2018年03月31日

たとえ 「シャンハイムーン」 は書けなくても


shanghaimoon.jpg私の父は本を読むのが好きで、夜、家族がテレビを見ている傍らでいつも静かに本を読んでいる、というのが幼い頃の父の記憶。
娘も読書好きにしたかったのか、幼少時代から50巻以上の文学全集や様々な作家の本を買い与えてくれて、お陰で高校生になる頃には国内外を問わず著名な作家の代表作と言われる作品はほとんど読んでいる、という有り難い青春時代を過ごしました。

そんな父が買ってくれた一冊が「阿Q正伝」。
「阿Qって何よ?オバQみたい」と思ったことくらいしか記憶にありませんが、これが私が魯迅という作家を知った最初でした。中学1年生の時です。
魯迅の思想や日本、あるいは中国共産党とのかかわり、蒋介石率いる国民党政府との確執などを知ったのはずっと後になってから。
そんな魯迅の、最晩年のひと夏の物語。


こまつ座&世田谷パブリックシアター  「シャンハイムーン」
作: 井上ひさし 
演出: 栗山民也 
音楽: 宇野誠一郎 
美術: 二村周作   照明: 服部基   映像: 上田大樹  
出演: 野村萬斎  広末涼子  鷲尾真知子  土屋佑壱  山崎一  辻萬長

2018年3月14日(水) 1:30pm 兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール 
1階A列センター  (上演時間: 3時間5分/休憩 15分)



物語の舞台は昭和9年(1934)夏の上海。
中国の偉大な文学者であり思想革命の指導者でもあった魯迅(野村萬斎)は蒋介石の国民党政府によって逮捕令が出され、妻の許広平(広末涼子)、息子とともに日本租界で書店を営む内山完造・みき夫妻(辻萬長・鷲尾真知子)のもとに匿われます。長い逃亡生活と不摂生、さらには医者嫌いから健康が損なわれていた魯迅のために、夫妻は医師の須藤(山崎一)、歯科医の奥田(土屋佑壱)にそれと悟られぬよう治療させようとします。さらには、魯迅を安全な日本で養生させようと考えますが・・・。


内山書店二階の一室で繰り広げられる物語。
大きな窓の向こうには、その時々に姿を変える大きな月。
まるで人間の日々の営みを見守っているよう。
折しもこの公演が金沢で大千穐楽を迎える今日 3月31日は満月。何て素敵な符合でしょう。

井上ひさしさんの戯曲にしては珍しく歌も踊りもなくて、全編台詞のみで展開します。
その分、言葉を駆使した台詞劇としての濃密さが印象的。
失語症に陥った魯迅がいろいろ言い間違えて、それを広平が即座に理解して正しく言い換える、という場面があって、まるで言葉遊びのようで思わず笑ってしまったのですが、言葉を大切にした井上さんらしくて、言葉ってちょっとした音の違いだけでこんなにも別の表情を持つことに感じ入りました。


物語全編を貫いているのは「手紙」。
開演前の幕には魯迅自筆の手紙らしきものが描かれています。
最初に魯迅が手紙を書くことが好きだったというエピソードが紹介されて、登場人物(この時はまだ役者さんの段階)が一人ずつ魯迅の手紙を朗読するところから始まります。
そしてエピローグでは全員並んだ舞台から魯迅だけがゆっくり去って行き、残る5人がそれぞれ自分に関わりのある人たちへの手紙を読み上げます。
広平は魯迅の第一夫人である朱安へ。
「先生のご臨終に立ち会って下さった方々を列記して筆をおくことにいたします。朱安さん、これはとても不思議ですが、みなさん日本の方でした」と。


その日本人たち-内山夫妻、須藤、奥田たちが策を弄して魯迅の健康状態を調べたり治療しようとする中、麻酔に使った笑気ガスがもとで「人物誤認症」さらには「失語症」が現れ、それによって浮き彫りになる魯迅の心の奥底の闇。
周りの人々を自分がこれまでの人生で負い目を感じている人物に誤認してしまい、苦悩し、ひたすら悔いる魯迅。

医学を学ぶために留学した日本で、志を変え帰国するにあたって嘘をついてしまった恩師の藤野先生。
自分の影響で作家を志し、そのために政府に逮捕された後輩の作家。
臆病さのために誘いを断り、ともに革命に身を投じることができなかった先輩の女性革命家。
そして、家とお金のために結婚し、母の世話を押し付け、妻として家族として愛することはなかった第一夫人の朱安。

自分(かつては魯迅の大学の教え子であった)を第一夫人と誤認されて最初は憤慨しながらも、魯迅の朱安へのあまりの仕打ちに自分の立ち位置がわからなくなってしまう広平が切なかったのですが、悩んだ末に彼女は朱安に手紙を書くという行動を取り、字を読めない朱安がその手紙を何度も何度も読んでもらって喜びのあまり返事を出す、という2人の心の交流に救われる思い。ここでも「手紙」がキーポイントになっていました。


