2015年08月01日

わが名はアテルイ 歌舞伎NEXT 「阿弖流為」


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歌舞伎NEXT 「阿弖流為」。
10月に松竹座でも上演されるし、東京は1回だけにしておこうと初日以外のチケットは取っていませんでした。が、その初日 7月5日に観て、すぐにまた観たくなって、とても10月まで待ちきれない気持ちになっていました。
でも7月はそれなりに予定が詰まっていて、何とか行けそうなのは25日だけかなぁ、と思っていたところ、お友だちのファザコンサリーちゃんから偶然にも「7月25日のチケット あるよ」とご連絡が・・・これはもう運命だなと勝手に決めて、行ってきました新橋演舞場。


松竹創業120周年 歌舞伎NEXT 「阿弖流為」
作: 中島かずき 
演出: いのうえひでのり 
出演:  市川染五郎  中村勘九郎  中村七之助  坂東新悟  片岡亀蔵  市村萬次郎  坂東彌十郎 ほか

2015年7月25日(土) 11:30am 新橋演舞場 1階2列センター


初日のレポはこちら


やっぱりもう一度観に行ってよかったです。
最初から完成度の高い舞台でしたが、やはり初日は舞台上も客席も、そしてワタシ自身も、ある意味トランス状態で、少しクールダウン期間を経て再見できたのは幸せなことでした。
1ヵ月近く毎日ナマで演じるということは、役者さんの演技が深まるのはもちろんですが、それと呼応して作品の中の役自体も進化するのだなぁと改めて思いました。舞台全体の進化は言わずもがな。


■ 殺陣

今回はまぁ、いろんな場面で涙流してばかりいたのですが、殺陣を観てこれほど泣いてしまう舞台も珍しい。


阿弖流為 vs 荒覇吐

「阿弖流為」イチ 好きな場面です。
荒覇吐が覚醒・・というか正体を現してからの七之助さんの凄まじいまでの迫力と人外のもの感。
それに全身全霊で呼応する染五郎さん阿弖流為。

「お前は誰だ?」
「わが名を問うか」


ここから始まる二人の殺陣、というか魂のぶつかり合いが凄絶過ぎて震えるレベル。
息をするのも忘れるほど見入ってしまいます。

「お前は何度同じ過ちを繰り返すのだ」
「俺だけは、いつもあなたのことを思っている」
「いずれ、わが魂はあなたの元に行く」
そして
「口ばっかり」

荒覇吐の激しい怒り。その中に滲む哀しみと絶望。
阿弖流為の覚悟。蝦夷を守る思いと荒覇吐への慈愛。

「アテルイ」の阿弖流為と荒覇吐の殺陣は、「阿修羅城の瞳」の出門と阿修羅王(つばき)の斬り合いと並んで、新感線の舞台の中でも究極のラブシーンだと思っているのですが、
なんて激しく美しく切ない命の獲り合い。
二人とも人と人外のものとの境を超えているというか、あのままどこかへ行ってしまうんじゃないかと思いました。


田村麻呂 vs 立烏帽子

田村麻呂と立烏帽子の殺陣はこの作品の中でかなりのごちそう。
勘九郎さんと七之助さんはほぼいつも、というくらい共演する演目は多いですが、二人の殺陣というと案外少なくて、記憶にあるのは平成中村座の「仮名手本忠臣蔵」の時くらいかな?

昨年「蒼の乱」で早乙女太一くんと弟の友貴くんが共演した時、「太一くんの殺陣に本当の意味で太刀打ちできるのは今は友貴くんだけ」というような感想を書いたのですが、勘九郎・七之助ご兄弟にもそれとは別の意味で息の合い方があるなぁと思いました。
友貴くんがプチ太一の趣きなのに対して、七之助さんと勘九郎さんは全く違うタイプの殺陣というのも見応えありました。


阿弖流為 vs 田村麻呂

荒覇吐との闘いが“愛情”の殺陣だとすると田村麻呂とは“友情”の殺陣。
それも生半可な友情なんかじゃない。魂と魂で共鳴し合って、闘うべき運命を受け容れた覚悟を持った。
この男を倒すのは自分しかいないと思い、自分の命を託す者がいるとしたらこの男だけだと考えている二人。
その壮絶な闘いは、観ていて胸が苦しくなるほど。
ここの二人の熱量がハンパなく、舞台からカッと熱いものが客席に向かって押し寄せてくるようにも感じました。

