
「東海道四谷怪談」は1994年にコクーン歌舞伎第1作として上演された作品ですが、今回は2006年再演時の2バージョンのうち、直助とお袖の悲劇を浮かび上がらせた「北番」をベースとした新たな構成だそうです。
2006年。
あの年は同時期にパルコ劇場でPARCO歌舞伎 「決闘!高田馬場」が上演されていて、勘九郎(当時 勘太郎)さんはそちらの方に出ていて、勘三郎さんから「裏切り者」呼ばわりされて(≧▽≦)、勘三郎さんと染五郎さんが互いの舞台に乱入したりもして、ほんとにあの春の渋谷は祭りだったな(涙)。
渋谷・コクーン歌舞伎 第十五弾 「四谷怪談」
序幕 浅草観音額堂の場/同・按摩宅悦内の場/浅草観音裏田圃の場/雑司ヶ谷四ッ谷町、伊右衛門浪宅の場/伊藤喜兵衛宅の場/元の伊右衛門浪宅の場
二幕目 砂村隠亡掘の場/深川三角屋敷の場/小仏小平住居の場/元の深川三角屋敷の場/夢の場/蛇山庵室の場
作: 四世鶴屋南北
演出: 串田和美
演出助手: 赤堀雅秋
出演: 中村獅童 中村勘九郎 中村七之助 中村国生 中村鶴松 真那胡敬二
大森博史 首藤康之 笹野高史 片岡亀蔵 中村扇雀 ほか
演奏: 鈴木光介(トランペット) 日高和子(サキソフォン) 高橋牧(アコーディオン)
田村龍成(バイオリン) 尾引浩志(ホーメイ、イギル)
2016年6月11日(土) 12:00pm シアターコクーン 1階C列(4列目)下手
民谷伊右衛門(中村獅童)とお岩(中村扇雀)、伊右衛門に恋するお梅(中村鶴松)
お袖(中村七之助)と佐藤与茂七(中村扇雀)、お袖に横恋慕する直助権兵衛(中村勘九郎)
刹那的に己の欲に生きる伊右衛門と直助権兵衛
怨みをつのらせ亡霊となって復讐するお岩
男たちに翻弄され非業の最期を遂げるお袖
彼らとその周りの人々の、色と欲が絡みあう人間の業の物語。
感想を書こうとして気づきました。
今回は「東海道四谷怪談」ではなくただの「「四谷怪談」なのね。
より独自性が強いという意味合いでしょうか。
フライヤーやポスターで表現されているスーツを着たサラリーマン風ばかりでなく、様々な時代の様々な装束の人々がモブとして出てくるあたり、時間や空間を超越した演出。
これが古典ではなく現代にも通じる物語で、どの時代に生きていても人の欲望には限りがなく、確かなものなど何一つない不透明な世界を描こうという串田さんの意図でしょうか。
上演機会が少ない「深川三角屋敷の場」や「小仏小平住居の場」が入る代わりに、「提灯抜け」や「仏壇返し」といった「四谷怪談」特有のケレン的なものは封印。オドロオドロしさ少なめで描かれる人間もあっさり目。
思いのほか原作に忠実で、主筋は全部テンポよく入っています。
が、直助中心とはいえ「四谷怪談」なので伊右衛門を描かない訳にはいかず、2人をダブルアンチヒーローに仕立てようとしてどっちつかずになってしまったという感じでしょうか。
「浅草観音裏田圃の場」で伊右衛門、直助がそれぞれ、邪魔な四谷左門、佐藤与茂七(人違いだけど)を殺す場面以外は2人が交錯することがなく、一幕後半は直助全く出て来なくて、2つの物語を分断して見せられている印象。
どうせ新演出なら、もっとスッパリ大胆に改訂して新しい物語にしてもおもしろかったかもしれません。
その浅草観音裏田圃の場でススキ野原がザワザワと迫ってくるところや、幕切れ「蛇山庵室の場」の、地獄の業火へ落ちていく人々、吊るされた人形の中にリアル直助がいて、落ちてくるのと入れ替わりにそこから逃れようと梯子を上る伊右衛門など、鮮やかな演出も目を引きました。
好みが分かれるところではありますが、「隠亡掘」の戸板返しのCGとか、ほぅと思わないでもありません。
最も好きだった演出は、鏡に写った自分の顔の怖ろしさに沈むお岩の前を、伊右衛門との祝言を控え、嬉々として化粧するお梅が交錯する場面。
不幸のどん底で暗く沈むお岩と喜びに溢れ、赤い着物を着て娘らしく華やぐお梅。
無邪気な恋に有頂天になっているお梅にお岩への悪意はありませんが、人は生きていく中で知らず知らずのうちに他人を傷つけたり、怨みを買ったりすることの象徴のように思えたのです。
まさに串田さんがおっしゃっていた「僕らだって見えない刀で人をたくさん斬っているかもしれないし、いろいろな人に呪われているかもしれない」を具現化した場面と言えるでしょう。
逆に、個人的に最も受け入れ難かった演出は、同じ「伊右衛門浪宅の場」のお岩の場面。
毒薬と知らず薬を飲む場面をきっちり見せておいて、お岩さんの聞かせどころ、感情盛り上がり場面で字幕。なぜに字幕?
亀蔵さん宅悦もどことなくあっさりで怖さも色欲も半減といった印象でした。
伊右衛門って、お岩さんを自ら手にかけた訳ではないし、お梅ちゃんや伊藤喜兵衛を殺したのもお岩や小仏小平の怨霊に操られてのことだし、精神的に弱いだけでそれほど極悪非道という訳ではないのでは?と思いますが、獅童さんの伊右衛門は人としての感情を持っていないサイボーグのような雰囲気で、それはそれでこの役によくハマっていました。声もよく出ていて迫力ありましたが、悪い男と知りつつ女が惹かれるという“色悪”の魅力がもう少し欲しいところです。
褌一丁の裸体が話題の(笑)勘九郎さん直助は、引き締まった筋肉がとても逞しくて綺麗。
あの褌一丁でパアーンと客席に飛び降りて来たのが目の前でちょっとコーフン

演出プランなのか笑いに流れ過ぎるのはどうかとも思いますが、二幕のギラギラした疾走感や情念の発露、そしてお袖ちゃんが妹と知った時の闇の深さ、無常感は強烈な印象でした。
このところいつも感じますが、時折声や言い回しがドキリとするくらい勘三郎さんに似ています。
七之助さんは、お袖自体がそれほど為所のある役ではないこともあって、美しさも演技的にも申し分ないけれど、全体として今回の作品では印象薄め。
本人も手持ち無沙汰気味かな?お袖ちゃんをもっとチャキチャキの小悪魔に仕立て上げてもおもしろかったかも。
対して、キリリとした与茂七といかにも幸薄そうなお岩さんを演じ分けた扇雀さんお見事。
今回特に与茂七のオトコマエっぷり(演技的にもビジュアルも)が印象に残りました。
バレエダンサーの首藤康之さんが歌舞伎初挑戦というのも話題ですが、病のために足が立たない又之丞で、かつ足が立つ場面がないという、これは串田さんなりの何かのアンチテーゼでしょうか。
終盤、スーツ姿で登場して伊右衛門とすれ違っていましたが、あれは足が治って四十七士に加わったことを表していたのかな。
「時代そのものが怪談」という串田さんの思いが迸るような「四谷怪談」。
この日の 観た時点では、観客(自分自身も含めて)も演じる役者さんたちも、
まだそれを受け止め切れず、消化 もし切れていないように感じたかなぁ。
地獄宿、三角屋敷ともにおもしろかったけれど・・・の地獄度


