
風間杜夫・平田満の「熱海殺人事件」をまた観られるなんて。
まるで時空を超えたよう。
「熱海殺人事件」
作: つかこうへい
演出: いのうえひでのり
出演: 風間杜夫 平田満 愛原実花 中尾明慶
2016年1月10(日) 12:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 1階A列センター
1973年初演のつかこうへいさん初期の代表作。
この作品を自身が主宰する劇団☆新感線の旗揚げ公演として上演したいのうえひでのりさんの演出です。
熱海で工員が女工を絞め殺したというとるに足らない事件を刑事たちがそれぞれの美学を犯人に押しつけ、何とか「捜査のし甲斐のある」「哲学的な意味のある」事件に育て上げようとする物語・・・とされています。
何度も再演を繰り返されている作品で、いろんなバージョンがあるということですが、今回のいのうえさんの演出は「オリジナルのつか版に忠実」。
選曲とか台詞の端々に「今」を採り入れていらっしゃいましたが、つかさんとその作品に対するいのうえさんのリスペクトを感じます。
選曲といえば、大山金太郎登場の曲が「マイウェイ」ではなくローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」だったり、ラストにはThe Whoの「バーゲン」が流れていたり、いのうえさんらしいなとニヤリとしたり。
時代ということで言えば、時代設定はオリジナルのままなので確かに古い。
差別用語やいわゆる放送禁止用語も満載で、つかさんは意図を持って台詞に採り入れていたと思いますが、当時は世間でも普通に使っていた言葉だったんだなとも思いました。
この作品が書かれた高度成長期の日本には、東京と地方という格差が歴然とあって、そこに地方の農村から集団就職してくる若者たちがいて、だから、山村から出てきて海も見たことがない少女が女工として働き、「海が見たか」とつぶやく、ということも、その時代の映し鏡のようにリアリティがあったのではないかと思います。
今の私たちはそれを自分のものとして感じることはできないけれど、何というのでしょう、その時代の熱量と、その時代とともにあったこの芝居の熱さはそのまま受け継がれている・・そんなことを感じる舞台でした。演劇少年だったいのうえひでのりさんが夢中になったように、私もつかさんのつくり出す世界に憧れた少女(というより子ども)でしたが、今こうしてこの作品を観ると、何にもわからずに(というか考えずに)観ていたなぁと思います、我ながら。
それでも、初めてつか芝居を観た時の衝撃は忘れられません。
その中心にいたのが、私にとっては風間杜夫さんで、あまりのカッコよさとエキセントリックさに夢中になったものです。
「台詞も息をもつかせぬスピードで、33年前の『熱海』をやりたい」という風間さん。
年月を経て、勢いもテンポもそして発散するエネルギーも、当時のままという訳にはもちろんいかないけれど、そこにいたのはまぎれもなくキレッキレかつ色っぽい木村伝兵衛その人でした。
対する平田満さんの熊田刑事。
こちらは本当に時空を飛び越えて来たのでは?と思うくらい印象が変わらなかったです。
朴訥な中に屈折感も滲ませる田舎の刑事。
平田さんはパンフレットで「100回以上、熱海をやったと思う」と語っていらっしゃいましたが、華やかな木村伝兵衛に目が行きがちな中、本当の意味で「熱海・・」を、つか芝居を支えていたのは熊田留吉ではないかと思ったくらい。
この二人を向こうにまわす若い2人のプレッシャーはいかばかりだったかと思います。
「つかこうへいの娘」という金看板を背負う愛原さんはともかく、中尾明慶くんは特に。
だけど2人ともとてもよかったです。
全身から汗も涙も吹き出しているような中尾くんの熱演。
スタイルも姿勢もよくて声もよて、2役演じ分けた愛原さんののびやかさ。
熱海の海岸での殺人に至るまでの若い2人だけの会話のやり取りの切なさ、やり切れなさ。
自分の思うとおりの「理想の犯人」となった大山金太郎を花束で打ち据える木村伝兵衛。
舞台一面に降りしきる白い花びら。
ふわりと菊の香りがしました。

木村伝兵衛真骨頂です。
そうそう、「熱海殺人事件」ってこれだよね、と改めて思いました。
こちらはロビーに掲げられたポスター。
4人のサイン入りでした。
風間杜夫さんの銀ちゃんもまた観たい のごくらく度


