2016年06月21日

六月大歌舞伎 「義経千本桜」 第二部   いがみの権太


kabukiza6.jpg「義経千本桜」 第二部のキーパーソンは平維盛。
一部の主役 知盛のお兄さん 重盛の嫡男・・つまり平清盛の嫡孫でぴかぴかの御曹司。
この御曹司を、重盛への旧恩のために守りぬく市井の人々の物語。


歌舞伎座 六月大歌舞伎 「義経千本桜」 第二部
いがみの権太 木の実/小金吾討死/すし屋

出演: 松本幸四郎  尾上松也  松本錦吾  市川高麗蔵  片岡秀太郎  市川染五郎  市川猿之助  市川右之助  坂東彦三郎 ほか

2016年6月12日(日) 2:45pm 歌舞伎座 3階3列下手



木の実・小金吾討死

物語の舞台は大和国 下市村。
若葉の内侍と若君の六代、そして家来の主馬小金吾が維盛を探してとある茶店にたどり着きます・・・。

この場は秀太郎さんの独壇場かな。
幸四郎さんの権太を筆頭に、江戸の役者さん揃いの座組で、どちらかといえば江戸前の「いがみの権太」ですが、秀太郎さん小せんが登場すると一気に上方の香りが立ち上ります。
やわらかく如才なく、いかにも世話好きの茶店のおばさんなのだけど情も色気もあって。
「ほな、そうしまひょ」みたいな言葉のイントネーションがいかにも上方言葉で聞いていて安心感ありあり。

そういえば、六代がお腹痛いと言った時に小せんが買いに行ってやる薬の名前が「陀羅尼助」だということに今さら気づきました。
奈良から来ている会社の後輩がよく「陀羅尼助」と言っていて、これまで聞き流していた言葉もちゃんとアンテナに引っかかった訳です。

松也くんの小金吾が台詞もしっかり、立廻りにも奮闘で大活躍。


すし屋

幸四郎さんの権太は、私がイメージする権太とは少し違います。
関西の私たちが今でも言う「ごんた」は、もちろん悪たれなのだけど、どこか愛嬌があって憎めない部分も持っていて、坂田藤十郎さんとか仁左衛門さんの権太がやはり近いかな、と。
対して幸四郎さんの権太は江戸前で、骨太。
芝居も大きくて、愛嬌少なめで小悪党にしては見た目含めて立派すぎかな~とも思いますが、緩急のつけ方はさすがで、一つの家族の物語、その中心としてドラマチックに浮かび上がります。

染五郎さん弥助(実は三位中将維盛)と猿之助さんお里ちゃんのわちゃわちゃは、もう見ているだけで楽しい
いかにも疲れた風情で、鮨桶を重そうに運ぶ弥助。
その鮨桶を片手でひょいと軽々運ぶお里。
自然とにじみ出る可笑しさの中に、2人の育ちの違いを際立たせています。

猿之助さんがお里ちゃんのような役を演じるのを拝見するのは本当に久しぶり。
しっかり者でちょっと勝気でおきゃんで、でも健気で純粋で可愛くて・・・ぴったりです。
ご自身の中ではすごくつくり上げていると思うのですが、台詞に力が入り過ぎず、とても自然。
弥助さんに「お里と呼んで」と旦那様の言い方を指南するところとか、兄さに向かっていう「びびびび」もことさら強調するでもなく。

染五郎さん弥助は、何とも頼りないつっころばしの風情から、維盛へと身分を露わしてからは、拵えは同じなのに平家の御曹司らしい気品と、聡明さの中にそれゆえの苦悩も滲ませた佇まい。
この人だから弥左衛門はじめ周りの人々が命の危険を賭してでも助けようとするのだなと納得の役づくり。

錦吾さん、右之助さんの弥左衛門・おくら夫婦もよかったです。
派手さはないのですが、気骨ある田舎の人間といった風情の弥左衛門とそんな夫を愛する妻であり、息子を愛する母であるおくら。

そんな弥左衛門がわが子を手にかけなければならなかったり、その権太が実は自分の妻子(弥左衛門・おくらにとっては息子の嫁であり孫)を維盛の妻子の身代わりとして差し出していたり、いくら忠義のためとはいえいかにも理不尽。
親子の情も夫婦の愛情もすべて呑み込んで、それでも生きていかなければならない維盛にも人の世の無常を感じて、何度観ても苦さの残る幕切れです。



「木の実」の感想が薄いのは不思議なことに(笑)ところどころ意識を失ったせいです の地獄度 (total 1581 vs 1585 )



posted by スキップ at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎・伝統芸能 | 更新情報をチェックする
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