元々スーパー歌舞伎好き、澤潟屋好き。
イキウメの舞台で観た前川知大さんか歌舞伎でどんな世界を紡ぎ出すのか興味シンシン。
ということで、とても楽しみにしていた舞台。
スーパー歌舞伎だからきっと宙乗りあるよね~と、3階宙乗りお迎え席と1階の舞台近くから・・・最初から2回観ることに決めていました。
スーパー歌舞伎 Ⅱ(セカンド)
空ヲ刻ム者 ―若き仏師の物語―
作・演出: 前川知大
スーパーバイザー: 市川猿之助
出演: 市川猿之助 市川門之助 市川笑也 市川笑三郎 市川寿猿 市川春猿 市川猿弥 市川右近
福士誠治 浅野和之 佐々木蔵之介 ほか
2014年4月5日(土) 1:00pm 松竹座 3階2列下手/4月12日(土) 1階4列センター
物語: 舞台は平安時代くらい?の日本。才能に恵まれながら、世俗にまみれた仏師として生きる意味に苦悶する十和(市川猿之助)。その幼なじみで、貧困にあえぐ民衆の声を中央に届けようと権力に近づく一馬(佐々木蔵之介)。この二人の自分探しと成長の物語。
十和は行きがかり上、役人を殺してしまい出奔、都で出会った双葉(笑也)や吾平(猿弥)らの盗賊団の仲間に加わり仏像壊しを生業としますが、やがて仏師・九龍(右近)と出会い、真の自分に目覚め、再び仏像を彫り始めます。一馬は、貴族の長邦(門之助)と時子(春猿)に重用され、官吏となって立身を目指します。やがて二人は再会し・・・。
私はイキウメの舞台は2011年の「太陽」から直近の「片鱗」まで5作品しか観ていませんので、前川さんの作風をよく知っているとは言い難いのですが、それでも、これまでの作品からイメージしていたものはずい分違った印象。
何て言うのでしょ。とてもストレートでした。人が生きていくことは、とか、仏教とは、とか、政治とは、といったことをこんなにも真顔で、声高に宣言されることに些か戸惑ったというのが最初の感想。
志を同じくしていたはずの二人が一度は袂を分かち、迷い、悩みながらもやがてそれぞれが目指すべき道を選び取る、という物語は挟み込まれるエピソードのお陰もあって長さを感じることなく面白く観ましたし、十和も一馬もきっと若い設定で、生き方探しもわからないではないですが、世間の荒波にもまれてもはやすっかり汚れちまった不肖スキップの心には、「大事なのは来世じゃない。今生きているこの人生だ」 とか 「そこに何を見るかは拝む者次第だ」とか、わかり切っていることを今さら面と向かって言われても、何だかな~と面映いような気持ちも。
「やたら説教臭いよな、十和の台詞」と初日に観た時は思ったものですが、あら不思議。2回目に観た時はそれほど気になりませんでした。
十和の苦悩は、生き方に悩む現代の若者像とも、また「才能があってそれを発揮することのできる家に生まれた」猿之助さん自身とも重なります。また、「伝統を続けるばかりではなくて新しいものを」という姿勢も、猿之助さん自身と、そしてスーパー歌舞伎という道を最初に拓いた猿翁さんの姿が透けて見えるようです。が、そこに宗教の意味をブチ込んでくるあたりが、前川さんであり、猿之助さん、といったところでしょうか。
幕があがると、ずらり正座した役者さんたちの口上。
その中で、「浅野じゃなくてアタシは鳴子だよ」と言って一人口上をしなかった浅野和之さんを残して全員が台座ごとホリゾントへスーッと下がって行き、残った浅野さんこと鳴子が裏方さんたちと素のような話をしながら物語へと導入していくプロローグは遊び心があって楽しく、上手い演出だな、と思いました。
一幕は物語の発端が語られるので動きも少なくて地味な印象。二幕から色彩も場面の動きもぐっと華を増します。そして三幕は、これぞスーパー歌舞伎、といったスペクタクル炸裂。
初めて観たスーパー歌舞伎が三代目猿之助(現・猿翁)さんの「ヤマトタケル」で、それが私の原点ですから、「スーパー歌舞伎」という面では少し点が辛くなってしまいます。
そういう意味では「セカンド」と銘打ったほどには趣向に新味はなかったかなぁ。どこかで観た殺陣、どこかで観たシーンという印象。「ヤマトタケル」の冒頭で、王宮がゆっくり回転しながらセリ上がってきたのを初めて観た時のゾクゾク感が忘れられません。
十和・一馬の二人宙乗りも、スーパー歌舞伎特有の大セリや戸板を使った立ち回りもとても楽しかったけれど、最も印象に残ったのは、十和が一馬に無理強いされて彫った仏像を見せる場面。
「仏は観る者の鏡だ」と言い放って扉を開けると大量に吹き出す木くず。そこにあるのは「空」(クウ)。それが十和の答え。客席いっぱいに(3階まで)舞う木くずを見上げて、「人は所詮 生きて死ぬだけ あるのは空のみ」という言葉の意味をかみしめたのでした。
