
「いい年して大人になり切れないダメな男たちと、ひとクセある不思議な女たちの一夜の逃走劇をエネルギッシュに描く!
豪華キャストでお贈りする、荒唐無稽な超至近距離 珍道中!!ロードムービー」
というキャッチコピーを後で知りましたが、それとはいささかニュアンスの違う舞台でした。
シアターコクーン・オンレパートリー2015 「大逆走」
作・演出: 赤堀雅秋
ステージング・ディレクター: 小野寺修二
美術: 金井勇一郎 照明: 原田保 吉川ひろ子
出演: 北村一輝 大倉孝二 池田成志 吉高由里子 峯村リエ 趣里 冨浦智嗣 三村和敬 濱田マリ 大鷹明良 秋山菜津子 ほか
2015年10月31日(土) 1:00pm 森ノ宮ピロティホール G列下手
会場に入ると懐かしい昭和歌謡が流れていました。
ちょうど私が入った時は「木綿のハンカチーフ」で、「恋のテレフォンナンバー6700」「セーラー服を脱がさないで」「黒ネコのタンコ」などナド・・。
ぜーんぶ知ってる曲でぜーんぶ歌えたもんね(笑)。
新人に苛立ちながら弁当を食べる建設作業員
怪しげな募金活動をする男女
馴染みのスナック
絶縁状態の母と娘
募金箱を盗んで逃走する新人
駅のホームに立つセーラー服の少女
男の父親の戦時中の鬼畜
大きなお腹を抱えてなお舞台への情熱を失わない女優
そのお腹の子の父親は自分ではないと知りながら彼女を愛し続ける夫
・・・様々なエピソードが時空を超えて交錯する物語。
一見脈絡がないようにも思えるこれらのストーリーの中で、キモになっているのは
「家族」の物語ではないかな。北村一輝扮する建設作業員 五味健次と離婚した妻 節子(濱田マリ)、
そして彼らの娘 春奈(趣里)。
バレリーナになる夢を断たれ、現実に絶望して駅のプラットホームに立ち続ける娘。
「あんたに足らんのはまず想像力やね。あんたは見たことないと思うけど飛び散った肉が・・・」
と独特の言い回しで説得につとめる母。
そこに駆けつける、離婚して娘と会うことを禁じられた父。
プラットホームにある大きな時計の針が、
10時20分位で止まったまま小刻みに不安定に揺れていて、
「ああ、それが春奈ちゃんが飛び込んだ時間なんだな。
3人の時間はそこで止まってしまったままなんだな」
と、3人のやり取りを聞いていても切なくなります。
このプラットホームで、
父と娘はしたくてもできなかった心のやり取りをして
夫と妻は互いの心の内をさらけ出します。
「お腹がすいた」という娘に、「コンビニでサンドイッチ買うてきたる」と言って、
「キュウリの入ってないやつね」と言われて「わかってる」と返事する五味パパのうれしそうな顔。
「目を合わすのも 息苦しくて、窒息しそうになって 私あの子のことが大嫌いになってもうた」と叫ぶ節子の苦痛に歪んだ顔。
最期のプラットホームで
「俺はお前を否定する」と言い放つ五味。涙を浮かべて。
そうすると時計の針が急にぐるぐる回り始めて、五味と節子の時も再び動き出して、
やっと前に進むことができる2人の時間。
電車となったダンサーたちが春奈を巻き込んで連れ去って、
それを黙って、声にはならない慟哭をあげて、見守る五味と節子。
箱の中から出てきた春奈を大切な宝物のようにそっと抱きあげる五味の姿を見て泣きそうになりました。
春奈ちゃんが最後に踊った時、それまでの「四羽の白鳥」ではなく、ベートーヴェンの第九 第三楽章の美しい旋律だったことも含め、この一連の場面がとりわけ印象的でした。
そういえば、「殺風景」もスプラッターではあるけれど、「家族」がベースにあったことを思うと、「人間の内面に容赦なく手を突っ込み、苦悩ごとまさぐり回すような作劇が真骨頂」と言われる赤堀さんですが、作品に流れるテーマは家族なのかな、と思いました。
(と言っても、まだこの2作品しか観たことないのですが。)
赤堀さんが「100%自分がご一緒したいって方しかいない」というキャストは本当に豪華。
いつもながら事前にあまり把握していなかったので、観ながら「え?この人も出てるの?この人も?」というカンジでした(笑)。
北村一輝さんのネイティブ大阪弁大好物なワタシとしては、あれが聴けただけでも満足。
池田成志さんの「ハムレット」は、もうご馳走というほかありません。
秋山菜津子さん筆頭に女優さんも皆よかったですが、峯村リエさんと大倉孝二さんは2人の場面になると他の人にはない独特の空気感が漂うなぁと思いました(あの「イワシの南蛮漬け」のところね)。
これが初舞台という吉高由里子さんはよくも悪くも映像から受けるイメージそのままという感じ。
春奈役の趣里さんは、バレエがとても綺麗だったのでバレリーナさんかと思っていたら、私は全く存じあげなかったのですが、水谷豊さん・伊藤蘭さんご夫妻のお嬢さんで、バレリーナを目指していてけがのため断念したという春奈ちゃんリアルストーリーのような方だと後で知ってとても驚きました。
ウッドタイルの壁が三方を囲み、フレームを伸ばしたり組み合わせたりして部屋や家具に見立てる舞台装置。
それを動かすのは、ダンサーなのかアンサンブルなのかコロスというのか、とても独特な動きをする人たち。
三味線や鼓といった和の音楽。歌舞伎を模した振付。
・・・演劇的な試みがたくさん。
「意味がないといけないのか?」
という台詞を何度か耳にしました。
それが相手に言うばかりでなく観客に向けられた言葉だとしたら
この物語の解釈も「大逆走」の意味も観客に委ねられているのだとしたら
その言葉を受け止めきれた自信は、私にはないかなぁ・・・。
まだまだ修業がたりません



