2020年05月23日

原作を読んでから観るということ 「1984」


1984.jpeg去年どころか、2年前のちょうど今ごろ観た舞台です。
設定は違っていても、この作品に描かれる閉塞感がコロナ禍の今の世界と重なるような気がして、書きかけたまま放置していた感想を引っ張り出してきました。

ジョージ・オーウェルの「1984年」舞台化作品。
2014年にロンドンで初演、2017年に上演されたブロードウェイ版は拷問シーンの過激な演出で気絶したり途中退出する人が続出したと話題になりました。今回の上演は小川絵梨子さん演出によるロンドン版です。


「1984」
原作: ジョージ・オーウェル
脚本: ロバート・アイク  ダンカン・マクミラン
翻訳: 平川大作
演出: 小川絵梨子
美術: 二村周作   照明: 佐藤啓   映像: 栗山聡之
出演: 井上芳雄  ともさかりえ  森下能幸  宮地雅子  
山口翔悟  神農直隆  武子太郎  曽我部洋士  堀元宗一朗 ほか

2018年5月16日(水) 1:30pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 1階C列上手
(上演時間: 2時間)



1984年。
1950年代に発生した核戦争によって、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国により分割統治されており、その3国間で絶え間なく戦争が繰り返されていました。オセアニアでは言葉、記憶、行動、そして思考など全てが統制され、市民は"ビッグブラザー"を頂点とする党によって、常に全ての行動が監視されていました。真実省の役人 ウィンストン・スミス(井上芳雄)は、ノートに自分の考えを書いて整理するという、発覚すれば死刑となる行為に手を染め、やがて党への不信感をつのらせます。同じ考えを持つジュリア(ともさかりえ)と行動をともにするようになったウィンストンはある日、高級官僚オブライエン(神農直隆)と出会い、彼から反政府地下組織の指導者 エマニュエル・ゴールドスタインが書いたとされる禁書を渡されます・・・。


「『1984年』もう読んだ?」
「オーウェルの『1984年』持ってる?」
と友人たちの間で話題になって「今読むべき書物」のような位置づけになったのは学生時代だったでしょうか。
原作はその頃に読んでいて成り行きも結末も知っている、でも細かいところは忘れている・・・ということで、私にしては珍しく原作を再読しての参戦です。

それが悪い方に出たなぁというのが観終わった後の最初の感想。

一つには、原作のヒリヒリするような緊張感がこの舞台からは感じられなかったこと。
もう一つは、「これ、原作知らない人が観てわかるのかな?」と思ったことです。
つまり、自分がもし原作を読まないで観たら、多分理解できなかったんじゃないかな、と。


読んでから観るか、観てから読むか、というのは演劇を観る者にとっては永遠の課題。
もちろん、作品をより深く理解するという意味では、原作を読むことを含めて「予習」も大切だということはよく承知しています。
それでも、何も知らない白紙の状態で観て、理解とまではいかなくても少なくとも主題を感じ取れること、これが成立して初めて「舞台作品」なのではないかと思う訳です。

「文字で読む」ことはイマジネーションが読む人個人の裁量に委ねられていて、良質の書物は想像の羽をいくらでも広げてくれるし、喜びも恐怖も実際以上に感じられることがあります。
原作を読んでいて、ウィンストンが禁断の道に手を染めてからは、自室での「書く」行為も、ジュリアとの逢瀬も、もうバレるのではないか、いつ党が踏み込んで来るのか。と常に追い立てられるような気持ちでドキドキしながら読み進んだものですが、この舞台からは残念ながらその張り詰めたような空気感を受け取ることができませんでした。

拷問シーンにしても、苦しそうな叫び声や血染めのシャツを「見る」より、文字で「読む」方がどれほどリアルに恐怖を感じるか、ということを思い知りました。
ここで思い出したのは、NODA・MAP 「THE BEE」(2012年)

鉛筆を指に見立てて、鉛筆を折ることで指を切断することを表現していたのですが、直視するのが辛いほど怖かったのを今でも覚えています。
その時の感想(こちら)を検索したらこんなふうに書いていました。

指を切断して血の一滴すら流れないのに、観ている私たちはどんなスプラッタな映像よりも強くイマジネーションを刺激され、直視に耐えかねる痛みに顔を歪めることになるのです。小道具と、演出と、そしてもちろんそれをそれと見せる役者さんの演技力と。演劇の力って凄い。「見立て」の威力って凄まじい。

これよこれよ。
読書や映像を凌駕する演劇ってこうでなくちゃ。

映像といえば、ウィンストンとジュリアの秘密の逢瀬の場面は舞台に映像で映し出されるスタイルでしたが、この映像が安っぽ過ぎて、「映像誰?」と後でフライヤー見直したほど。もちろん映像の人の責任ばかりでなく、演出の小川絵梨子さんはどんな感覚でこれを許容されたのか、機会があれば一度伺ってみたいです(そんな機会はない)。


オーウェルがこの作品を発表したのは1949年。
その35年後は、オーウェルの予言どおりの世界になったとは言えないまでも、今の日本の政治情勢や情報コントロールには類似性があり過ぎて、空恐ろしくもなります。
トランプ氏が大統領に就任した2017年にアメリカでこの本が爆発的に読まれたということからも感じるものがあります。

オブライエンの言う
「記録と記憶が過去の証明、だが党はどちらもコントロールできる」
って、まるで某首相の発言のように感じられたりも。
ビッグブラザーに監視され、モニターによって情報や指示を与えられるオセアニアの人々と、情報社会の中でスマホに縛られている私たちの姿が重なるのを感じずにはいられません。


オブライエン役は当初 大杉漣さんの予定でした。
2018年2月に急逝され、オブライエンには神農直隆さんがキャスティングされましたが、画像のフライヤーには漣さんがクレジットされ、写真も掲載されたままです。
出演者が発表になった時、「漣さん絶対オブライエンだよね!楽しみ~」とテンション上がったことを少しなつかしく、寂しく思い出す2020年5月でありました。



とはいえ、2年前に観た舞台の感想を今ごろ書くようでは、推して知るべし の地獄度 (total 2098 vs 2108 )


posted by スキップ at 23:37| Comment(0) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
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