2015年10月01日

迸る“言葉”への思い  こまつ座 「國語元年」

kokugo.jpg使っている人の言葉の
それぞれが日本語で、
その総和が日本語なのだ

この井上ひさしさんの思いがそのまま表れているような舞台。
井上さんは東北のご出身で、標準語との違いに苦労もされたそうですが、方言を愛し大切にした井上さんの、迸るような「言葉」への思い。


こまつ座 第111回公演  「國語元年」
作: 井上ひさし
演出: 栗山民也
出演: 八嶋智人  朝海ひかる  久保酎吉  那須佐代子   田根楽子  竹内都子  
後藤浩明  佐藤誓  土屋裕一  森川由樹  たかお鷹   山本龍二

2015年9月26日(土) 2:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 1階H列センター



舞台は明治七年。まだ話し言葉が地方によってバラバラだったころの日本。
文部省官吏 南郷清之輔(八嶋智人)は文部少輔・田中不二麿閣下から全国統一話言葉の制定を命じられます。
南郷家自体、清之輔本人は長州弁、妻(朝海ひかる)と舅(久保酎吉)は薩摩弁、三人の女中(那須佐代子・田根楽子・森川由樹)はそれぞれ江戸山の手言葉、下町言葉、羽前米沢弁を話し、車夫(佐藤誓)は南部遠野弁、書生(土屋裕一)は名古屋弁、ピアニスト(後藤浩明)はカタコト英語を話しています。
さらにはそこへ、河内弁をまくしたてる女郎(竹内都子)、京都の貧乏公家(たかお鷹)、元会津藩士の押し込み強盗(山本龍二)まで加わって、10のお国言葉(+英語)がにぎやかに乱れ飛び、まるで日本中の話し言葉の縮図のよう。
「話し言葉の統一は、国をひとつにするための大事業である」と熱意を燃やす清之輔ですが、それをひとつにまとめる難しさに直面していきます・・・。


文明開化。
日本がひたすら前へ前へと進んでいた時代。
その歪みの中で消え去ろうとする言葉。その言葉にこめられた思い。
笑いながら切なくて、温かい気持ちになりながらもの哀しい・・・井上ひさしさん真骨頂です。丸に十字の薩摩藩 島津家の紋の入った提灯がかけられた旧武家屋敷のセット。
上手側に畳敷きの座敷があって、下手側は土間になっていてかまどなども見えます。

役者さんたちの方言が皆さん本当に達者で、最初の方は何話しているのかわからない場面も。
物語が進むにつれて、その人の性格や人間関係が明らかになり、耳も慣れてきて、いろんな言葉がすんなり入ってくるようになりました。

違うお国ことばを話す人たちが、それぞれ切なさを抱えながらひとつ屋根の下で寄り添って生きていて、みんなが懸命に清之輔を盛り立てようとしていて。
その一人ひとりがとても愛おしい。
言葉って本当に生きることそのものなんだと改めて思いました。

いつも邪魔が入ってうまくいかない書生の修二郎が撮る集合写真がスクリーンに大写しになるたびに声をあげて笑ったり、山本龍二さん虎三郎が登場した時、「尾張じゃねぇ!いぇ~ずだ」「いぇ~ずだ」と連発していた「 いぇ~ず」が「会津」のことだとわかって爆笑したりしながら、ひたひたという感じで忍び寄る切なさ。
あと、朝海さん筆頭にみんな右手を掲げて「ちぇすと〜っ」って言うのも可愛いかったです。

生真面目な清之輔は、使用人たちに「アイウエオ」をきっちり発音させることから始まり、全国共通の言葉をつくるために政府高官の人数に比例してその出身地の言葉を採用したり、ついにはどこのお国言葉でもなく、末尾に「す」をつける「文明開化語」をつくることを思いついたり・・・といういった試行錯誤を繰り返す中で、その向こうに、政治の力や厳然としてなくならない身分制度や、「逆賊 会津」の立場など、時代背景や明治維新の負の遺産も浮き彫りになってきます。

言葉の統一などというものが一個人にできるわけもなく、虎三郎(山本龍二)やちよ(竹内都子)が田中不二麿に直接掛け合いに行ったりした懸命な援護射撃も裏目に出て、田中不二麿に疎まれ、勤めていた学務局も廃止となって心を蝕まれていく清之輔。

