2018年06月27日

ルーツを巡る旅①  小学校


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私は小学5年生の2学期まで、福岡で育ちました。
松本幸四郎さんが博多座の口上で「私の母は博多の人間ですので私の体には博多の血が半分流れています」とおっしゃるのを聞いて、「それ、私もだわ」と少しうれしくなりました。
私が過ごしたのは博多のような都会ではなく、筑豊地方の小さな町でしたが。

大阪に来てン十年、一度も帰ったことがないその町に、ふと思い立って行ってみたくなりました。
これまで博多は幾度となく訪れているのにこんな気持ちになったのは今回が初めてで、何だか不思議な気分でした。

行き方も全くわからなかったのですが、あれこれ調べて一番わかりやすいかなと思ったこのルートで。


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博多駅からJRで福北ゆたか線という電車に乗って新飯塚まで。45分くらい。
福北ゆたか線って福岡市・北九州市・筑豊地区を結ぶ線ということから名づけられたのだとか。
新飯塚駅から西鉄バスで目的の町まで35分くらい。

多分このあたりだろうというところでバスを降りたのですが、もちろん町の景観は変わっているし、第一記憶が全くありません。
冒頭の画像のように、遠賀川の支流が流れるのどかな田舎町です。


当時の住所は覚えていましたので、何となくこっちかな?という方に歩いて、それらしき名前のバス停を見つけて、多分このあたりだ、と少しうれしくなったり。
おぼろげに覚えている大きな病院や、高校などを眺めながら歩いてみましたが、やっぱり住んでいた場所まではわかりませんでした。


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夕刻までに大阪に帰らなければならない事情があって、そんなに長居はしていられないとバス停に向かおうとしている時にこの坂道を発見。

「そうだ!小学校は坂道の上にあった。絶対ここだ!」
と直感して坂道を上りました。


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そうそう、道は砂利道だったけど、横の塀はこんなだった。
この上に小学校が




・・・なかった。





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私が通っていた小学校はすでに廃校になっていて、跡地の標と創立二十五周年の記念碑とだけが残されていました。
ちょっぴり残念でしたが、ここが小学校だったという記憶は間違っていなかったことがわかって、やったゼ!な気分でもありました。




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飯塚に戻って、遠賀川にかかるこんな橋も渡ってみました。
欄干が全くなくて、これでよく川に落ちる人がいないものだわ。




ふるさとは遠きにありて思うもの のごくらく地獄度   (total 1929 vs 1935 )


posted by スキップ at 23:47| Comment(0) | travel | 更新情報をチェックする
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