2016年09月27日
泣き申さず候ては化し申さず候 「猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界」
春秋座こと京都芸術劇場15周年記念フォーラム。
当代猿之助さん以上に三代目猿之助(現 猿翁)さんが大好きなワタクシとしてはぜひとも参加したいと思っていましたが、入場無料ながら抽選。
当たらないことにはどうしようもない・・中、運良く当選して行ってまいりました。
座席に置いてあった猿翁さんからのお土産をひと目見てすでに泣きそうになって、開始2分位で、「あー、これ、来られてよかった。当たって本当によかった!」と心から思ったのでした。
京都造形芸術大学40周年・京都芸術劇場15周年記念フォーラム
「猿翁アーカイブにみる三代目市川猿之助の世界」
1.三代目猿之助と春秋座: 対談 市川右近×徳山豊 (京都造形芸術大学 理事長)
2.三代目猿之助の仕事: 石川耕士 (脚本家)
3.三代目猿之助の功績~スーパー歌舞伎: 四代目市川猿之助
進行: 市川笑三郎
2016年9月24日(土) 14:00 春秋座 1階8列下手 (17:00終演)
スーツにネクタイ姿の市川笑三郎さん登場。
綺麗な若草色のネクタイは、猿翁さんにいただいたものだとご本人がブログに書いていらっしゃいました。
笑三郎さんは1986年に16歳で猿之助さんの内弟子となって今年で30年。
「それは厳しい師匠でした」とおっしゃりながら、当時 猿之助さんは46歳で「今の私と同い年。当時の師匠は、国内外で舞台をやりながら他の舞台のプロデュースや演出・・・と大活躍。今の自分はとてもあのようには・・」とやわらかい語り口でおっしゃる中に、猿翁さんへの深い敬愛が感じられました。
1.三代目猿之助と春秋座
猿之助さんが京都造形芸術大学の集中講義で歌舞伎を教えていらっしゃった頃、お弟子さんとして共に行動された市川右近さん。
講義を始めるきっかけとなった大学創始者 徳山詳直前理事長のご子息で現理事長の徳山豊さん。
そのお2人の対談です。
右近さんもスーツで、黒縁のメガネをかけていらっしゃいました。
猿翁さんと徳山詳直さんの近くにいらしたお2人の口から伺うその頃のお話に興味シンシン。
その中で一番印象に残ったのは、当時は舞台芸術科もなかった大学でなぜ歌舞伎を教えないといけないか、という話になった時、徳山さんが猿之助さんに話されたという言葉。
「泣き申さず候ては化し申さず候」
江戸時代の儒学者 細井平洲の言葉だそうです。
「人は涙を流すほど感動した時初めてすごい向上心が生まれて成長する-だから歌舞伎を教えるのではなく、歌舞伎を通じて感動を伝えるのだ」と。
この言葉を聴いて胸がふるえました。
舞台を観て涙を流すほと感動を味わうことも多い私自身はそれが向上心や成長につながっているとはとても思えませんが、それでも、そんな舞台を見せていただけること、それを見せようとする役者さんの思いを感じ取ることの輝きを今さらながら思いました。
ここで実際の授業風景の映像。
猿之助さんと右近さんで「連獅子」。
2人とも紋付き袴で素踊りです。
映像を観ながら、「(猿之助さんが)歌舞伎の舞台より真剣に踊ってる(笑)」と右近さん。
踊り終えた後、猿之助さんの後にいる右近さんが猿之助さんに礼をしている姿がチラリと映ったのですが、
「『僕が背中を向けていてもあなたは僕の背中に向かってお辞儀をしなさい』と厳しく言われました。『そういう礼節もきちんと見せて教えるものだ』」と猿之助さんがおっしゃったというお話もとても印象的でした。
かくして、浴衣の着方から教わった学生さんたち。
最初は遅刻も多かったそうですが、夜遅くまで残って練習し、最終的には衣装をつけ顔もして自主公演を行うまでになったとか。
きっとかけがえのない感動の蓄積となったことでしょう。そんな環境を与えられる学生さんたち、うらやましいな。
