2014年05月04日

時を止めることができたなら 「映画 中村勘三郎」

kanzaburomovie.jpg2012年12月5日に亡くなった中村勘三郎さん。
その勘三郎さんをフジTVが10年以上密着取材して記録した7,000時間にも及ぶ映像を厳選・再構築して制作され、2013年12月に公開されたドキュメンタリー映画。
亡くなった後の特番やワイドショーなどを直視できずいつまでも保存したままの私が果たして観ることができるのか不安でしたが、せっかく大阪で公開されることでもあり、一歩進まねばと意を決して観に行きました。

「映画 中村勘三郎」
監督: 松木創  
監修: 塚田圭一

2014年5月4日(日) 10:00am 第七藝術劇場
 

冒頭、出番を待つ団七の後ろ姿が映っただけで涙がじんわり溢れてきて、最初からこれでどうなることかと思いましたが、もちろん泣いたけど、涙流しながら時々笑ったりもして、何よりもスクリーンの中の勘三郎さんに引き込まれて、夢中で観ることができました。

その団七は2004年のニューヨーク公演の時のもので、映画はその2004年から時が流れていく形でその年々の勘三郎さんの姿が描き出されています。
勘三郎さんへのインタビューが何度か出てきますが、その中でもとりわけ印象的だったのは、「これから70歳まではがむしゃらにガンガンやりますよ。そして70歳になったら少し仕事を選んでね・・」とおっしゃっていた言葉。
ほんとなら今ごろはまだガンガンやっていた頃ですね。70歳どころか、60歳の勘三郎さんにも会えないなんて、考えてもみませんでした。勘三郎襲名の口上を聴いたのが2005年で、その10年後に勘三郎さんがこの世にいないなんて。

画面の右下に出るスーパーの文字が、2004年・2005年・・2008年と刻まれていき、「その年」が近づくにつれて、あの時に戻ってこのまま時を止めることができたらどんなにうれしいだろうと思いました。幸せなことに私は、この映画に出てくる勘三郎さんの舞台は、海外公演や地方の芝居小屋で上演されたものを除いてはほとんど観ていて、「ああ、そうだった」「そうそう、この時・・」と懐かしく思い出したりもしました。中でも2008年平成中村座の「仮名手本忠臣蔵」は忘れられない舞台のひとつで、勘三郎さんの厳しさ、仁左衛門さんの温かさ、という稽古場風景や、絶品と言われた勘三郎さん判官、仁左衛門さん由良之助のあの四段目がまた観られただけでも、この映画を観てよかったと思いました。

平成中村座でもう一つ忘れられないのはやはり2012年5月の「め組の喧嘩」。
舞台に立つ勘三郎さんを観た最期の作品です。ほんっと、カッコよかったなぁ、辰五郎。
め組を率いる辰五郎がそのまま中村屋一門を、歌舞伎界を牽引していく勘三郎さんとも重なっても見えて、初役とはとても思えないハマりっぷりでした。

勘三郎さんが亡くなった日。南座で襲名披露興行中だった勘九郎さんは口上で感極まりながら、「父のことを忘れないでください」と言ったけれど、忘れる訳がない、忘れられるはずがありません。

1991年7月 道頓堀中座 「怪談乳房榎」 
私に歌舞伎のおもしろさを教えてくれた舞台。
その真ん中にスックと立っていた人。
その人のことを決して忘れません。


そういえば、フライヤーのコピー「勘三郎は、死なない」と「生き続ける魂-」と2種類あるのね のごくらく地獄度 わーい(嬉しい顔) ふらふら (total 1177 わーい(嬉しい顔) vs 1179 ふらふら)
posted by スキップ at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | movie | 更新情報をチェックする
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