2012年07月05日

コクーン歌舞伎 新機軸 「天日坊」

tennichi.jpg勘三郎さんも橋之助さんも出ないコクーン歌舞伎。
しかも脚本はクドカン。
どんなふうになるだろうと楽しみでもあり不安でもありました。
が、若者たちの生き様を熱く激しく躍動感たっぷりに私たちの眼前に描き出して、鮮烈。
全編を通じてドキドキワクワク、心臓バクバク、血湧き肉踊るという感じ。若さも情熱もエナジーも、そして苦さも切なさも。
これまでも常に挑戦的なステージで私たちを驚かせ、楽しませてくれたコクーン歌舞伎の、新しい時代への一歩を感じる舞台でした。

コクーン歌舞伎第十三弾 「天日坊」
原作: 河竹黙阿弥 (「五十三次天日坊」)
脚本: 宮藤官九郎
演出: 串田和美
出演: 中村勘九郎  中村七之助  市村萬次郎  片岡亀蔵  坂東巳之助  坂東新悟  近藤公園  真那胡敬二  白井晃  中村獅童 ほか

2012年6月23日(土) 5:00pm シアターコクーン 1階平場B列(5列目)センター


江戸時代の八代将軍・吉宗のご落胤騒動「天一坊事件」を題材にした河竹黙阿弥作品が原作。
150年も前に書かれた原作は通しで上演すると丸2日かかるのだとか。
それをこんな形に集約し、しかもまぎれもなく「天日坊」として見せてくれた宮藤官九郎さんの筆力はお見事というほかありません。宮藤官九郎で原作ものの脚本といえばすぐに思い浮かぶのは「メタルマクベス」。「マクベス」を、1980年代のヘヴィメタバンドと戦争にあけくれる2206年の近未来という二つの時代、人物を交錯させて描くクドカンの発想、脚色力に、感嘆したものです。
あの時、「シェイクスピアなんて読んだことない」と言ってたクドカン。もちろんそれは照れ隠しで、きっとすごく勉強してきた人だし、今回も黙阿弥、読み込んだんだろうな。

時折織り込まれるシニカルな視線やナンセンスな笑い、主人公の法策が頻繁に発する「マジかよ」という言葉など、クドカンらしさが随所に見られるものの、全体としては、たくさんのエピソードを盛り込みながら、「俺は誰だあっ!」という法策/天日坊のアイデンティティ追求の物語としてオーソドックスにまとめられた端正な脚本という印象です。法策(中村勘九郎)は孤児で(実は木曽義仲の子・清水冠者義高と後で知れる)、観音院(真那胡敬二)というちょっと胡散臭い感じの僧の下で育ったお坊さん見習い。下男の久助(白井晃)とともに下働きもしながら修行中の身です。ある日お三婆さん(片岡亀蔵)の家で、彼女の亡くなった孫が実は源頼朝のご落胤でお墨付きもある、しかもその孫は自分と同じ日の生まれという話を聞かされた時、法策の心に蒼い炎が芽生え、運命の歯車が回り始めます。ご落胤になりすまして鎌倉を目指し、盗賊地雷太郎(中村獅童)や人丸お六(中村七之助)と出会い・・・。

演出で一番印象的だったのは、音楽。
下座音楽を一切使わず、トランペットやギター、パーカッションといった西洋楽器のみの演奏。特に、その時どきで法策の心象を現すトランペットの音色が際立った印象を残します。
お三婆さんの家で、法策の心に「ご落胤になりすます」という悪魔の囁きが萌芽した瞬間のトランペットの響き。法策の表情と体の震え。目に耳に、とても鮮烈な場面です。
また、幕切れの大立ち回りで、七丁の三味線ならぬ七人のトランペット隊が捕手と同じ黒装束で舞台奥にずらりと並んで演奏し続ける場面は、トランペットが奏でる哀愁あるメロディと法策=天日坊、地雷太郎、お六の非業の最期が重なって、切なく心に響きました。終演後もあのメロディ、ずっと脳内リフレインしていたくらい。
そういえば、立師にアクションクラブの田尻茂一さんと前田悟さんの名前がありましたが、スピード感はそのままに、新感線とはまた違った「歌舞伎役者の殺陣」を存分に見せていただきました。