自ら「戦神」と名乗った阿弖流為がその力を使わず、「人として」田村麻呂と対峙したのは、その前の場面で、暴れ回る阿弖流為に劣勢の大和軍に向かって、「その男は神でもなければ鬼でもない、ただの人です」と言った田村麻呂の意気に応じたのだと思います。
それほど心と心で、魂と魂で認め合い繋がり合っていた二人が命の獲り合いをしなければならない哀しさ、それを誰よりも自分たち二人が自覚している切なさ。

「滅びることで礎となる運命だ」と阿弖流為が後を託すことができたのは、ただ一人 田村麻呂だったのだと。



勘九郎さんの重心低い構えの美しさ。そこから繰り出すハイスピードの殺陣。
七之助さんのまるで鋭利なナイフそのものが舞っているような流麗な殺陣。
染五郎さんの全く体幹のブレない重厚かつ悲壮感漂う殺陣。
三人三様の殺陣を観られたのもうれしかったです。

染五郎さんと勘九郎さんの殺陣といえば、「野田版 研辰の討たれ」の道場での申し合いの場面がとても印象残っていますが、あれからさらに進化した殺陣をこれでもかというくらい堪能させていただきました。

あと、染五郎さん阿弖流為は稀継の霊力に操られて自分の太刀のコントロール失うシーンがあって、これ、「朧の森棲む鬼」にもありましたが、ほんっと、上手いよねっ!



■ 覚醒

三人三様に覚醒する瞬間があって、これがまたいずれも震えるほどカッコいいんだ。

まず 立烏帽子
これは上述した阿弖流為との殺陣に入る直前、立烏帽子が覚醒・・・というか、荒覇吐の正体を現す場面。

この場面の七之助さんの「人ではない何か」感。
鬼気迫るような表情、声、そのスケールの大きさも含めて、まさしく荒ぶる神そのものでした。
万能神のようでいて、そこに女としての哀しみも滲むのが何とも切ない。
阿弖流為を蝦夷を託せる人間と見込んだのと同じくらい男としても愛してしまった神があの場面で放つ言葉の数々は、咆哮というか慟哭のよう。
あんなに怒りと切なさが同居した「おのれはっ!」を聴いたことがありません。

ここはほんと、初日より2回目が格段にすばらしくて、七之助さん立烏帽子の進化が如実に感じられました。


余談ですが、
阿弖流為の記憶を奪って野に放ったのに対して、鈴鹿は記憶はそのままに一生出られない谷に閉じ込める、って、鈴鹿に対する罰の方が厳しいと思うのですが、それは荒覇吐の心にいつか阿弖流為が覚醒して自分の力になってくれるという期待と、鈴鹿への嫉妬があったからなのかな。


田村麻呂

鈴鹿を殺されて田村麻呂が覚醒する場面。
あの目に巻いていた包帯を切られて、まさに「開眼」という感じで目をかっと開く様は、まるで仁王像のようでした。
閉ざしていた心の怒りの扉が開いたのですから、そこからの魔物のごとき太刀さばきも無理からぬこと。コワかっただろうな、取り囲む人たち。絶対殺されるもん。

田村麻呂といえば、開幕してしばらくしてから「逃がすかよ」という台詞がカッコイイ!とtwitterで話題になっていて、初日に文字通り聞き「逃した」ワタシは、2回目は絶対聞き「逃がす」まいと「いつ?」「どこ?」とドキドキしながら集中していた訳ですが、あそこであの仮花道であんなにさり気なく言うとは・・・ヤラレました。


そして 阿弖流為

田村麻呂の説得に応じて和睦を結び、刀を預けて投降した阿弖流為。
そこに待っていた都人たちの裏切り。


「わが名は悪路王阿弖流為 北天の戦神なり!」
とまさしく阿修羅のごとき形相で、運命さえも呑み込んでしまうような激しさと覚悟。
「北の悪鬼が恐怖の炎で燃やしつくしてくれよう」からの飛び六方の引っ込みは、初日に観た時は心臓バクバク、二度目はもうほぼ号泣で、「もう、この涙いいかげんにしろ!阿弖流為様見えないじゃないかっ!!」状態でございました。