逮捕された虎三郎が清之輔に宛てた手紙に書かれていたことが井上さんの答えでしょうか。
「言葉のように大切なものは上から押しつけるのではなく、みんなで納得できるまで話しあって決めるべきもの」

これ、そのまま今の時代に当てはまります。
アフタートークでも八嶋さんが、「同じ長州出身の人(某首相のことね)にも言いたいけど、『無理やり一人の人がつくるものじゃない』と思います」とサラッとおっしゃっていましたが、ズシリと胸に響きました。


清之輔が混乱したり意気消沈したりするたびに元気づけようと、その加津さんが中心となって、妻も義父も使用人も居候も一緒になって歌う小学校唱歌の数々が楽しかったな。
「きらきら星」とか「むすんでひらいて」など聴き慣れた曲なのですが、歌詞が私たちが知っているものとは違っていて(清之輔がつくった歌詞ということになっている)。

だから、清之輔ばかりでなく、書生の修一郎が語るそれぞれの人たちのその後が一層切なかったです。


八嶋智人さんはこまつ座初参加ということですが、膨大な量の台詞もしっかり。
いつもの飄々とした雰囲気の中にも、いかにも官吏という生真面目さと、いわゆる宮仕えの辛さも滲ませていてよかったです。

奥様の朝海ひかるさんは相変わらず立ち姿が美しく、いかにも旧武家の奥方様という鷹揚な雰囲気。
アフタートークで、「この物語はまだ封建時代のヒエラルキーが厳然と残っていて、主人は上手の座敷、使用人は下手の土間と家の中で居場所が決まっている。特に朝海さんは一度も六畳の座敷から出ない」と八嶋さんがおっしゃっていましたが、まさにそんな奥住まいのお嬢様という雰囲気がぴったりでした。

他の役者さんも皆よかったですが、特に印象的だったのは、いかにも胡散臭い自称公家で国学者の裏辻芝亭公民(うらつじしばてい までが名字で名前がきんたみわーい(嬉しい顔))のたかお鷹さん。
衣冠束帯っぽい公家の拵えで出て来た時、白塗りしてた?ように見えて、柔らかくていかにも食えない感じの京ことばも絶妙で、最初誰だかわからず、幕間にわざわざプログラム買って確かめたくらい(笑)。

女中頭・秋山加津を演じた那須佐代子さんのキビキビした佇まいと歯切れよく美しい江戸山の手言葉もとても耳に残っています。



IMG_6281.jpgこの日は会場に着いてからアフタートークがあることを知りました。
司会もなく、八嶋さんの軽妙な進行で3人きりのトークショー。

上述した内容の他にも、
・台本は標準語で書かれていて、その横に各自の方言の台詞がルビのように書いてある
・言葉がわからなくて相手の台詞のどこが終わりかわからない
・アドリブを入れようと思ってもできなくて、朝海さんは客席に声が届かないようにボソリと標準語で言ってる
・・・なんて裏話も。

好きな台詞は?という客席からの質問に、「ちんちん」という方言の意味を忘れてしまった朝海ひかるさん。
八嶋さんが客席に向かって「ちょっと待ってください」と断って朝海さんの前に立ちはだかって、「しっかりしてくださいよ」とお説教していました(笑)。

ちなみに、河内弁担当 竹内都子さんのお気に入りの台詞は「しょんべんちびらしたろけ」わーい(嬉しい顔)


八嶋さんが「僕はこの劇場初めてなんですが、共演者から『いい劇場だよ』と聞いていたとおり本当に良い劇場で、繊細なお芝居も大胆なお芝居も伝わるし、お客様の反応もこちらにビシビシ伝わります。もちろんお客様もいいんですけど」
とおっしゃっていて、お芝居を観る劇場としては私が関西で一番お気に入りの兵芸中ホールのことを褒めていただいて、とてもうれしかったです。



2日間しかない兵庫公演の1日は土曜日なのに出勤日だったのですが、午後からお休みして観に行きました。
その甲斐もあった舞台。思いがけずアフタートークもついていて、「そりゃ土曜日に働くより断然いい」となりました のごくらく度 わーい(嬉しい顔) (total 1444 わーい(嬉しい顔) vs 1446 ふらふら)
posted by スキップ at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
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