2016年10月02日
仏さまとご縁を結ぶ 「結縁潅頂」@高野山金剛峯寺金堂
昨日は、高野山へ行ってきました。
今回の目的は、お大師様にお目にかかることももちろんですが、
「結縁潅頂」(けちえんかんじょう)を受けることです。
5月に高野山にお参りした時、5月1日~3日、10月1日~3日のみ「結縁潅頂」を行っていることを知り(・・というか、「結縁潅頂」の意味もこの時初めて知りました)、ぜひ受けてみたいと「次は10月1日に行くぞ!」と決めていたものです。
結縁潅頂についての説明は金剛峯寺の年中行事の項に。
5月は「胎蔵界結縁潅頂」、10月は「金剛界結縁潅頂」と言って、胎蔵界、金剛界はそれぞれ仏様がお住まいになる世界のことで、
結縁: 仏様の世界を表す曼荼羅(まんだら)に向かって華を投じ、その華が落ちたところにの仏様と縁を結ばせていただくこと
潅頂: 阿闍梨様から大日如来の智慧の水を頭の頂より注いでいただくこと
これによって人の心の中に本来備わっている仏の心と智慧を導き開く儀式なのだそうです。
僧俗を問わず誰でも金剛・胎蔵の諸仏と縁を結ぶことができて、受者は印と真言を面授され、そして両目を覆われます(←)。
印の先には花を授けられ曼荼羅へと導かれます。そして花を曼荼羅に投ずることによって曼荼羅の諸仏と「仏縁」を結びます。これを「投花得仏(とうけとくぶつ)」といいます。次に如来の智慧の水を阿闍梨様より注いでいただきます。
と説明にはあります。
始まる前から何だかドキドキです。
朝イチの特急こうや(といっても8:00 難波発だけど)に乗って高野山へ。
途中雨が降ったりやんだりしていて、ケーブルカーに乗っている時は5メートル先も見えないくらい雲だか霧だかに覆われていましたが、壇上伽藍に到着したころに青空。
お大師様にお願いしたお陰です。ありがとうございます。
受付場所に着いたのは10:00少し前でしたが、その時点で15:50集合の第9班
受付の後、奥之院におまいりして、結縁潅頂受けて、帰りに時間があれば九度山に寄ろうかしら?
などと考えていた目論見はあっさり崩れ去りました。
先に九度山に・・とも考えましたが、まぁこれは、お大師様が高野山にいなさいとおっしゃっているということだろうと思い直し、それまで高野山での時間をゆっくり過ごすことにしました。
集合時間になって、まずはお堂の外の回廊の部分に並んで諸注意を聴きます。
胸の前で合掌し、お大師様のご宝号「南無大師遍照金剛」を唱えながら金堂の中へ入ります。
ろうそくの灯りだけの中、床に座って阿闍梨様から結縁潅頂のご説明や授戒がありました。
進行担当?の若い僧侶からは真言「オンサンマヤサトバン」(大日如来と一心同体です、という意味らしい)と、右手の指が上になるように指を組んで両方の中指だけを立てて合わせるというポーズ(印を結ぶ、と言うらしい)も教えていただきました。
しばらく順番を待って、いよいよ。
まずは、お大師様と四社明神の前でご焼香をした後、さらに奥の部屋へ。
ここで目隠しをされて、印を結んだ中指を前の人の背中に触れて、離れないように少しずつ進みます。
この間、ずっと「オンサンマヤサトバン」と唱え続け。
目隠しは紙なので明かりはほんのり漏れるのですが、元々薄暗いお堂の中なので、見えないって本当に心細い。
途中で中指の間に何かをはさまれ、「落とさないように」と言われてめちゃ緊張。
これがお花で、「つま先が当たるところまで」たどり着いたところで、手をいっぱいにのばして指の間の花を落とします。
ここでようやく目隠しを取っていただき、「ご縁をいただいた仏様を見ます」と。
ろうそくの灯りの中に、想像していたより小さな曼荼羅図があって、その真ん中の大きな大日如来様のところにお花(というか樒?)が落ちていました。
という訳で、大日如来様とご縁をいただき、「大日如來」と書かれた白い懐紙のようなものにその樒を包んでいただきました。
いやでもこれ、普通に投げれば・・というか誘導された通りにすれば、みんな大日如来様のところに落とすのでは?
次の間に行ったとき、そこにいる全員「大日如來」様だったんだけど・・・。
次に「潅頂」
半個室のように仕切られたところで阿闍梨様と個別面談のような形。
頭に水を注いでいただき、金剛杵を親指で挟んだり、手のひらにのせたりして唱えてくださいました。
こうして「大日如来様と深いご縁ができました」と言われ、「結縁灌頂血脈」というお札をいただきました。「血脈ですから、大変強い結びつきです」と。他に身につけておくお守りも。
さらに、「このお顔が大日如来さまとご縁を結んだ表情です」と鏡を見せられました。何だか疲れた顔してた、ワタシ(笑)。
お堂を出るまでにもたくさんの仏像がいらして、自由にご焼香できるようになっていました。
そして外では、自分がされていた目隠しにご朱印を押してくださいました。
集合してから出てくるまで2時間近くかかったのですが、その間ほとんど他のことを考えないし、
ろうそくの灯りとお線香の匂いだけが漂うお堂に身をおくのは不思議と心落ちつく時間でした。
結縁潅頂って、人間がお母さんの胎内からこの世に出てくるまでを追体験しているという印象。
何も見えないところから目をあけて一番最初に見たものが大日如来様で、それって赤ちゃんにとっての母親じゃないかな、と思いました。
こちらは集合時間に外で待っていた時にお経を唱和されていた尼僧の卵?さんたち。
よい声をあたりいっぱいに響かせていらっしゃいました。
阿闍梨様に「春の胎蔵界結縁潅頂にもぜひいらしてください」と言われたのでまた行こうかな。
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