この作品のタイトル「空ヲ刻ム者」をソラと読むかクウと読むかと話題になった時、「そりゃソラでしょ」と思った私ですが、この場面を観て、クウでもよくて、観る人の感じ方でどちらと読んでもいい、とかだと面白かったかなと思いました。
「ヤマトタケル」や「小栗判官」「三国志」といった英雄譚ではなく、市井に生きる人間を主役に据えたところはいかにも猿之助さんらしくて、これがセカンドの特徴になっていくのでしょうか。
役者さんは基本、あて書きだと思われますが、いずれもぴったりでした。
中でも強く印象に残ったのは、市川右近さん。
飄々としているけれど包み込むような大きさと温かさの九龍。出番は多くありませんが、右近さんの存在がこの舞台を締めていたと思います。あと、不動明王もね~(笑)。
もう一人は浅野和之さん。
最初、「え~、浅野さん女役?」と思いましたが、歌舞伎ですものね。女方も違和感なく溶け込んでいました。軽妙で茶目っ気たっぷりで、MC兼ねているようなところも達者。
三幕冒頭で「どうなんですかねぇ」と客席にからむ時、4/12は、「お、さすがに今日は土曜日で前に若い方がズラリと。いつもは私くらいの年配の方ばかりで・・」とおっしゃっていました
役の上で死んでしまって出番終わった福士くんや右近さんのことを、「今ごろ楽屋でビール飲んでんじゃないの」「今ごろ楽屋でシャワーでも浴びてんじゃないの」と言って笑いを取ったりも。
その福士誠治くんの伊吹もよかったな。
二度目に観た時は一幕の伊吹の場面ですでに泣きそうに 伊吹のあの無垢な表情ね。伊吹が死んでしまう場面ではその目からこぼれるホンモノの涙にヤラレました。
福士くんを舞台で初めて観たのは、「サイケデリック・ペイン」で、当然ながら全く違った印象。映像でもご活躍ですが、これからも舞台で拝見したいです。
もう一人、笑也さん双葉率いる盗賊団のナズナこと龍美麗さん。
紫色の髪で美形で目立っていたのですが、「あんな人、澤潟屋さんにいないよなぁ」と思っていたら、「ナズナは男だぜ」という猿弥さん吾平の台詞を聞いて、「大衆演劇の人の匂いがする」とカンが働いて、後で調べてみたらやはりそうでした。これまでもスーパー歌舞伎には出演されていたようでしたが。最後の立ち回りも大活躍でした。
佐々木蔵之助さんは白塗りも似合って長身が舞台に映えて、上々の歌舞伎デビュー。
今回、猿之助さんは歌舞伎役者さん以外の役者さんには歌舞伎調ではなく普通の台詞術を指示されたそうで、それも奏功しているようでした。1階で観た時、蔵之介さんだけがピンマイクつけていらしたようにお見受けしましたが、あの日だけだったのかな?
ただ、一馬については、都に出て心ならずも権力に加担することになってしまいますが、悪に徹することはできない迷いがいつも見えて、それがかえって最後に覚醒するドラマチックさを薄めることになったかなぁ。役の造形として、ですが。
花道で見得を切る場面ではやんやの拍手浴びていました。
蔵之助さんには「ササクラヤッ!」と大向うがかかっていたのですが、後で番附見たら、蔵之介さんは「笹倉屋」、浅野さんは「斎高(ナリタカ)屋」、福士くんは「相模屋」とスーパー歌舞伎用の屋号をつけられたのだとか。
当たり前ですが、3階と1階では見える景色が全然違っていて、それぞれの位置で2回観られたことは幸運でした。
たとえば照明。
原田保さんの照明は相変わらず美しかったですが、上から照らし出される照明もさることながら、床に映る照明の美しさが際立っていました。
それから宙乗り。これが観たくて3階にしたのですが、お二人、特に蔵之介さんは3階正面に何度も視線を合せてくれて、3階客席、大盛り上がりでした。
大詰めの殺陣のフォーメーションも断然3階から観る方が楽しい。あと、盗賊団のEXILEも(笑)。
逆に細かい表情まで追える1階で観て、最初は気づかなかったことに気づいたりもしましたし、やはり近くで観る方が物語にはすごく入り込めます。
浅野さん鳴子の衣装が近くで見たらとても凝っていて、伊吹と都まで旅する時につけてた手甲…というか指先の出た手袋?がとてもキュートな色柄で欲しいくらいでした(笑)。
こちらは会場で売っていた佐々木酒造のお酒。
ガマンして買わなかったの。ワタシ、エライ(笑)。
家に帰るとバッグの中まで木くずがいっぱいでした のごくらく地獄度 (total 1165 vs 1171 )
2014年04月18日
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こんばんは。
市川右近さん、ほんとにステキでしたね。
主役も張れる人ですのであのポジションは贅沢すぎる配役ですね。
>右近さんの弁慶が観たくなりました
ほんとだ!
右近さんの弁慶、ワタシも観たいです。