2015年05月07日

禁欲と欲望の狭間 「禁断の裸体」

kindan.jpg今年はブラジルと日本が外交関係を樹立して120年。
原作者のネルソン・ロドリゲスさんはブラジルにおいて20世紀で最も重要な劇作家と評されているそうです。
そのロドリゲス氏が1960年に発表した作品。

三浦大輔さんの演出だし、こんなポスターだし、と腰も引け気味だったのですが、描かれていたのは家族の崩壊の物語。


シアターコクーン・オンレパートリー2015
「禁断の裸体 -Toda Nudez Sera Castigada-」
作: ネルソン・ロドリゲス
上演台本・演出: 三浦大輔
翻訳・ドラマターグ: 広田敦郎 
出演: 内野聖陽  寺島しのぶ  池内博之  野村周平  宍戸美和公  池谷のぶえ  木野花 米村亮太朗  古澤祐介  榊原毅

2015年4月29日(水) 6:30pm シアターBRAVA! 1階P列センター



ストーリー: 妻を病気で亡くして落ち込む裕福で敬虔なカトリック教徒エルクラーノ(内野聖陽)は息子セルジーニョ(野村周平)と、セルジーニョを溺愛する未婚の3人のおば(木野花、池谷のぶえ、宍戸美和公)、そして弟のパトリーシオ(池内博之)と暮らしていましたが、兄にコンプレックスを抱くパトリーシオの企みに堕ち、娼婦ジェニー(寺島しのぶ)に溺れてしまいます。セルジーニョはそんな父に反発し、家族は次第に歪み始めます・・・。


ふんだんに(笑)登場するリアル「裸体」やナマナマしい声が耳に残る過激なセックスシーンもさることながら、この物語の根底に流れているのはカトリックの精神でしょうか。
舞台に大きくそびえ立っていつも人々を見下ろしているような十字架がそれを象徴しているよう。

そしてそれこそが日本人(というか、私)が翻訳劇を理解する上でいつも限界を感じてしまうところでもあります。
ただ、カトリックの教えに忠実であろうとすあまり本当の自分(の欲望)を押さえ込んでいたエルクラーノの姿には、社会の色々なルールにがんじがらめになって身動きが取れなくなっている現代の私たちにも通じる普遍性を見るようです。
理性と狂気の狭間を揺れ動きながら結局本能の方へ踏み外してしまう節操のないエルクラーノのダメ人間っぷりにはむしろ親近感と愛情さえ感じます。

だからこそ、光に包まれたような2人(エルクラーノとジェニー)の結婚式の後に二転三転して迎えるどうしようもない結末が何とも切ない。三浦大輔さん演出の舞台を観るのは2010年の「裏切りの街」」以来。
翻訳劇のせいか、いつも感じる乾いたような虚無感は軽めな印象。
場面転換は暗転が多用されていましたが、いつもブラジル音楽が流れていてサウダージ感漂います。


役者さんたちは、それはもう皆さん体当たりの熱演。

乳房のしこりによる死の恐怖をいつも心に抱えたジェニー。
寺島しのぶさんのジェニーは感情も表情もくるくる変わって、エロティックで聡明、淫らだけど清らか。グラナダのマリアのイメージ。
対して池内博之さんのパトリーシオはユダのイメージ。
池内博之さん、この役のために体重を増やしたそうですが、この画像に比べるとだいぶお腹がぽよんとしてましたね。
それがかえって堕落したブラジル人っぽかったり。

そんなパトリーシオに破滅へと導かれる内野さんのエルクラーノは、分別のある大人だったり、ただ一途な愛の信奉者だったり、ひたすら息子を思う父だったり、何とも人間的でチャーミング。
エルクラーノの心を導くはずの牧師様と、彼が大切にしている息子セルジーニョの心も体も奪い取ってしまうボリビア人の泥棒を同じ役者さん(榊原毅さん)が演じていたのも何だか象徴的でした。


すごく感動するとか、スカッとするとか、逆に激しくブルーになるとか、そういう作品ではないですが、禁欲と欲望のせめぎ合いのような、人間の欲望の本質を垣間見るようで、劇場を後にして夜道を歩きながらも、彼らのその後を考えてしまう・・・といった余韻の残る舞台でした。



おばさんたち3人は「マクベス」の3人の魔女のイメージ・・・にしても一幕ラストの木野花おばさまのあの叫び! のごくらく地獄度 わーい(嬉しい顔) ふらふら (total 1367 わーい(嬉しい顔) vs 1371 ふらふら)
posted by スキップ at 23:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 演劇・ミュージカル | 更新情報をチェックする
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