
うれしいことに兵庫で3作とも上演されるということで、3作通し券を買っていたのですが、「焼肉ドラゴン」だけは、5年前に初めて観た時の感動が深過ぎて、今回キャストが変わることもあって、あの時のイメージを上塗りしたくない(特に申哲振・高秀喜の主人公夫妻)と考え直して、この作品以外のまだ観たことがない2作を観ることにしました。
新国立劇場 鄭義信 三部作 Vol.2
「たとえば野に咲く花のように」
脚本: 鄭義信
演出: 鈴木裕美
美術: 二村周作 照明: 原田保 音響: 友部秋一
出演: ともさかりえ 山口馬木也 村川絵梨 石田卓也
大石継太 池谷のぶえ 黄川田将也 猪野学 小飯塚貴世江 吉井一肇
2016年4月29日(金) 1:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
1階E列センター
1951年夏。
朝鮮戦争特需にわく北九州の港町にあるエンパイアダンスホール(売春宿も兼ねている)。
故郷を失い、戦地から帰らぬ恋人を待ち続ける在日コリアンの満喜(ともさかりえ)の前に新興ダンスホールの経営者 康雄(山口馬木也)が現れます。南方戦線で顔にも心にも傷を負い、生き残ったことに後ろめたい思いを抱く康雄は同じ目の色を持つ満喜に強く惹かれます。しかし、康雄にはあかね(村川絵梨)という婚約者がいて、心変わりした康雄を憎みながらも恋心を断ち切れずにいました。康雄の弟分・直也(石田卓也)はそんなあかねに思いを寄せ・・・。
満喜←康雄←あかね←直也 という報われない一方通行の思いを主軸に据えながら、ダンスホールの他の女給たち・・・珠代(池谷のぶえ)と常連客 太一(猪野学)、鈴子(小飯塚貴世江)と満喜の弟 淳雨(黄川田将也)との恋も描かれます。
そこに笑いを散りばめながら、終戦後6年を経てなお人々の心に翳を落とす戦争、朝鮮戦争の激化と敗戦国である日本の関与、犠牲になる民衆、在日コリアンの葛藤・・・様々な現実が浮き彫りになっていきます。
悲劇と喜劇が溶け合う物語。
どんなにシリアスな状況でも笑うことはできて、どれだけ笑っても、人の営みは哀しい。
遺体も遺骨も見つからない恋人を待ち続け誰にも心を開くことができない満喜。
ガダルカナル島の戦線で大怪我を負い、自分が生き延びるために仲間を襲って食糧を奪ってしまったという罪悪感を抱える康雄。
戦時中に憲兵となって同じ民族である朝鮮人の弾圧に加担したという屈折から逃れられない満喜の弟 淳雨。
・・・それぞれが背負うものがとても厳しく重くのしかかってきます。
一方通行の4人の中ではあかねが一番痛々しくて観ているのが辛かったです。
詳しくは語られませんでしたが、あかねを絶望の中から救い上げてくれたのが康雄で、だからこそ心の底から康雄に感謝し康雄を愛していたあかね。
康雄の心が満喜に行ってしまって、どんなにあがいても戻って来ないのは誰よりもあかねが一番よくわかっていたはず。
それでも自分で自分をコントロールできず、康雄に狂気じみた執着を見せるあかね。
「絶対に許さないからっ!」という強気の発言の連続の中にはさみ込まれた「あなたに出会う前の私に戻してください」という言葉に思わず涙。
もう一人、泣かされたのは珠代。
海上保安庁の船員である太一とはなじみ客と女給以上の心の繋がりがありましたが、太一が朝鮮近海の機雷除去の任務のため旅立つことになります。
アメリカの命令で戦争に加担することを意味する極秘任務。「絶対に誰にも言うな」「20日経って戻って来なければ死んだと思ってくれ」という会話を、周りに悟られないよう笑い声もあげながら交わす2人。
太一が去った後、満喜との何気ない会話の中でこらえ切れず急に泣き出して、それを笑ってごまかしたり、毎日港に船が着いたかを確認する珠代。
船は入港したけど太一は降りて来なかったという知らせを聞き、「もう明日からは港に行かなくていい」と使いの者に言って、ひとり泣き崩れる珠代にもらい泣き。
・・・そこへ後ろからひょっこり太一が現れた時には、泣き笑いしながら拍手してしまいました。
池谷のぶえさん すばらしかったな。
こんなふうに悲劇から一転ハッピーというのが終盤もう一度、淳雨にも起こるのですが、それが鄭義信さんの作風とはいえ、2回は多すぎかなぁ。