一方、猿之助さんからは「感動を伝えるために命がけで演じられる劇場を作ってほしい」と徳山さんに依頼され、「わかった」と二つ返事で了解されて出来上がったのが春秋座。
「男の絆で出来上がった劇場」とおっしゃっていました。
この春秋座の建設にあたっては、ご子息の徳山現理事長が何度も何度も猿之助さんと打ち合わせされて、座席数や座席の配置、宙乗り機構や奈落など細かいところまで指示を受けて、猿之助さんこだわりの劇場となったそうです。
こうして迎えた杮落とし 「日本振袖始」の映像も。
この時、舞台上に並ぶ義太夫は文楽座の皆さんで、今は歌舞伎と文楽が共演することもなくなってしまいましたのでとても貴重なのだそうです。
2.三代目猿之助の仕事
第2部は脚本家 石川耕士さんの講演で、「猿之助」誕生から大人気役者となり、スーパー歌舞伎を始める前までの猿之助さんについて。
澤瀉屋は猿之助と段四郎を交互に名乗るようにしていて、当時團子を名乗っていた猿之助さんが襲名となったとき、お祖父様の二代目猿之助さんはご活躍中だったので、「市川雪之丞」という名前に決まっていて、新聞発表もしていたところ、そのお祖父様が心臓に金の矢が刺さる夢を見て、猿之助さんの名前を譲ることに決められたそうです。
その襲名披露興行の直前に二代目猿之助さんが倒れ、「黒塚」を誰が代演するかとなって、普通なら二代目の弟である先代中車がやるはずだったところ、「僕がやります」と猿之助さんが申入れられたそうです。
「黒塚」は昭和14年、猿之助さんの生まれ年に初演された演目で、思い入れも強かったのでしょう、と。
その初演の映像は残念ながらありませんが、と38歳で「黒塚」を踊る映像・・・とその後も映像を見ながら。
「黒塚」 昭和53年 歌舞伎座
「義経千本桜 四の切」 昭和43年 国立劇場
「加賀見山再岩藤」 昭和48年 大阪新歌舞伎座
「義経千本桜 四の切」500回記念 昭和54年 名古屋御園座
38歳の「黒塚」の時、声が当代猿之助さんによく似ていて驚きました。
黒塚の「中」の部分で岩手がひとりで気持ち良く踊る場面。
岩手の浮かれた気持ちを踊りで表現していて下座音楽ともよく合って、客席から拍手が起こっていました。
「これは拍手の出る踊りですね」と石川さん。
「四の切」で初めて宙乗りをやったのは昭和43年。
座頭は実川延若さんで、演出の戸部銀作さんは宙乗りを四の切で復活させたいと思っていても、実川さんが「鯉つかみ」などで宙乗りの実績があって、それを差し置いて、と遠慮があったところ、あっさりOKとなったそうです。
この宙乗りが大評判を呼び、異例のロングラン公演となったのだとか。
初演の宙乗りは、今とは少し違うところもありますが、空中でうれしそうに体をぴょんぴょんさせるところとか、まさに「澤瀉屋の宙乗り」の原点のようでした。
宙乗りの鳥屋に入る前に国立劇場の2階から身を乗り出すようにして拍手する客席の映像が映ったのですが、「客席にもカメラ ターンしたくなりますよね(笑)」と石川さん。
500回記念の時には動きも滑らかで優雅になっていて、より今と近い形になっていました。
「黒塚」
「狐忠信」
「ヤマトタケル」
が澤瀉屋の3本。
だから当代猿之助さんも襲名披露でこの演目を入れたのだと石川さんはおっしゃっていました。
澤瀉屋さんといえば「宙乗り」と、もう一つは「早替り」ということで、早替りの代表として「加賀見山再岩藤」。
これは元々十七世勘三郎さんが復活させた狂言で、一幕目の主な役を早替りで全部やったら面白いのでは、と考えた猿之助さんが勘三郎さんにお願いしたら快くOKしてくださったそうです。
十七世は日頃から猿之助さんを可愛がっていらしたのだとか。進取の気性で相通じるものがあったのかな。
そういえば、歌舞伎座で十八世勘三郎さんが「浮かれ心中」やった時、ちゅう乗りで、「澤瀉屋さん、早くよくなってくれないかなぁ」とおっしゃったことが今でも忘れられません(涙)。
