生の思い出トークも楽しかったですが、鳳さんの思い出話が本当におもしろくて、何度爆笑したことか。
酒井先生が「寺田先生は天才」とおっしゃっていたことが印象的でした。
ご本人は、「僕は職人」とおっしゃっていたそうですが。
ツレちゃんは、何も知らずに宝塚に入って、「私は歌もダンスも我流だから」と言っていたら、寺田先生が「僕も我流や」と言っていたのを信じていたのに、「音大出てるねん」と(笑)。
♪わが愛は山の彼方に~ と
♪この恋は雲の涯まで~ を
ツレちゃんが実際に歌って、「ね、おんなじやねん。でも誰もそんなこと気づけへん」 と寺田先生の天才ぶりを。
小林公平さんのお話では、阪急電鉄がブレーブスか宝塚歌劇団を手放すという話になった時、まわりの人たちは皆、ブレーブスを残して宝塚歌劇団を売るよう進めたけれど公平さんは頑として歌劇団は売らなかった、と。
「今の宝塚歌劇団があるのは小林公平さんのおかげ」と酒井先生。
セットリスト
前半:
風になりたい (国境のない地図)/麻路さき
セ・マニフィーク/鳳蘭
後半:
ティベルの川の流れに (皇帝)/麻路さき
愛の宝石 (ラ・ラ・ファンタシーク)/鳳蘭
愛あればこそ (ベルサイユのばら)/2人
さよなら宝塚/全員
アンコール:
すみれの花咲く頃/全員
ツレちゃんの「セ・マニフィーク」がナマで聴けるなんて!
しかも客席降り。真ん中の通路側席だったので目の前と真横でツレちゃんのナマ声堪能しました。
近くで見るとあのお顔は迫力あります^^;
今も宝塚の舞台で使われているんですって、とおっしゃっていましたが、最近では星組の「Etoile de TAKARAZUKA」で夢咲ねねさんが男役引き連れて歌っていました。
酒井先生唯一のヒット曲ってw
その酒井先生はツレちゃんを見たフランスの人が"C'est magnifique!" と言ったのを聞いて作った歌詞なので、これはあなたのことです、と。
「愛の宝石」では涙をうかべていらっしゃいました。
♪深い ふ~か~い あの人の愛が~ 遠く遠く 離れた今も~ というところでいつも寺田先生を思い出すのだとか。
以下はおもしろかった話の自分用メモ
鳳蘭さん:
・日舞が苦手で、ミネ(峰さを理さん)が日舞得意だったから、日舞の振りがつくとまずミネが覚えて、それを後で教えてもらってた
・公演で声が出なくなった時もミネが口パクで歌ってた
・歌はオトミ(安奈淳さん)に教えてもらった
・くらら(遥くらら)が歌うと舞台も客席もドキドキしながら見守ったけど、それでもあの子は華があった
・パリ公演の時、初風諄さんのお父さんがタラコを持って来てくれて、みんな喜んでパンにつけて食べた
何とか感謝の気持ちを表したくて、ショーの終わりにフランス語で”Bonne année et bonne santé"と挨拶する時に、「ボンナネ エ ボンサンテ タラコありがとう!」と言った。
そしたら怒られなかったので、大丈夫なんだと思って次の日も言ったら、ミエコ先生(松本悠里さん)に「ちょっと部屋に来なさい」と言われて、こっぴどく怒られた。
・蜷川さんの「ハムレット」に出た時、お稽古は全部衣装着てやるんだけど私は裾さばきが上手いの。他の役者さんはダメで、そしたら蜷川さん、私がお休みの時に「裾さばきは鳳蘭を真似しろ」って言ったんですって。私がいる時に言ってくれたらいいのに。
・2005年に紫綬褒章を受章した時の授与式の天皇陛下のエピソードも楽しかったけどここに書くのは自粛
・風美圭に『しょうとりらん』と言われた、とおっしゃっていて、「風美圭」さんという名前を久しぶりに聞きました。綺麗な男役さんだったな。
麻路さきさん:
・「国境のない地図」は阪神大震災直後の公演。
それまで住んでいたマンションが被災して池田に引っ越して電車で通っていけれど、当時他の広告は自粛されていて、阪急電車の中は自分のポスターばかり。
植田先生に「お前そろそろ電車で通うのやめたら?」と言われた
・研一の「ザ・レビュー」?の東京公演で、3人のダンサーに同期の若央りささんとともに抜擢された。
みつえちゃん(若央さん)は今、歌劇団の振付やっている人でダンスもうまかったけど、自分は全然踊れなくて、リハーサルの時、謝珠栄先生が「何であんなヘタな子入れたのよっ!」と言ったのがマイク切れてなくて全館に響き渡った。
それに酒井先生も、「こんなにヘタだと思わなんだ」と答えた(オンマイクで)
などナド
すごく先輩(鳳蘭さんは50期、麻路さきさんは69期)ということもあって、麻路さんが遠慮がちだったことを差し引いても、よくしゃべるツレちゃん。独壇場です。
ご本人は「少し大人になった・・・もうだいぶ大人やねんけど」とおっしゃっていましたが、おおらかで自由奔放なイメージは昔とちっとも変わりません。
そんなところが、先生方にも歌劇団のエライ方々にも愛されたんだろうな。
何かの公演のお稽古で、最下級生で一番端っこで踊っていた時に、菊田一夫先生が、「あの子が将来宝塚を背負うようになる」とおっしゃったというエピソードが忘れられません。
ツレちゃんがすごいのはもちろんですが、やはり一流の人は一流を見抜く眼力を持っているのだなぁと。
笑って笑って歌って ほんとに楽しかった のごくらく度


