
昨年は都合が合わず行けなかったので、今年こそは!と楽しみにしていました。
笹岡隆甫さん・兵動大樹さん・桂南光さん・コシノヒロコさん・わかぎゑふさん・三浦しをんさんと並ぶトークゲストの中から「仏果を得ず」を読んで以来、その文楽ヲタぶりに興味シンシンだった三浦しをんさんの回に参戦。
うめだ文楽 2016
太夫: 竹本小住大夫
三味線: 鶴澤寛太郎
人形: 吉田幸助 吉田玉勢 桐竹紋吉 吉田玉誉 吉田簑次
吉田玉彦 吉田玉路 吉田簑之 吉田玉延
2016年3月27日(日) 3:00pm ナレッジシアター C列センター
若者でにぎわうグランフロント大阪の北館4階にある劇場。
文楽とは結びつかないような新しいハコです。
開演前のロビーで2年前引退された住大夫さんをお見かけしてテンション上がる文楽クラスタ。
住大夫さんはD列の真ん中で厳しいお顔で若手の舞台を見つめていらっしゃいました。
トークショー
トークは日替り(というか回替り)のようですが、人形遣いの吉田玉誉さん、吉田蓑之さんに
三浦しをんさんを交えてインタビュー形式。
しをんさんは言葉の端々にマニアックな文楽ヲタぶりがうかがえて、とても微笑ましかったです。
この後に上演される「傾城阿波の鳴門」の話で、「文楽というのは大抵びっくりする展開になるんです」とおっしゃったのは言い得て妙で笑ってしまいました。
しをんさん、トークショー終了後の休憩時間には客席の住大夫さんのところへご挨拶にいらしていました。住大夫さんの座席の前の床に正座して話すしをんさん。住大夫さんも時折笑顔を見せていらして、いい光景でした。
玉誉さんは一時期文楽から離れて海外青年協力隊に参加されていたことがある、なんていうお話も。
若手中心の出演者の中でも最年少23歳 ちょっぴり小栗旬くん似のイケメン蓑之さんは長野県飯田市の出身で、今でも人形浄瑠璃の座がある環境で育ったのだとか。
玉誉さんは文楽研修生の出身で、入ってから三業のうちどれをやるか希望と適性試験などを経て決められるのに対して、蓑之さんはお弟子さんとして蓑助師匠に入門したので最初から人形遣い、と技芸員になるにも違う入口がある、というお話も、文楽の技芸員さんは皆、研修生から出発と思っていましたので興味深かったです。
文楽の人形遣いさんは「足10年、左10年」と言われていますが、それがこのところ長くなっている、と玉誉さん。
どうしてかと師匠に尋ねたら「寿命が長くなったから」という答えに爆笑。
進行も在阪民放5局アナウンサーの持ち回りで、この回は読売TVの山本隆弥アナウンサーでした。
山本アナウンサー、この仕事が決まるまで文楽をご覧になったことがなかったとかで、しをんさんの本を読み、2月には東京・国立劇場まで文楽公演を観にいらっしゃったということで、熱心なのは認めますが、なにぶん力入りすぎ。話振るだけ振って技芸員さんたちの答えを拾えていない場面も・・・。
しをんさんと技芸員さんだけでよかったのに。
「傾城阿波の鳴門~十郎兵衛住家の段~」
阿波の十郎兵衛・お弓夫婦は主君の盗まれた刀を詮議するため盗賊銀十郎と名を変え住んでいる大阪玉造に、巡礼姿の娘おつるがはるばる徳島から父母を尋ねて来ます。お弓はおつるがわが子と分かりますが、そこで親子の名乗りをしてはわが子にどんな災いが来るとも限らないと案じ、涙を飲んでおつるを帰しますが、今度いつ会えるか分からないと思い直して追いかけて行きます。その間にお鶴と出会った十郎兵衛は家へ連れ帰り、わが娘とは知らないまま金欲しさに誤っておつるを手にかけてしまいます。やがてお弓が戻り、すべてを知って・・・
という何ともやり切れないお話。
文楽劇場で観る時と違って字幕も床本もなしでしたが、会話の多い演目で、特に「ととさんの名は阿波の十郎兵衛、かかさんの名はお弓と申します」で有名な子どものおつるちゃんの台詞が多いので聴き取りやすく理解もしやすかったです。
カーテンコールで幸助さんが、「今日は住大夫師匠がいらしているということで技芸員全員ガチガチでした」とおっしゃっていましたが、特に小住大夫さんは私が素人目に見ても緊張感アリアリ。前半は時に声がが上ずったりもしていました。カーテンコールに登場した時には汗で着物の色が変わっているほど。
そりゃそうだわね。住大夫師匠にあんなにデーンと正面から観られていたのでは。
「住大夫師匠に注意されたこと、全然できませんでした」とおっしゃっていましたが、それは謙遜しすぎなのではないかしら。3人の人物の演じ分けもきっちりしていらしたし、おつるちゃんは健気で可愛かったし。
そのおつるちゃんの主遣いはトークショーにも登場した蓑之さん。
子どもということを差し引いても、幸助さんが使うお弓の滑らかでたおやかな動きとの差は歴然。
やっぱり人形遣いさんの10年ってすごいことなんだと改めて感じた次第です。
ちなみに幸助さんは50歳なので蓑之さんが生まれてからより長く修業をされていることになる訳で。
千穐楽ということで、最後に全員ひと言ずつご挨拶がありました。
若い人たちが自然体でサクサク話す中、吉田玉勢さんが「私は話すのが何より苦手で、トークショーの当番の前の日は眠れませんでした。自分の出番よりあれが一番緊張しました」とマイク持つ手を震わせながらおっしゃったのが印象的でした。
この経験がきっと糧になるはず のごくらく地獄度