若いころの猿之助さんはほっそりされていて、女方も綺麗。
悪女役で秀太郎さんも出ていらして、これがまた美しかったです。
この早替りが成功して、この後、「伊達の十役」「獨旅五十三次」といった早替りの演目へと続いていくことになったそうです。
それにしても、若くして祖父、父を亡くし、劇界の孤児と言われながらもどこかの傘下に入るより自分のやりたいことを、と一人でがんばって、古典をしっかり踏まえた上で自分のやりたいこと、やりたい芝居をつくり上げ、それが人気を呼んで劇場に人が集まり、さらに意見が通るようになった猿之助さん、カッコよすぎます。
「五月團菊祭大歌舞伎」「十二月大歌舞伎」と月名の大歌舞伎ばかりの中、「七月市川猿之助大歌舞伎」と役者さんの名前がついたのは後にも先にも猿之助さんだけだったとか。
3.三代目猿之助の功績~スーパー歌舞伎
このコーナーはまず映像から、ということで、昭和61年 スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」初演のダイジェストを。
帝は実川延若さんで、タケヒコは中村歌六さんでした。
私は初演ではないけれど先代猿之助さんのヤマトタケルは多分南座で観ていて、この映像こはかなりウルウルしました。
昨年の「阿弖流為」や、劇団☆新感線の舞台など、三代目猿之助さんがつくり上げたスーパー歌舞伎の影響を受けた舞台は数知れないと思います。
2008年 松竹座「ヤマトタケル」初日カーテンコールに猿之助さんが登場されて大泣きのワタクシはこちら。
そうして、四代目市川猿之助さん登場。
ラスベガス焼け?の浅黒い肌にブルー系のストライプのボタンダウンシャツにデニムの裾を一折りして、スリッパ履き(笑)。
何だかやる気なさげな態度で、開口一番 「皆さん 本日はようこそ無料のイベントに」
「普段春秋座はこんなにいっぱいには埋まらないんですけど、無料だと埋まるんですねぇ」
続いて、 「皆さん 一番大事なこと。 猿翁さんは元気です」「普通はこういうことは何してからやるものだけど・・」
「今日は猿翁さんについて語るということなんですが、経歴なんかはみなさんにお配りしてるプリント(←プリントって言った!)に書いてありますし、特に私からお話することはありません。今、歌舞伎界がこうしてあること自体が猿之助の功績です」(客席拍手)
相変わらずの天邪鬼っぷりですが、さすがお話は上手で、用意された椅子には一度も座らず、マイク片手に舞台をウロウロ動きまわりながら興味深いお話をたくさんしてくださいました。
このコーナーは「スーパー歌舞伎」がテーマですので、そのお話が中心になるのですが、スーパー歌舞伎を始めたころはいろんなことが手探り状態で、大変だったお稽古や、音楽との合わせ方の話などとても興味深かったです。
先ほど観た「ヤマトタケル」の映像でタケルが「兄さん」と言っていたのは貴重で初演だけなのだとか。
あまりにくだけすぎということで、次からは「兄上」になったそうです。
「猿翁さんはスーパー歌舞伎ばっかりやってると思われがちだけど、若いときはそれこそものすごい数の古典をやりました。それがあっての、基礎があってのスーパー歌舞伎なんです」とおっしゃっていて、猿翁さんのことをとても尊敬していらっしゃる気持ちが伝わってきました。
「古典をみっちりやってきた分、猿翁さんには新しいことがやりたいという思いが強い。僕らは逆。勘三郎さんたちが新しいことをたくさんやっていたから、逆に古典がカッコいい。時代というのはいつもそうですね」とおっしゃっていたこともとても印象に残っています。
四代目が一時期猿之助一座から抜けたことも、「僕は若い多感な時期にスーパー歌舞伎ばっかりでイヤになっちゃって、他のことやりたくていろんなところへ行った」と。