(ええ、2回ともまんまと騙されましたよ。)
演出面では、「音」が効果的な舞台だと思いました。
空を行く軍用機の轟音。
康雄の耳に鳴り響く蝉の声。
そして、満喜が幾度となく蓄音機にかける Over the Rainbow
あの曲が好きでいつも聴いていた満喜は、いろんなことをあきらめていながら、虹の向こうの国のことは心のどこかで信じているようにも感じられました。
だから、
「虹の向こうに国が あんた、あると思うと?」 と言っていた満喜が、
「虹の向こうに国なんてない。知っとったと」 と自分に言い聞かせる姿が一層切なかったです。
ともさかりえさんは、最初登場した時はこの役には少し可愛い過ぎるし都会的過ぎるのではないかと思いましたが、しなやかで強く、しっかり腰の据わった満喜でした。
あの細い体にたくさんのものを背負って、呑み込んで、覚悟して生きている満喜。
絶望を抱えて頑なに閉ざした心が少しずつ康雄に向いていくところもよかったな。
幼少期を福岡で過ごしたこともあって、個人的にはともさかさんはじめ出演者の話す九州弁(小倉あたりの訛りかな?)もツボでした。
キャストをよく把握していませんでしたので、会場に着いて山口馬木也さんが出演していることを知って大いに喜んだのですが、演じる康雄がまたとてもよかったです。
登場の白いスーツから見惚れるよね(笑)。
いつも濡れているようなあの眼の色っぽさ。
・・・ビジュアルのことばかり書いていますが、まるで戦地に遺してきた死者たちの声のように聞こえる無数の蝉の声に悩まされる康雄。
疼くような心の痛みがヒリヒリと感じられました。
「今 私らが悩んでることなんて、50年先の子どもらには、きっと取るに足らんようなことになっとるんやろね」
と満喜は言っていたけれど、どんなに過酷な状況でも人は生きていかなければならないし、そこに笑いも涙も辛さも切なさもあることはずっと変わらないのではないか、と思いました。
満喜・珠代・鈴子 3人揃って妊婦となったエンディング。
康雄は帰って来ないのかもしれないけれど、「虹の向こうに新しい国はない」 「今、ここで生きることを選ぶ」という3人のたくましくも明るい笑顔には救われた思いでした。
この日が大千秋楽。
カーテンコールで「あの時代にこんなふうに生きた人たちがいたことが皆様の心に小さな花のように咲き続けたらうれしいです」という ともさかりえさんの素敵なご挨拶の後、舞台上に大量の黄色い花吹雪がザッと降ってきました。
「ここじぇーんぶ 黄色い花になりよったら そら綺麗かろねぇ」
という珠代さんの台詞のとおり、舞台一面が黄色い花で覆われて、ともさかさん感激して泣いていらっしゃいました。
池谷さんがTwitterにあげてくださったその時の画像がこちら。

あかねと直也のその後がちょっと気になる のごくらく地獄度




鄭義信さんの作って、キャストの誰かが、じゃなくて全員が生き生きしてて愛おしいですよね。村川絵梨さん演じたあかねなんて、見ていて痛々しいしわかってても自分で止められないんだろうな、でも幸せになってほしい!と思わされました。妊婦さん揃いのラストだったから尚更だったのかな。
ともさかりえさんの出演作を初めてちゃんと見た、という気がしています。いろんなものを背負ってすっと立つ姿が記憶に残ります。九州弁もね。馬木也くんは、本名の名字がマキヤなんですよ、と余計なウンチク(笑)。
3部作コンプリートですね!
>鄭義信さんの作って、キャストの誰かが、じゃなくて全員が
>生き生きしてて愛おしいですよね。
本当におっしゃる通りです。
みんなイキイキしていて一生懸命で愛おしくて切ない。
あのあかねさんは本当に観ているのが辛くて、「もうやめて」
と言いたかったです。康雄さんのためというよりあかねさん自身のために。
馬木也さんのプチ情報ありがとうございます。
思わずWikiで調べてしまいました(笑)。
そこで気づいた「蜘蛛女のキス」
あー、あのヴァレンティンね!と思い至った次第。
私の馬木也さん好きはあの時から始まっていたのですワ。
(当時はCONVOYが好きで今村ねずみさんのモリーナ目当てに観たのです、多分)