
その時、どうすればいい?
踊ればいいじゃない!
トマシナとセプティマス
早熟で聡明な貴族の令嬢とその家庭教師
青い光の中でワルツを踊り続ける2人。
キスをかわし、時折楽しそうな笑い声をあげながら
涙が出そうなくらい美しく切ないラストシーンでした。
2人で踊る最初で最期のワルツ。
ラストワルツのその先に待つ未来は、おそらく
トマシナは幸福な思いを閉じ込めるように、火の中で自らの時を止め
セプティマスは心を閉ざし、庵にこもって狂気の中 数式を解き続けることになる・・・のでしょう。
シス・カンパニー公演 「アルカディア」
作: トム・ストッパード
翻訳: 小田島恒志
演出: 栗山民也
出演: 堤真一 寺島しのぶ 井上芳雄 趣里 浦井健治 安西慎太郎
初音映莉子 山中崇 迫田孝也 塚本幸男 春海四方 神野三鈴
2016年5月5日(木) 6:30pm 森ノ宮ピロティホール F列センター
舞台は19世紀 イギリスの貴族カヴァリー家の荘園 シドリー・パーク。
13歳の令嬢トマシナ(趣里)は早熟で好奇心旺盛な天才少女。
フェルマーの定理を解こうとする一方で、「肉欲的な抱擁ってなに?」と家庭教師セプティマス(井上芳雄)に質問したりします。
「ミセス・チェイターが東屋で何者かと肉欲的な抱擁を交わしているのを見た」という庭師の話を立ち聞きしたためですが、その「肉欲的な抱擁」を交わしていた男こそ、他ならぬセプティマスだったのでした。
一方、200年後の現代。
屋敷にはベストセラー作家のハンナ(寺島しのぶ)が、次の作品「シドリー・パークの隠遁者」の資料を調べるために滞在していました。
そこへ現れたバーナード(堤真一)はバイロンにまつわる新事実を発掘して名を上げようとする野心家の研究者でした。
カヴァリー家の末裔ヴァレンタイン(浦井健治)は大学で数理生物学を学ぶ研究者でかなりの変人でしたが、ハンナが発見したトマシナのノートを見て驚愕します・・・。
「2つの時代を行き来する話」ということと、堤・井上・浦井の共演ということくらいしか知らずに臨んだのですが、心配していたほど難解でもなく(フェルマーの定理とかアルゴリズムとかエントロピーの法則とかはまぁ、おいておくとして^^;)、とてもおもしろく拝見しました。
人の名前や書物名、理論などが二つの時代を繋ぐ物語。
ひと言たりとも聞き洩らすまいと集中して注意深く台詞聴き過ぎてちょっと頭痛くなっちゃっいましたが(笑)。
大きなテーブルのあるシドリー・パークの居間。
同じ屋敷の同じ部屋で、19世紀と200年後の現代が行き来して、やがて過去の真実が導き出されるという構成はとても演劇的で好き。
加えて、戯曲は非常に繊細に編み込まれている印象。
トマシナが「隠遁者がいない隠遁者の庵なんて・・」とイタズラ心で
庭の設計図に書き込んだ落書き
セプティマスが何気なく本の間に挟んだミセス・チェイターからの手紙
・・・散りばめられたパズルのようなものたちが200年後の人々に意味を持って存在して、
それを手がかりにあれこれ推測するハンナたちに「そうそう!」と応援したくなったり、「それはその人じゃないよ」と心の中でツッコミを入れたり。
古い本の間から自分のメモが出てきた時の懐かしいような甘酸っぱいようなふわりとした感情を思い出したりもしました。
バイロンがかの時代に決闘でチェイターを殺したのではないかと考えるバーナード
バイロンがこの屋敷に逗留した証拠はないと主張するハンナ
一幕では暗転をはさんで二つの時代が交互に描かれて、それぞれが独立した物語で何が二つの時代を繋ぎ、何が「謎」なのかも曖昧な中、二幕に入ると俄然スピートアップして、同じ場面に二つの時代の人物が重なって現れ、ついに動きがシンクロしたり。
椅子に座ったハンナと横に立ったセプティマスが時空を超えて同じ本の同じページを同時にめくって、その本は色も大きさも同じなのだけれど、現代の方はもちろん古ぼけた風合いになっている、なんてシビれる演出です。
ハンナとセプティマスの視線が交錯する一瞬にはドキドキ。
もちろん現実にはそんなことは起こり得ないなのですが、「隠遁者は誰か」と探していたハンナがセプティマスにたどり着いたことを暗示していたのでしょうか。
「万物はいずれ熱を失い、そして一度冷めた熱がもう戻らないように、最後には何もかも消えていく」という理論を導き出したトマシナ。
「それでは世界は終わってしまう」と絶望するセプティマス。
200年の時を隔てて、同じ空間で踊るトマシナとセプティマス、ハンナとガス。
ワルツの調べに乗って、幸せそうに楽しそうに踊る二組のカップルですが、
冷めた熱が戻らないのと同じように、過ぎ去って行く「今」という時も
二度と取リ戻すことはできない。
その神の摂理は、昔も今も変わらない。
その儚さ、切なさが胸に迫るラストシーンでした。