お三婆さんを殺してお墨付きを奪って逃亡した法策。
途中で行き会った男と着物を取替え、この男を殺して自分の身替りとするのですが、そこで久助とすれ違います。その久助は死体の腕に法策の特徴的な痣がないことから、この死体が法策でないことを見破ります。この鋭さから久助がただの下働きでないことが見て取れ、旧友であるはずの平蔵から「御前」と呼ばれていることからも、この二人の正体とこの物語の結末が透けて見えます。
久助と平蔵を演じるのは白井晃、近藤公園。
主要な役に歌舞伎役者以外の、しかも小劇場系の役者さんを起用しているのも今回のコクーン歌舞伎の特徴。これまでも笹野高史さんの例などはありますが、ここまで「混合」は初めて。
歌舞伎役者さんを向こうにまわして七五調の台詞もきりりと堂々の存在感。

もちろん本家歌舞伎役者さんも負けてはいません。
まずは、お六を演じた七之助くんの美しさ、色っぽさにヤラレます。
お六は私のイメージとしては同じ黙阿弥作のお嬢吉三にも重なって見えたのですが、「賊に追われている」と観音院のもとに駆け込んで来て、脚をちらりと見せる最初の出から、目が吸い寄せられて離せませんでした。声よし姿よし、凛として色っぽくて、しかもオトコマエ(心情的に)。髑髏柄の黒い着物の際立って似合うこと。
大詰めの立ち回りの激しさ、しなやかさ、残酷なまでの美しさ、そしてその死にざま。大げさでなく観ていて鳥肌立ちました。前ギバというのかな、地面に吸い付くようにバタンと前に倒れ込むあの姿。目に焼きついて離れません。
「大江戸りびんぐでっど」でもヒロインに起用された七之助くんは宮藤官九郎さんのお気に入りと聞いたことがありますが、ほんとにこの役と、この役を演じる七之助くんに対するクドカンの愛情を感じました。
七之助くんのつばきと染五郎さんの病葉出門で「阿修羅城の瞳」が観たい。

地雷太郎の獅童さんも本来の端正なお顔立ちにメイク、装束が映えて押し出しもバツグン。カーテンコールでひとり真っ先に飛び出してきて客席を煽るエンターティナーぶりも楽しかったです。
短い出ながら何とも味のある眼鏡の猫間光義・萬次郎さん、ひと皮むけた?って感じで明るくはじけていた巳之助くん@北条時貞、その時貞がカーテンコールで手を差し出したお相手は傾城高窓太夫・新悟くん。若いラブラブカップルの微笑ましいダンスを見せていただきました。
それから、忘れちゃならない亀蔵さん。お三婆さんと赤星大八の二役を見事に演じ分けていました。お三婆さんの動き、あの間と緩急は誰にも真似できません。

そして、中村勘九郎。

お六が死に、地雷太郎も息絶え、一人残って闘い続ける法策。鬼気迫る目つきで刀を振りかざす勘九郎さん。まるで炎のようでした。いつの間にこんなことができるようになったんだろうと、見ていて涙があふれました。
平凡で人のよい男がふとした弾みで魔がさして転がり落ちる道-人間の弱さ、迷い、覚悟、激しさ、虚しさ、切なさ、絶望・・・不安や怯えが狂気に変わって、そんなものが入り混じった法策は圧倒的な磁力と何とも抗いがたい色気で私たちの前に迫ってきました。天日坊としてまつり上げられた時の覚悟と自信に満ちた顔、そのすべてが崩れ去ってしまった時の虚無的で切ない表情、「マジかよ」と発する声もその度ごとに色が変わり、出自がわかってからも、いや、わかったからこそ、「俺は誰だあっ!」という法策の魂の叫びが今も耳に残ります。

