

「アドルフ」という同じ名前を持ち、同時代を生きた3人。
厳格なナチス党員であるドイツ人外交官の父と日本人の母を持つ少年 アドルフ・カウフマン
ドイツから日本に亡命したユダヤ人一家のパン屋の息子 アドルフ・カミル
そして、言わずと知れたナチス・ドイツ総裁 アドルフ・ヒトラー
第二次世界大戦前後のドイツ ナチス興亡の時代を背景に、この3人の男たちの交錯する数奇な運命と、ヒトラーの出生に関する機密文書を巡って巨大な歴史の流れに翻弄されていく人々が描かれています。
「アドルフに告ぐ」
原作: 手塚治虫
演出: 栗山民也
脚本: 木内宏昌
音楽: 久米大作 美術: 松井るみ 照明: 高見和義
出演: 成河 松下洸平 髙橋洋 朝海ひかる 前田亜季 大貫勇輔 谷田歩
彩吹真央 鶴見辰吾 ほか
演奏: 朴勝哲 有働皆美
2015年6月27日(土) 2:00pm 春秋座 1階1列センター
原作は手塚治虫さんが1983年から1985年にかけて週刊文春に連載した漫画作品。
ヒトラーの機密文書を手に入れた弟を殺された新聞記者・峠草平が語る形で物語は展開します。
ベルリンオリンピック、ゾルゲ事件、ファシズムや軍国主義の台頭、第二次世界大戦と日独の敗戦、そしてイスラエルを巡るパレスチナ紛争・・・憎悪と報復の連鎖。繋がる歴史。
まるで世界と人間の縮図を見せられているよう。
「おもしろかった」というのが不謹慎に感じられるくらい重いテーマでしたが、とても見応えがあって心揺さぶられる舞台。
手塚治虫さんの凄さを思い知りました。
カウフマンとカミル
二人のアドルフは、ともに神戸で育ち、心通じ合う親友でした。
カウフマンは、カミルを守るために、苦渋の末、父の遺志でもあるアドルフ・ヒトラー・シューレ(ナチス幹部候補生を養成する教育機関)に入ります。
ドイツと神戸に離れ離れになった二人。
シューレでナチズムに染まっていき、ヒトラーの側近となってナチスに忠誠を誓うカウフマン。
神戸のユダヤ人社会に根をおろしながら、ヒトラーの機密文書にも深く関わっていくカミル。
二人はエリザという同じユダヤ人女性を愛し、彼女を巡って対立し、時を経てついに銃を向け合います。
パレスチナの闘士となったカウフマンとイスラエル軍の英雄となったカミル。
二人の壮絶とも言える撃ち合いを見せられているうちに、
カウフマンはカミルに殺されたかったのではないかと思いました。
正義だと信じて進んできた道を見失い、自分は空っぽの怪物だ、と自嘲するカウフマン。
カミルの父を射殺したカウフマンと、カウフマンの妻子を空爆したカミル。
二人は表裏一体の存在で、だから、あのパレスチナの戦場で、カウフマンが「アドルフ、どこにいる」という言葉を吐き、「アドルフに告ぐ」というビラを撒いて探したのは、アドルフ・カミルであると同時に、見失った自分自身 アドルフ・カウフマンでもあったのではないかと。
子どもらしいリベラルな心を持ったカウフマンがナチスの教育によって歪められ、それから辿る心の変遷を見ていると、国家や民族間の争いである戦争(カウフマンの言葉を借りるなら「聖戦」)も、人の心に巣食う憎悪に根ざすものなのだと、恐ろしくも悲しくも感じます。

こちらが私の足元にもヒラリと落ちてきたカウフマンのビラ
一枚ずつ手書きのようでした。
シンプルな舞台装置の美しさも印象的。
ヒトラーが最初に登場する時の、あのパーッと幕が開いて、光を背にして、という感じが「イリアス」に似ているなぁと感じたのですが、栗山民也さん演出、木内宏昌さん脚本で同じだったのね。成河くんも出てたな。(美術は松井るみさんではなかったけれど)。
古代ギリシアで生まれた世界最古の叙事詩が、2000年だか3000年だか経た後の物語と重なるあたり、人間は古の昔から愚かな誤ちを繰り返し、憎悪と報復の連鎖は今も続いているのだと改めて思います。