苦く切なく、美しいラブストーリー。
一つだけ残念だったのは、私がもっとこの時代のイギリス貴族文化やBritish Englishの知識があったら、この物語をより深く感じることができたのではないかということです。
荘園を持つ貴族。その家に詩人や植物学者など様々な人が逗留する暮らし。
「隠遁者」と聞いても、それがどういう生き方をする人なのか実感として掴みにくかったり
ましてやその隠遁者を住まわせる庵をわざわざ庭につくる貴族の暮らしぶりなんて。
時折挟まれる言葉遊びのようなジョークが、多分原語ではもっと違ったニュアンスだったのではないか、と思ったりも。
登場人物の名前にもそのあたりの意味が込められているかもしれません。
「ナイチンゲール」と「ピーコック」なんて、出来すぎだもの(笑)。
キリスト教に根ざした死生観を背景にした作品などもそうですが、このあたりが「翻訳劇」を観る時に私がいつも感じるジレンマでもあります。
セプティマスの井上芳雄さんはまさにハマリ役。
知性も教養もあって弁が立ち、品もあるのにセクシーで、女性にモテモテだけど自分からは好きにならず、肉欲と感情を完全に切り離すことができるタイプ。
だけど心のどこかには翳りのような屈折が見え隠れもします。
口跡よくて台詞は聴き取りやすく、指先まで神経の行き届いた手の表情や膝をついたりお辞儀をしたりといった所作が相変わらず美しくて見惚れます。
19世紀のクラシカルな衣装もとてもよくお似合い。
あの髪型だけはどうかと思うけれども(いや、時代だからか

トマシナの趣里さんは、昨年「大逆走」で初めて観た時、まんま高校生みたいで驚きましたが、小柄なこともあって、13歳から16歳までの多感な少女を演じて違和感ありませんでした。
天才的な閃きを持つエキセントリックな中に少女らしい無邪気さや恋心も垣間見えて。
もう少し19世紀の貴族の令嬢らしい品があってもよかったかなと思ったのと、これは演出のせいかもしれませんが、言動がいく分コミカルな方向へ流れるのが残念だったかな。
そのトマシナのお母様 レディ・クルームは神野三鈴さん。
英国貴族の気品とプライドの高さ、そして傲慢。
ゆったりとした優雅な物腰の中に落日を迎えようとしている貴族の哀切も漂わせて。
あのセプティマスとの場面は、もう妖しいやら色っぽいやらで、コワい(笑)。
現代チームではハンナの寺島しのぶさんがとても印象に残りました。
これまで観た寺島さんの中で my bestかも。
凛として、知的で勝気な大人の女性だけど恋には奥手で、ヴァレンタインの求愛にも何となくとまどっている様子が可愛い。
ウェットな役よりこんな役が本当によくハマります。
ヴァレンタインの浦井健治さんは、変わり者でちょっとオタクな研究者(・・であってる?)
表情豊かでいつも落ち着きなく動いていたり、かと思えば一心不乱に数式に取り組んだり、
このヴァレンタインという人物をとても細かくつくり込んでいる印象。
井上芳雄さんとは逆に「相変わらず猫背で姿勢悪いなぁ」と思ったのですが、今回はそれも役づくりなのかも。
それにしても「二都物語」以来の井上・浦井共演と楽しみにしていたのですが、200年の時を隔てていて2人に全く絡みがなかったのは少し残念でした。
そして堤真一さん。
バーナードは功名心にはやり、軽くていい加減であまり好きになれない人物ですが、それでも愛矯があってどこか憎めないのは堤真一のなせるワザ。
役柄的 にも演技的にもちょっと物足りないかなぁという印象ではありますが、ご本人楽しそうに演じていらしたので、まぁよしとしましょ。
ワルツのシーンでのトマシナの台詞
「じゃあここにいる。もう一度だけ、世界が終わりを迎えないうちに」
は原作だと "Then I will not go. Once more, for my birthday."
なのですって。
う~ん、やっぱり原語で原作読んでみたい・・無理だけど のごくらく地獄度




難解で繊細な構造の奥に、本当に美しいラブストーリーが現れる舞台でしたね。
どの役者さんも本当に素敵でした。
私も、寺島さんはこの役が本当にお似合いだなあ、と思いました。
トマシナの最後の台詞、英語ではまた違う雰囲気がありますね。
見落としや理解し損ねた部分がたくさんありそうなので、再演されたら通っちゃいそうです(笑)。
とても余韻の残る作品で、できれば全部がわかった上で
もう一度観てみたいと思いました。
寺島しのぶさん、よかったですね。
100% 目一杯出し切っていないという余裕も感じられて
素敵な女優さんになったなぁと思いました。
原作を読んでみたいとAmazonで戯曲のペーパーバックを
何度かポチリそうになったのですが思いとどまりまして(笑)
夏ごろに日本語版戯曲が発売されるそうですので
楽しみに待っています。