静かに穏やかに響くピアノの調べ。
どこか懐かしさを感じる教室のセット。
風を含んでふわりと揺れる白いカーテン。
一幕観終わった時、「この作品好きだぁ」と思いました。
「わたしを離さないで」
原作: カズオ・イシグロ (「NEVER LET ME GO」)
演出: 蜷川幸雄
脚本: 倉持裕
出演: 多部未華子 三浦涼介 木村文乃 床嶋佳子 山本道子 銀粉蝶 ほか
2014年5月31日(土) 1:00pm シアター・ドラマシティ
9列センター
カズオ・イシグロさんの名前は知っていましたが、作品を読んだことはありませんでした。
この作品が2010年にイギリスで映画化されていたことも後で知りました。
Never let me go
Love me much too much ~
ちょっとアンニュイなメロディが流れる舞台。
タイトルから、若い男女の切ないラブストーリーかと思いきや・・・。客電が落ちた暗闇の中、ブーンと響く機械音。
闇の中空に点滅する赤い光。
やがて姿を現す小さなリモコンのドクターヘリ。
それに導かれるように舞台奥からストレッチャーに横たわる若者とそれを押す若い女性。
ストレッチャーの若者は自分の名前がケンで漫画の主人公ケンシロウから取ったものだと言い、介護人である女性にも名前とその由来を尋ねます。
彼女は、八尋(やひろ)と名乗り、知らないうちにそう呼ばれていたから由来なんて知らないと答えます。
・・・名前を自分でつけたり、知らないうちにそう呼ばれたり?
それを聞いたケンは「ヘールシャムの出身なのか?ヘールシャムの話をしてくれ」と八尋にせがみます。
・・・ヘールシャム?
車(ソアラ)の話から激高したケンがシーツをはねのけると、剥き出しの裸体に点滴のチューブ、そして何箇所もの手術跡。
・・・あのたくさんの手術跡は?
全く白紙の状態で観た私ははじめのうち??ばかり。
これがただのラブストーリーでないことをヒシヒシと感じて、物語の始まりです。
ここから、八尋 14歳の時代に一気に還る舞台転換、すばらしかったな。
ホリゾントに下ろされた紗幕に浮かび上がる人影。
それは制服を着た少年たちで、その人影がゆっくり動き出し舞台奥から客席に向かってスローモーションで進んできます。
少年たちの間からポーンと蹴り出されるサッカーボール。
客席に背を向け、コートを脱ぎ捨て鬘も取って、制服姿の少女にもどる八尋。
校舎の窓辺の少女たちの何気ない会話。
その窓が取り払われて左右に大きく開いて現れる教室。
高い天井から風を含んでふわりと揺れる白いカーテン。
そこで繰り広げられる他愛ない学生たちのあれこれ。
この光景がとても美しくて涙が出そうになりました。
そして、この場所がある意味理想郷で、ここヘールシャムで過ごした何年かの日々が、八尋にとっても周りの少年少女たちにとってもかけがえない時間だったのだと後で知ることになって、音楽(阿部海太郎)、舞台装置(小林清隆)含めて蜷川演出おそるべし、と改めて感じた次第です。
「第2視聴覚室」のシーンもとても印象的でした。
机や椅子や、映写機やラジカセや種々雑多な道具が、まるで危ういバランスを保つように積み上げられた部屋。
そこで八尋と鈴に晴海先生から告げられるのは、彼女たちが持っていた広告のように「オフィスで普通に働く未来」は彼女たちにはない、ということ。
晴海先生が決死の覚悟で告げたように思えるその現実を、「そんなこととっくに知ってるよね~」と笑い合う八尋と鈴。
その八尋が手にした、東北地方だけが描かれている日本地図。
そして語られるあらゆるゴミが打ち寄せられるという「宝岬」の話。
「ゴミになる前には誰かの宝物だったのよ」
3.11
あの津波に打ち上げられた瓦礫の山を思い起こさせます。
ここにそれを持ってきたのは、蜷川さんの意図でしょうか。
友情、恋、嫉妬、けんか、いじめ・・・ヘールシャムと呼ばれる社会とは遮断された寄宿学校で、八尋(多部未華子)・もとむ(三浦涼介)・鈴(木村文乃)の3人やその周りの少年少女たちが、厳しい主任保護官の冬子先生(銀粉蝶)や理解のある晴海先生(山本道子)の指導の下過ごす第一幕は、いかにもどこにもありそうな青春物語。
その場所を出て、頭でわかってはいてもヘールシャム時代は目の前にはなかった「提供」が現実として迫ってなお、自らを律して真っ直ぐ生きようとする八尋、自分のあり方に迷うもとむ、自暴自棄になる鈴、三人三様の姿を描く第二幕。
「あたしたちのオリジナルなんて、くずに決まってる」という鈴。
男の子たちが読み捨てたポルノ雑誌を必死にめくって、自分のオリジナルを探そうとする八尋。
