
あの舞台の衝撃とトリハダ感は忘れ難いものですが、あれが2005年だったと調べて知りました。
このブログを始めた年ですが、感想が見当たらないのは夏前に観たからかな。
あれから10年。
「2015年長塚圭史がパルコ劇場にて放つ最新作!
古田新太、長塚圭史とタッグ再び!!」
と銘打たれた舞台。
PARCO PRODUCE 「ツインズ」
作・演出: 長塚圭史
美術: 二村周作 音楽: 荻野清子
出演: 古田新太 多部未華子 葉山奨之 石橋けい 中山祐一朗 りょう 吉田鋼太郎
2016年1月11(月) 1:00pm 森ノ宮ピロティホール A列センター
オープニングには多部未華子ちゃん一人登場してエアピアノを奏でます。
綺麗な曲だったな。
その曲が終わると、舞台はオープンキッチンのダイニング。
朝食の準備をするトム(中山祐一朗)。
食べものを勧められても硬い表情で頑なに拒否するイラ(多部未華子)。
イラがコーヒーを飲んでいるだけで、バットを振り回して激怒する父ハルキ(古田新太)。
このダイニングルームの中での会話から、それまでのいきさつや今の状況を、私たちは理解したりイマジネーションを働かせたりすることになります。
・この世界は何らかの原因で汚染されていて、電力供給も不安定。「水道の水を飲む」ことすら特別な状況であること
・ここはハルキの実家で、ハルキの兄リュウゾウ(吉田鋼太郎)、行方不明となった姉エリコの息子タクト(葉山奨之)、その妻で双子の赤ちゃんの母ユキ(石橋けい)などが暮らしていること
・ハルキは父に娘のイラを国外に逃れさせるための資金を無心にやってきたのだけれども、当の父は寝たきりでその言葉を聴くことができるのは看護師?のローラ(りょう)だけだということ
常にブルーの海水(と本人は言っている)を飲み続けているリュウゾウ
海で行方不明になった姉エリコ
トムのつくる食事がボンゴレだったりパエリアだったり(ほんとにいい匂いがした!)
と、並べられる海につながるエピソード。
目に見える形で明示されている訳ではありませんが、何ともディストピア感漂う世界。
飲物食べ物を拒否して恐れなが生きるハルキ父娘。
現実逃避して明るさを装って海辺で暮らすリュウゾウたち。
そんな中、起こる2つのできごと。一つはハルキの豹変。
ハルキは登場の時から誰に対しても暴力的でバットを振り回していますが、イラに指を切り落とされて以降、まるで去勢されたようにおとなしく、周りに迎合するようになります。
暴力的なばかりでなく、それまで実家と断絶していたらしいハルキのこの変化が、個人的には理解しにくかったです。
イラがハルキの指をスパっと切って指が飛んだ時、客席では「ひゃっ!」と悲鳴に似た声も起こったのですが、その直後の状況をフルタの“顔芸”で笑いの方向へ持って行ってしまったのもあまり好みではありませんでした。
これによって感じることになったハルキの失速感も。
もうひとつは双子の失踪。
ローラの言葉によるとこれもイラの仕業のようなのですが、ハルキの指を切り落とすのも、双子の赤ん坊をボートに乗せて海に流すのも、これらの行動に至るイラの心理が今イチつかみ難い。
こう考えるとキーパーソンはイラのように思えますが、この作品のタイトルロールは「双子」。
ラストシーンに登場する双子らしきものは、終末思想における人類の終焉と、海に還って人はこういう生き物として生きていくことになるという暗示なのかな。
古田新太さんは前述したように後半の失速感と「いつかどこかで見たフルタ」感にちょっぴり残念な思いも感じましたが、前半は私が大好きなキレッキレの古田。
そのハルキと対照的に終始変わらぬ佇まいのリュウゾウ・吉田鋼太郎さんは、硬軟自在にみせてさすがの存在感。穏やかな語り口の中、狂気の淵をのぞかせるところもさすが。
変わらないといえば、中山祐一朗さんのトムがどんな状況でも明るく料理をつくり続けていて、それがかえって得体が知れないというか、不気味だったり。
この日は千穐楽でカーテンコールには長塚圭史さんも登場しました。
その圭史くんは無言でしたが、古田さんが代表して、
「本日はありがとうございました。我々の劇団はまた第二回公演をやりたいと思います。またお会いしましょう。さようなら」w
会場で「sisters」のDVD販売していて、そうそう、あれ、凄まじかったよなぁと帰宅してから自分のブログの感想検索したら、いろんなシーンや台詞がありありと蘇りました。
そしてあの頃のワタシ、気合入れて感想書いていたな、と今の自分を反省
あの頃の圭史くん カムバ~ック(そしてあの頃の私も) の地獄度