私は特に中村屋さんだけを贔屓にして追っかけている訳ではありませんが、勘九郎さんの舞台は観ている方だと思います。すごくできる役者さんだということも、カッコイイことももちろん知っています。が、この舞台での勘九郎さんはこれまでのどの作品とも違っていました。結婚して親になって、襲名がありお父様のご病気があり、人生の経験と覚悟、役者としての修練が彼を一回りも二回りも大きくして、凄みすら感じられるほどです。役者として確かに次のステージに上がったと思いました。わずか半年前まで「勘太郎くん」と呼んでいたことが遠い昔のようです。

そんな勘九郎さん@法策が、客席をずんずん入ってきた、しかも私のすぐ後ろの列を・・・と思っている間に肩をつかまれた・・・と思ったら私の後ろで曲がって、袖がバーッと顔に当った・・・と思ったら目の前に立って下を向いて暗いけれども燃えるような眼をして低い声で台詞を吐き始めた・・・時の私のテンション上がりっぷりムードわかります?(笑)

新鮮で激しくて、コクーン歌舞伎の新しい機軸になるであろう作品。
でも、今こんなことができるのも、勘三郎さんが18年も前から、舞台への情熱を注ぎ込んで進取の気性で挑戦し続けて来られたからに他なりません。改めて勘三郎さんの偉大さを感じます。
もしかしてコクーン歌舞伎はこれをもって第二世代へと移行することになるのかもしれませんが、来年も再来年もその先も、ずっと続くことを願っていますし観続けたいと思います。

tennichi2.jpgそれにつけても「天日坊」、できることならもう1度観たかった。

暑っつかったあせあせ(飛び散る汗)から幕間に団扇買っちゃったよぉ



「死ぬ気で闘ってきた父たちの姿勢をしっかりと受け継いでいきたい」 by 勘九郎 のごくらく度 わーい(嬉しい顔) わーい(嬉しい顔) (total 950 わーい(嬉しい顔) vs 953 ふらふら)
posted by スキップ at 23:42| Comment(2) | TrackBack(1) | 歌舞伎・伝統芸能 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ようやく感想をアップできたのでTBさせていただきましたm(_ _)m
コクーン歌舞伎は今回で世代交代でしたね。作品的にも画期を感じました。クドカン歌舞伎の「大江戸りびんぐでっど」はいただけませんでしたが、今回は黙阿弥の原作があるので大丈夫でした。というか、きちんとまとめる能力はさすがだなぁと感じました。法策の人生に絞り込んだ話の展開はわかりやすくどんでん返しもあって実に楽しめました。
古典歌舞伎の継承と新しい歌舞伎の創造は、澤瀉屋精神と全く同じだと思いますし、いずれも同時期に奇しくも世代交代になったのに立ち会ってしまったんだと痛感しています。
人間国宝さんたちの舞台も世代交代後の若手の舞台もしっかりと楽しんでいこうと思います。
Posted by ぴかちゅう at 2012年07月22日 02:38
ぴかちゅうさま

コメントとトラックバックありがとうございます。
世代交代をひしひしと感じさせる今年のコクーン歌舞伎でしたね。
そんな中、勘九郎さんが立派に芯を勤められる大きな役者さんに
成長したことがとても顕著でしたし、うれしかったです。
襲名ってこんなに役者さんを大きくするものなのですね。
猿之助さんは亀治郎さん時代から芯に立つ役者さんですが、
やはり襲名によってますます大きくなって澤瀉屋さんを
支えていかれることでしょうね。

実は私は「大江戸りびんぐでっど」もそんなに嫌いでは
なかったんです(笑)。確かに歌舞伎としては、しかも
歌舞伎座で上演する演目としてはいかがなものか、でしたが。
この「天日坊」の成功で気をよくして、クドカンさんは
また歌舞伎の脚本を書いてくれるでしょうか(笑)。
Posted by スキップ at 2012年07月22日 23:27
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Tracked: 2012-07-22 02:29