カウフマンとカミルの二人が、最後に対峙する場面の、その壮絶さと明るく解放されたような空間との対比も見事でした。
朴勝哲さんのピアノと有働皆美さんのヴィオラの生演奏という音楽もとてもかったです。
オープニングで朴さんがピアノの上前板をコンコンコンと叩くと、それが足音のように響き、下手から戦闘服を着て傷ついた少女(小此木まり)が「アインス ツヴァイ アインス ツヴァイ・・」と行進してくるところから一気に引き込まれました。
やさしく美しい旋律ばかりでなく、時には胸をかきむられるような苦しい音や不気味なメロデイを響かせたり。
ヒトラーとエヴァの最期の場面は演奏ではなく、ベートーヴェンの第九の第三楽章が流れました。
2010年の一万人の第九コンサートで平原綾香さんが歌詞をつけて歌ってくれた美しい曲が、この何とも退廃的で耽美なシーンにぴったりで、涙が出そうでした。
後で調べたところ、1942年4月19日に録音されたフルトヴェングラー指揮のベルリンフィルのものだとか。
フルトヴェングラーって、「テイキングサイド」で平幹二朗さんが演じた役ですが、ナチス統治下のドイツでベルリン・フィル常任指揮者で戦後はナチス党員の嫌疑をかけられた人物。
BGMを選曲するのが演出の栗山さんの役目なのか、音楽の久米大作さんのご担当なのかわかりませんが、そこまで拘られていたのかと、舞台って本当に総合芸術だと改めて感動する思いでした。
ちなみに、これも後で調べたところ、ヒトラーとエヴァのベルクホーフの場面で流れた曲はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」だそうです。
ヒトラーが好んだとされる作曲家ですね。
もちろん、役者さんたちの好演なしにも成り立たないのも舞台。
ナイーブな少年から冷徹なナチスの殺人者へと変貌する様をまさに「身をもって」見せてくれたカウフマンの成河さん。
「わが闘争」のシーンは圧巻で、それを経て、二幕で登場した時、まるで表情のないアンドロイドのようで言葉を失くす思い。
そんなカウフマンの対照として、ずっと人間らしさを失わなかったカミルの松下洸平さん。
関西弁かわいくて温かみもあって癒し系だと思っていたカミルも最後にはカウフマンと同じように無表情になって(涙)。
そして 高橋洋さん。舞台にお帰りなさい。
ヒトラーをすごくつくり込んで演じていた印象ですが、やはり上手い。
独裁者として、カリスマ性と狂気の境目を行き来するヒトラー、凄まじかったな。
谷田歩さん演じる本多大佐の、いかにも軍人然とした、毅然として他を寄せつけないような厳格な佇まいも印象的でした。
女性陣では、由季江ママの朝海ひかるさんの凛とした美しさが印象的。
それにしても朝海さんもエヴァの彩吹真央さんも、宝塚で男役を極めた人たちは立ち姿が美しいです。
語り部となる峠草平(鶴見辰吾)と殺された弟が関わる機密文書をめぐるストーリー
カウフマンの母・由季江やカミルの恩師・小城先生、峠を助けたために殺された仁川刑事の娘・三重子といった女性たち
それぞれに強い信念を持ち、それゆえに相容れなかった本多大佐と息子の本多芳男
・・・一つひとつに様々な物語があって、多分それらは限られた時間では描ききれていないと思われ、ぜひ原作を読みたいと思いました。
カウフマンとカミルの恩讐が、神戸からパレスチナへと時間も場所も超えて繋がっていったように、これは決して過去の話などではなく、世界各地で絶えることなく不毛の争いが繰り返されている「今」、知らなくてはならない物語であり、観ておくべき舞台だと思いました。
すばらしい舞台だったのに場所のせいか2階には空席あったのもったいない のごくらく地獄度