■ わが名は阿弖流為

私が記憶する限り、阿弖流為が自身の名を明確に名乗る場面は三回あって
まずは、一幕のあの、両花道での田村麻呂との名乗り。

仮花道へ進みながら、「その武士(もののふ)の血が流るるは、大和の男ばかりにあらず」の後、一呼吸おいて不意打ちのように「阿弖流為だ」。
ここ、もう「アテルイ」の時から大好きなシーンですが二度目に観たこの時は、互いに相手の存在を、生き様を認め合ったからこそ名乗り合った瞬間であると同時に、「お前が蝦夷の族長で俺が坂上家の男である限りこうなるしかないだろ」と後に田村麻呂が言ったように、最期の対峙の時へ流れ始めた瞬間でもあるのだと思うと泣けて仕方ありませんでした。


二度目は、中盤で一度は稀継と御霊御前の呪術で自らに刃を向けようとして、「稀継が田村麻呂を殺した」と蛮甲が告げたことによりその呪縛から解けた時、
自分が蝦夷を守るという明確な宣言。
「わが身この地にあり わが心この民にあり わが名は阿弖流為」

蝦夷を守る神になって空に昇って行きそうでした。
自らの運命を受け容れる覚悟。孤高で清冽で。


そして
「わが名は悪路王阿弖流為、北天の戦神なり!」

ここはもう、何度も書いていますが、震え上がるカッコよさ。
その迫力たるや。
怒り、激しさ、強さ、弱さ、哀しみ、覚悟。
運命のすべてをわが身一手に背負って駆け抜ける阿弖流為。
魂抜かれる思いでした。



ここまででまた超長文になって他のキャストや演出などを書く余裕がなくなってしまったあせあせ(飛び散る汗)
それは十月松竹座の感想の時にということで(・・ほんとか?)

ただ演出について一つ言えることは、「アテルイ」はじめこのあたりの新感線の作品(たとえば「阿修羅城」とか「髑髏城」とか)はやはり、アナログ感が合うな、ということ。
近頃はプロジェクションマッピングや大がかりな装置を駆使して、という方向にシフトしているように思えますが、何よりも役者さんの力と身体能力、そして劇場に備わっている花道(今回は両花だけど)や盆、セリなどの舞台機構を使う演出がこの物語にズバズバハマっているなと思いました。

あとさり気ない演出としては、田村麻呂から渡された鈴鹿の形見の水色の羽根のような首飾りを、次に阿弖流為が出てきた時には左手首に巻いていて、それ見るだけでもれなく涙がついてくるという・・・このあたり、いのうえさん抜け目ないよね。


もう一つは、染五郎さんのプロデューサーとしての力量。

新感線の「アテルイ」も元はと言えば染五郎さんが「マンガ日本の歴史」を読んで高校生の頃から温めていた企画が出発点だし、「これを歌舞伎でやりたい」「歌舞伎でやるならこの二人以外ない」と勘九郎さん・七之助さんに声をかけたのも染五郎さんな訳です。

染五郎さんが敬愛する猿翁さんも勘三郎さんもまた、一流の役者であると同時に傑出したプロデューサーであったことを思うと、染五郎さんが彼らの後に続いて、周りの人たちを巻き込んでやりたいことを形にする道を突き進み始めたことが嬉しいし、そんなことができる年齢になったことも感慨深いです。

もちろん、そんな染五郎さんの思いに応えて・・・いや、期待以上のパフォーマンスを全身全霊で示してくれて、「阿弖流為」をこれほどすばらしい作品にしてくれた勘九郎さん、七之助さんはじめ共演の役者さんたち、つくり上げたスタッフの皆さんには感謝しかありません。


坂東新悟くんが「観に来た同世代みんなに羨ましがられる」と書いていらっしゃいましたが、
さもありなん。
若い役者さんたちにとってこの作品に出演したことは誇りであり大きな財産となったはず。
これからの歌舞伎界を背負って立つ若い皆さん全員にぜひ観ていただきたいです。



IMG_5133.jpgこの公演では「阿弖流為弁当」「田村麻呂弁当」「立烏帽子弁当」そして「えみし弁当」とそれぞれおいしそうなお弁当が販売されていましたが、幕間に盛りだくさんのお弁当はヘビーということで、こちらをいただきました。

染~めん五郎

ひき肉のたれに付け合わせの野菜と一緒にめんをつけていただくという少し変わったおそうめん。
おいしうございました。




十月松竹座で待ってる!! のごくらく度 わーい(嬉しい顔) わーい(嬉しい顔) (total 1410 わーい(嬉しい顔) vs 1411 ふらふら)


posted by スキップ at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌舞伎・伝統芸能 | 更新情報をチェックする
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