2018年09月04日

八月納涼歌舞伎 第三部 「盟三五大切」


kamikakete.jpg八月納涼歌舞伎 第三部は「盟三五大切」の通し上演。

七月松竹座のレポでも触れたのですが、私が初めて観た「盟三五大切」は仁左衛門さんの源五兵衛。
2008年11月の歌舞伎座でした。
仁左衛門さんの鬼気迫る源五兵衛にすっかりヤラレて、物語のおもしろさとともにこの演目が大好きになったのですが、今月の筋書の上演記録見るとあの時が仁左衛門さん初役だったようです。

幸四郎さんの源五兵衛は2009年11月の新橋演舞場花形歌舞伎以来二度目。
小万は猿之助(当時 亀治郎)さん。七月の与兵衛-お吉といい、やはりこの2人はゴールデンコンビだな。


歌舞伎座百三十年 八月納涼歌舞伎 第三部 
通し狂言 「盟三五大切」
序 幕  佃沖新地鼻の場  深川大和町の場
二幕目  二軒茶屋の場   五人切の場
大 詰  四谷鬼横町の場  愛染院門前の場
作: 四世鶴屋南北
補綴・演出: 郡司正勝
演出: 織田紘二
出演: 松本幸四郎  中村七之助  市川中車  市川男女蔵  大谷廣太郎  
中村米吉  中村橋之助  片岡松之助  松本錦吾  片岡亀蔵  中村獅童 ほか
2018年8月9日(木) 歌舞伎座 3階1列センター/
8月27日(月) 1階4列下手
(上演時間: 3時間3分/幕間 20分)



「『五大力』の世界と『忠臣蔵』の世界を得意の綯い交ぜの手法を用いて結び付けた」という鶴屋南北。

主君の仇討ちに加わるために源五兵衛がどうしても欲しかった、かつて自分の手落ちで紛失した百両。
三五郎が父の旧主のために源五兵衛からだまし取った百両。
その百両は同じ一つのもの。

沢山の人が死に、乳飲み子まで殺しておきながら、その犠牲の上に塩冶義士に加わる源五兵衛。
あれだけの殺人を犯した人間が主君の仇討ちに加わり“義士”と崇められることへのアイロニー、あるいは、その忠義という名の仇討ちそのものが、恨みによるものと何ら変わることはない“殺人”であるというアンチテーゼなのか、当時の人々に熱狂的に受け容れられたであろう「忠臣蔵」の美談に対する鶴屋南北のシニカルな視線も見え隠れする物語。


幸四郎さんの源五兵衛、七之助さんの小万、獅童さんの三五郎という、少し前なら花形歌舞伎のような座組。
仁左衛門さんの「盟三五大切」はこれまでに3回観ていて、特に昨年七月松竹座の極めつけともいうべき源五兵衛が記憶に新しいところで、どうしても比べてしまう部分もありますが、そこはそれとしておもしろく拝見しました。

初日(8/9)に観た時は、何となく物語に入り込めない自分がいて、3階から観ているせいかな?とも思ったのですが、幕間にお会いした1階で観ていた友人も同じような感触を述べていたので、まだ物語が温まっていないというか、役が役者に入り込んでいないという段階だったでしょうか。
千穐楽はさすがにそういったことは払拭されているように感じました。

五人切の演出は何でああなった??という感じ。

丸窓障子にスックと浮かび上がる影の不気味さ。
その障子から白い脚がぬっと部屋へ踏み込んで来た時の恐ろしさ。
これがこの場面の醍醐味だと思うのですが、ここは結構あっさり目に流れて、その後、首だの腕だのが飛んだり・・・いろんな仕掛けを見せてくれるのは余分かなーと。

あっさりと言えば、源五兵衛が破れ傘をさして小万の首を懐に入れて持ち帰る場面も、もっとたっぷり!と思いました。
あの時、仁左衛門さん源五兵衛が見せた涙が今でも忘れられません。


小万殺しは初日からとてもよかったです。
五人切の場ではまるで感情のない殺人マシンのようだったのに対して、四谷鬼横町では、愛する小万を眼前にして、迸り出る感情。
恨み、憎しみ、悔しさ、苦しさ・・・それでもぬぐい切れぬ愛しさ、そして哀しさ。
「五大力」だったはずの小万の腕の彫り物が、「三五大切」になっていることを知った時、スイッチが入ってしまった瞬間が見えました。
多分、あれを見るその刹那まで、源五兵衛はまだどこかで小万を、小万の愛を信じていたのではないかしら。
それがすべて崩れ堕ちる「三五大切」。
だまされたと知った時、「人ではない」と三五郎や小万を罵った源五兵衛が鬼となって、自ら人ではないものになってまで手に入れたのは、ただ一人愛した女の命。
ここ、幸四郎さんの低い声が冴え渡っていました。

七之助さんの小万は美しいのはもちろん、粋で艶っぽい。
三五郎にぞっこんで言いなりになりつつも源五兵衛への情も持ち合わせていて、心のどこかですまないと思っているように感じられました。
「私を殺しても、あの人を助けて」という刹那の叫び。
七之助さんの海老反りは、相変わらずとても美しくて切ない。

獅童さんが初役で挑んだ三五郎。
あんなにいい男の源五兵衛にもなびかないくらい小万に惚れぬかれる役なので、もっともっといい男でないと、とは思いましたが、百両を奪った後、「小万は俺の女房」と居直るあたりの小悪党ぶり、すべての運命の糸が一つに繋がった後、自ら腹を切る場面では三五郎の慚愧の思いがよく伝わってきました。


たくさんの人が死に、その血の上になお義士として立つ源五兵衛こと不破数右衛門。
忠義も狂気もすべて呑み込んだ人間そのものを炙り出したような物語ですが、最後の最後に役者さんが揃っての「今日(こんにち)はこれぎり~」という打ち出しに、どこかほっとする思いでした。



これまで観た「盟三五大切」の感想
2008年11月 歌舞伎座
2009年11月 新橋演舞場
2011年2月 松竹座
2011年6月 コクーン歌舞伎
2017年7月 松竹座



「五人切」は普通の演出で観たい の地獄度 (total 1958 vs 1959 )



posted by スキップ at 23:36| Comment(0) | 歌舞伎・伝統芸能 | 更新情報をチェックする
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