描かれているのはニューヨークに住むIRA(アイルランド共和軍)メンバーの30年に亘る日常と葛藤の物語。
そこから浮かび上がってくるものは、暴力と報復の連鎖。負のスパイラル。
SEPT 「THE BIG FELLAH ビッグ・フェラー」
作: リチャード・ビーン 翻訳: 小田島恒志
演出: 森新太郎
出演: 内野聖陽 浦井健治 明星真由美 町田マリー 黒田大輔 小林勝也 成河
2014年6月14日(土) 6:00pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 1階H列下手
幕があがると中央に緑のアイリッシュキルトを身につけた男が一人 スピーチを始めます。
この日はセント・パトリックス・デーで、ここはニューヨークのレストラン。「血の日曜日」事件の追悼集会で、募金を募っている・・・というようなことがスピーチを聴いているとわかってきます。
彼の名はデイヴィッド・コステロ。
IRAのNY支部のリーダーであり、アメリカン・ドリームを体現した成功者。仲間からは「ビッグ・フェラー」と呼ばれ人心を集めるカリスマ的人物。
物語は、このコステロ(内野聖陽)を中心に、アイルランドの刑務所からの逃亡者ルエリ(成河)、警察官トム・ビリー(黒田大輔)、消防士マイケル(浦井健治)の4人が、変化するアイルランド情勢や激動する世界の流れに翻弄され、時には信念も揺らぎながら、IRAのメンバーとして生き抜き、闘う1972年から2001年までの30年間が描かれます。
冒頭とラスト近くのコステロのスピーチ、二度挟み込まれる美術館の場面以外は、一貫して彼らが隠れ家としていたマイケルのアパートが舞台となっています。
とても観応え、聴き応えがありました。
翻訳劇苦手な私ですが、台詞がよく練られているせいか、あまり「翻訳劇」という感覚はなかったです。
アイルランドのことも、IRAのことも、表面的にしか知らなかったなと痛感。
映像で差し込まれるように、ケネディ、レーガン、クリントンといった有名な大統領を輩出したアメリカのアイルランド系社会がまた、母国の闘争に武器を提供し、テロを支え、それがイスラム世界の紛争へとも繋がっていたという現実。
そして、FBI(というか、アメリカという国)の本当のおそろしさも。実際の戦闘場面やテロの現場を描くのではなく、彼らの会話から見えてくるのは、どこの社会、どんな組織にも見られる対立や裏切りや粛清、そして家族の崩壊。揺れ動く不確かな正義。
その先には、報復の連鎖やテロの虚しさといった普遍的なテーマが見えてきます。
コステロは冒頭のスピーチで、「朝鮮戦争で自分は人を殺したが、そうしなければ殺されていた。もしまた国に呼ばれたら喜んで戦争に行く。でも、戦争には『大義』が必要だ」と話していましたが、IRAは彼らメンバーにとっては「軍隊」であり、その活動はテロではなく「大義ある戦争」という認識なのでしょう。
ですが、歴史の中で繰り返す不毛な戦争を見てきた私たちは、「そもそも戦争に大義などどいうものがあるのか」と思います。
戦争もテロも、同じじゃないか、と。
マイケルが明確な覚悟がある訳でも、IRAのことをきちんと理解した訳でもないまま(・・という風に見える)IRAに入る時に、「一度入ったらやめられない。ずっと地獄が続く」という言葉とともに、「IRAに入ったら、殺さなくてはいけない相手は密告者だ」というコステロの言葉が、この物語を通じて最初から最期まで、彼らの上に重くのしかかっているよう。
ルエリの言動、エリザベス(明星真由美)の粛清、フランク(小林勝也)の派遣、コステロ自身、そして、コステロを「密告者」として殺さなければならなくなるマイケルにも。
FBI(=アメリカ)については、今さらながら空恐ろしさを禁じ得ません。
これは、作者のリチャード・ビーンの視点なのかな。
ルエリが、コステロが、FBIに情報を流していたにもかかわらず、テロについてはあえてそのままやらせていたらしいという事実。
カレルマ(町田マリー)の言う、「潰そうと思えばできるけど、そうするとまた新しい組織ができるだけよ。我々が情報を得ることのできない新しい組織が」ということのためばかりではなく、その方がアメリカにとって都合がよかったから。
阻止しようと思えばできるテロを意図的に放置して実行させることで利益を得る者がいて(たとえば軍需産業とか?)、その一方でテロを起こした側を世論的に「悪者」にすることもできて。そういう国益を取っているのがアメリカという国なのだと。
1972年 自信満々のスピーチをしたコステロ。
コステロという人間の吸引力全開で、ジョークをまじえ同志を鼓舞し、万人を惹きつけて。