♪Never let me go・・・といういかにもラブソングに聞こえる歌を、「母とその赤ちゃんの歌」だと思うと言っていた学生時代の八尋は、あの頃まだ自分の母の存在を信じていたのでしょうか。
ひたひたと迫り来る時を少しでも先にという八尋ともとむの願いが無惨に断ち切られる第三幕。
「ガンは治ると知ったら、もう後戻りできないのよ」という冬子先生の言葉は人間のエゴのようにも聞こえます。けれど、そのエゴがなければ、八尋たちはこの世に生れてくることさえなかったという現実にやり切れぬ思いが重なります。
彼女たちが臓器移植という目的のためにつくり出されたクローンで、やがて「介護者」となり、次には「提供者」となって、1回、2回と臓器を提供し、短命でその人生を終えてしまう過酷な運命にあることを、予備知識が全くない私のような者にも、説明台詞ではなく、言葉のやり取りと繰り広げられる場面で徐々に理解させる脚本も見事です。
倉持裕さん。とてもあの「鎌塚氏シリーズ」(今年も観るけど)を書いた同じ人とは思えません(笑)。
多部未華子さん。
凛と立って真っ直ぐ前を見据える真摯な眼差しが印象的。
細やかな感情表現と、つぶやくような言葉もちゃんと聴こえる台詞術もすばらしい。
ともすればイヤな女になりそうなところをギリギリのバランスで演じた木村文乃さん。
死期が近いことを悟って「八尋ともとむの気持ちを知っていてずっと邪魔してたの」と泣いて謝る姿が切ない。
三浦涼介くんは、「ボクの四谷怪談」を観た時、ロビーに涼介くんへのお花がたくさんあって、「人気あるんだなぁ」と思ったのですが、正直「綺麗な男の子」という印象しかありませんでした。
思いは別のところにありながら、主体的に行動できないもとむをナイーブに表現していてステキでした。ビジュアルももとむのイメージにぴったりだったな。
銀粉蝶さん、床嶋佳子さん、山本道子さんの強力助演陣はさすがの力量。
自らに課された運命を疑うことなく教育されて育った純粋な少年少女たち。
意図的につくられたクローンでも、ちゃんと心を持ってその時を懸命に生きていた。
ガラス細工のように繊細で透明感あふれ、静謐な空気に包まれた舞台。
三幕約4時間という長さを感じさせない作品で、時間が許せばもう一度観てみたかったです。
原作も読むし映画も観たい のごくらく度 (total 1197 vs 1199 )
2014年06月09日
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この作品、お気に召すんじゃないかな~と思ってました♪
あっという間に学生時代に戻る演出には息を飲みますよね。
舞台美術も照明も本当に素敵でした。
確かに長い作品だったけど、長さを感じないというか、
どっぷり漬かることが出来て、むしろ良かったな、と思えた程です。
私も出来ればもう1度観たかった~!
「蒼の乱」で梅芸に行ったときにポスターを観て
「いいなあ、これからかあ・・。」と思ったのを思い出します(笑)
はい。お気に召しました(笑)。
お目にかかった時「おもしろかった」とおっしゃって
いましたものね。ほんとにその通り。
今年前半観た中では断トツに印象に残る舞台です。
あの教室が現れるシーンはね~。
これから白いカーテンがふわりとふくらんで揺れるのを
見るたびにこの作品、あの場面を思い出しそうです。
役者さんたちも皆よかったですね。
大阪は必ずしもチケットの売れ行きがよかったとは言い難い
らしく、後になって「原作本付きチケット」とか販売して
いましたので、公演期間がもう少しあったら、それ買って
リピートしたいところでした。
本当に、とても美しい舞台でしたね。
物語も、セットも、照明も、音楽も、役者さんの在り方も。
残酷ささえ美しく見えてしまう世界に圧倒されました。
こんなに瑞々しい舞台を作ることのできる蜷川さん、すごい!!
今原作を読んでいるのですが、
文章の向こうにあの舞台の光景が思い浮かぶ瞬間があります。
私も1回きりの観劇だったのですが、それがとても残念で、
だからこそ大切なものになっている気がします。
「残酷ささえ美しく見えてしまう世界」
まさにその通りでした。
ほんとに蜷川さん、おそるべし!ですよね。
知っていたけど(笑)。
恭穂さんも原作を読んでいらっしゃるのですね
私も読みたいなと思っています。
SF小説と分類されているようですが、あの世界観が
どんなふうに描かれているのか感じてみたくて。
実はこの舞台を観終わった時、一番に思い浮かんだのが
恭穂さんのことなのです。
子どもたちと身近に接していらっしゃる恭穂さんは私とは
また違った感じ方、とらえ方をされるのではないかと。
うん、やはり恭穂さんと語り合いたいです。