その両方が今の四代目市川猿之助をつくり上げているのだと思いました。
澤瀉一門に戻り、ご自身の襲名披露を経て、三代目の偉大さが改めてわかって、「古典とスーパー歌舞伎どちらも平気な顔してこなしていた三代目はやっぱりこの世の人ではないと思います。ある意味おかしい」
三代目とよく似ていると言われる四代目が違うところ: 稽古嫌い
三代目のやったことで受け継ぎたいと思っていること: 人を育てる
三代目はおふざけが嫌いで酒も飲まず、とにかく歌舞伎が大好きで趣味は歌舞伎というくらいだけど、自分は稽古時間も短くて、これは周りからも好評で唯一叔父に勝てると思っているところ・・・という話の中で、「僕は初日から100%きっちり仕上げて『はいどうぞ、観てください!』っていうのは好きじゃなくて、僕たちは一生懸命ここまでつくったからあとはお客さんがつくってよって思ってる」という言葉はワタシ的には猿之助さんの発言としては意外な感じ(完璧主義者かなという印象だから)でしたが、観客とともに舞台をつくり上げていくという心意気、観る側としてはうれしいですし、実際「ワンピース」ってそういう舞台だったと思います。
「ワンピース」公演のお話の中で、「困った問題が出てきてもすぐにみんなが集まってきて10分後には問題が解決している・・・これを見て、巳之助くんや隼人くんは驚いていました。これは、猿翁さんの側で育った人たち、培った経験でみんな同じ方向を向いているから。澤瀉屋はずっとそうやってきたし、そういう役者、人を育ててきたことが三代目の一番の功績で」と。
10月の春秋座公演について、「猿翁さんの人を育てたというところを僕もやりたいので、巳之助くんとダブルキャストです。彼自身も大変だと思いますが、ぜひみなさんに育ててもらいたいと思います」と。
この後、客席後方にいた市川右近さんを指名して、「猿翁が育てた人材がこんど関西の大名跡を襲名します。ぜひ応援を」と紹介していらっしゃいました。
とても温かい心遣いのできる、まさしく一門のリーダーだなと思いました。
脱いでいた上着を着て慌てて立ち上がった右近さんも very cute!
そういえば猿之助さん、笑三郎さんのこと「さぶちゃん」と呼んでいらっしゃいました。
そして最後に、
「三代目猿之助といえば宙乗りと早替り、四代目猿之助と言えば?」
-<客席> ぼき~ん
「そう!」
これ答えられた人、すごいなぁ。
ほんとに猿之助さんのことよくわかっていらっしゃる。
今回、猿翁さんが大学に寄贈された膨大な映像資料を再生する機械が日本に1台しかなく、非常に多くの費用がかかるためぜひ募金をということでした。
終演後ロビーに出たら学生さんが持った小さな募金箱がすでにパツパツでしたが、ワタシも心ばかりのお札をねじ込んでまいりました。
こちらが座席に置いてあったお土産
私は昭和61年の「おもだか」 春夏秋冬号4冊セットでした。
中には貴重な公演写真や記事がびっしり詰まっていて、1冊読んでも充実感たっぷりです。
猿翁さんの所蔵品なのでそれぞれ違っていて、写真集だったというラッキーな人もいらっしゃる模様。
本当に盛りだくさんで貴重なお話と映像であっという間の3時間でした。
三代目市川猿之助さんのすばらしさ、役者、演出家、プロデューサーとしてのスーパーマンぶりを目の当たりにして、やはり神様がこの世につかわした稀有な役者さんの一人なんだなという思いを強くしましたし、数は少ないですが、その舞台をナマで観ることができたのはどれほど幸せなことだったを改めて感じたのでした。
いつか映像を再現してまたそれらの上映会ができるかもしれませんと石川さんがおっしゃっていましたが、ぜひやっていただきたいです のごくらく度 (total 1636 vs 1640 )
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