1998年 そのコステロが自分の罪を告白する最後のスピーチ。
失意の中、瞳をあふれんばかりの涙でキラキラさせて。
セント・パトリックス・デーの演説ではアイリッシュキルトの正装をしていたコステロですが、1998年に着ていたのはタキシード。
それは、コステロの意識の表れだったのかな。
「私たちはアイルランド人ではなくアメリカ人だ。だがそれ以前に、ニュージャージー州出身のただの人間というだけではダメなのか」というコステロの言葉が重く、切なく響きます。
そのコステロの最期はちょっとミステリアス・・・というか、判断は観ている側に委ねられているようです。
裏切り者のコステロを殺しに行こうと息巻くトム・ビリーとマイケルの元へ自らやってくるコステロ。
「お前がやれ」と拳銃を持たされ、「できない」と叫ぶマイケル。
「お前がやるんだ」と二人をバスルームに押し込めるトム・ビリー。
ドアの外で少し待って、何も聞こえてこないところで銃を構えてバスルームに入るトム・ビリー。
閉ざされたドアの向こうで響く一発の銃声。
・・・トム・ビリーがマイケルに代わってコステロを撃ったと考えるのが妥当なところなのかもしれませんが、私は最初、マイケルがトムを撃ってコステロを助けたのではないか、と思いました。
ですが、次の場面を観て考えが変わりました。
やっぱり、マイケルがコステロを撃ち、その時初めて人を殺す意味を知り、本当の意味でIRAの一員になったのではないかと。
あの日と同じバスルームから出て来て、淡々と出勤の支度をするマイケル。
ヒゲを蓄え、お腹は肉づきがよくなって。
多分毎日そうしているように消防士の制服を着て帽子をかぶり部屋を出る。
穏やかな朝日が射し込むアパート。
いつもと変わらない朝。
2001年9月11日。
その朝日の向こうに、マイケルは何を見たのかな。
カリスマ性とオーラ全開の内野聖陽さんはじめ役者さんは皆すばらしかったです。
中でも強く印象に残ったのはIRA本部から派遣されてきたフランクを演じた小林勝也さん。
武骨で口数少なく、座っているだけで得体の知れない怖さがあって、IRAそのものを体現しているかのよう。明らかにコステロたちアメリカ人とは違う空気感が漂っています。
有無を言わさずルエリやマイケルを殴り、裏切り者を炙り出そうとするフランク。
これに対して、アルコール中毒からほぼ更生したフランクを、拳や銃でなく、18年もののマッカランで堕とすコステロ。その心の闇。
コステロという男の本当の恐ろしさも見えた場面は、凍りつくような緊張感でした。
この場面の、残酷なまでに容赦ないコステロを見ただけに、妻も娘もなくした失意の彼にFBIにつけ込まれる脆さがあったという事実が一層苦く、それは逆に人間的な面でもあって、切なく哀しいです。
兵芸のロビーの展示ブースには「ビッグ・フェラー」の特集コーナーができていたのですが、そこにあった内野さん・浦井くん・成河くんのメッセージの中で内野さんのもの:
「この劇場、大大大好きです!日本で一番好きな劇場の一つと言っていいくらい。木の雰囲気が良いですよね。関西地方では兵庫県立芸術文化センターで公演出来ることが存外の喜びです! 」
兵芸は私も大好きな劇場。
内野さんにこんなに気に入っていただいてうれしく思うと同時に、ここで内野さんを初めて観たのは「イリアス」であの作品もすばらしかったなぁ、と思い出しました。
ニュースや年表を読んでもなかなか実感できないことが、こんなふうにストンと胎に落ちる演劇のすばらしさ のごくらく度 (total 1201 vs 1203 )
2014年06月19日
この記事へのトラックバック
本当に見ごたえ、聴きごたえがありましたね。
難しい題材でしたが、そしてかなり寝不足での観劇だったのですが(笑)、
役者さんそれぞれの台詞回しだけでも、思いっきり引き込まれて、
全然眠くなりませんでした。
小林さんのフランクの在り方には、私も感嘆しきりでした。
台詞に描かれていない部分にも説得力があるというか…
あのシーンは、かなり怖くて直視できなかったんですが(^^;)
そして、兵庫県立芸術文化センターもいつかぜひ行ってみたいです!
面白いお芝居ってほんと、眠くならないですよね、
逆に、睡眠十分でも眠くなっちゃう時もありますが(笑)。
この舞台は、観る前は「翻訳モノの現代劇かぁ」と
ちょっとテンション低かったのですが、とても
引き込まれました。
あのフランクの場面は、小林さんもさることながら
内野さんのコステロも怖かったです。IRAの本質を
垣間見る思いでした。
精神的にハードな作品ですが、ぜひ再演希望です。