もう一つ印象的だったのは、魯迅が医学の道を断念するきっかけとなった出来事。
日本に留学中、授業で映写されたスライド「日本軍にスパイ容疑で捕まった中国人が処刑されるのを、同胞中国人群衆が薄笑いしながら見物する」姿を目の当たりにしてショックを受け、医学を捨て、中国の精神改造のために文学の道を選ぶことを決意した魯迅。
それと同じ写真を見た須藤医師が、「あざ笑っている日本人に中に一人だけ手を合わせていた者がいた。それは自分の従兄弟だったけれど腸チフスで死んでしまった。そんな命を、そんな人生を救いたいと自分は医者を志した」という魯迅と真逆の選択をしたことが胸に響きます。

この須藤医師の涙ながらの説得に、それまで固辞していた日本での転地療養をようやく決意しながら、「本当にそれでいいのか」という広平の問いかけに、「人物誤認症も失語症も自分自身が自分に与えた罰だったのではないか」と自分の内にある真の原因に気づき、上海にとどまることを選択する魯迅。
「『シャンハイムーン』はもう書けないかもしれませんが、雑感文でこの世の中の欠点を書き続けます。それがこの自分の後世に対する責任でしょうから。この場所を、そしてこの時代を背負って生き続けましょう」と。

魯迅とともに日本に帰国しようとしていた4人の日本人たちにもそれぞれドラマを背負っていて、須藤医師は自分が里親となっていた看護師の女性とともに上海の貧しい人たちのための医療に尽力するのでしょうし、内山完造さんは日本語の本が読みたいと60キロの道を歩いて来た3人の少年のような子どもたちのために、これからも内山書店を続けるのだろうと、何だか「これでよかったんだな」という気持ちになりました。


この物語からは、魯迅を何とか助けようとする人々の温かさばかりでなく、魯迅の苦悩を通して、この時代の中国と日本の複雑な関係や、中国国内の様々な問題、日本租界の中での日本人同士の対立などが浮かび上がってきます。
それでも、国も立場も言葉も違う人同士がただ「人間」として理解し合い信頼することの大切さ、その温かさが胸に響き、魯迅の死という切ない結末ながら、とてもやわらかな気持ちになれる舞台でした。きっと魯迅も、心穏やかな最期を迎えたのではないかしら。たとえ「シャンハイムーン」を書けなかったとしても。


人々から尊敬され好意を集める人物ながら一流の作家であり知識人としての孤高やプライド、頑固さを併せ持ち、それと裏腹に無邪気な子どものような一面も覗かせる魯迅役の野村萬斎さんはじめ役者さんは盤石。
土屋佑壱さんだけ最初わからなくて、「あの人、*pnish*の土屋さんに似てるけど誰だろ?」と思っていました(こまつ座と土屋さんが結びつかなかったのでした(^^ゞ)。

そうそう、劇中何度か流れるラジオのアナウンサーの声。
フライヤーの出演者名にはクレジットされていないのですが(パンフレットは買っていないのでわからない)、浅野和之さんですよね? (誰に聞いているのか)



カーテンコール2回目までは腰をかがめて魯迅のまま。
ラストだけ背筋伸ばして胸を張って、しかもちょっとドヤ顔。
まるで別人の萬斎さん のごくらく度 (total 1894 vs 1896 ) 



posted by スキップ at 21:56| Comment(2) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はーい、アナウンサーの声は浅野和之さんです!
井上ひさし作、栗山民也演出で、萬斎さん、浅野さんというと、藪原検校を思い出します。あれもとても良かった。
それにしてもスキップさまの文章に「そう、そうだった」とうなずくばかり。自分ではまとめられないの。いつもありがとうございます‼︎
Posted by きびだんご at 2018年04月02日 23:46
きびだんごさま

ありがとうございます!!
やっぱり浅野さんだったのですね。
いや~、スッキリしました。

私も開演前、ロビーで栗山さんをお見かけして「藪原検校」を
思い出していました・・・あの時も栗山さんに遭遇しましたので(^^ゞ
あの舞台もとてもよかったですね。
萬斎さんも全く別人ですが(当たり前だけど)。
昨日、松竹座「ワンピース」で浅野和之さんのイワンコフ観て
あの振り幅の大きさに改めてうなる思いでした。

感想文(←)はねぇ、思い出すままにつらつら書いていたら
相変わらず長文になってしまって反省です。
いつも読んでいただいてこちらこそありがとうございます。
Posted by スキップ at 2018年04月03日 00:24
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